4 ①
……どこかで誰かが話しているのが聞こえる。
(しかし、こんなガキを助けてどうしようっていうんだ? おまえの能力……生命をいじるために自分からも生命を出してしまっているみたいじゃねーか。つまりやりすぎればおまえの生命もやばいということ……)
(……うるさいわね。あ、あたしだってなんだか訳がわかんないんだから黙ってて!)
(おまえ、まだ自分のことがよくわかってねーみたいだから教えてやるが……おまえは〝特別〟なんだぜ? そんじょそこらの連中とは訳が違うんだ。無駄なことはできるだけ控えるんだ!)
(無駄かどうか……そう、きっとキョウ兄ちゃんならそんなことは気にしないはずだわ)
(なにィ? 〝キョウ兄ちゃん〟だと──そうか、そいつがおまえの〝モデル〟かよ……)
……誰かが自分のすぐ側で言い争っている。それはわかる。だが彼の見開かれたままの眼に映る人影はたったひとつしかない。
どうやら女らしい、その影の胸元で何かが揺れている。ペンダントのように、首からぶら下げられたものが外に出ている。
たまご──そう見えた。
声の一つはそのたまごから発せられているような気がした。しかし身につけている者とアクセサリーの関係にしてはその二つは妙に仲が悪いみたいな感じもした。
(今、こいつの心の波長が少しだけ見えたが──こいつはコソ泥だぞ。つまんねーことですぐ腹を立てて何もかもぶち壊しにしちまうよーな底の浅いガキだ。それどころかどっかで〝なにもかもどうにでもなれ〟と思いこんでいる)
(
(それとこれとは話が違う。オレの場合は──)
(都合や理由なら、そんなものは誰にだってあるわよ!)
(……それも、キョウ兄ちゃんとやらの言葉か?)
(悪い?! あたしは、あたしは──)
言いかけて、ぐらっ、と女が身体を大きく傾けた。倒れそうになったのだ。
(……言わないことじゃない。やはりおまえには能力の反動が来るんだ。気をつけないと力と心中する羽目になるぞ。早くオレを殺して、封じてあるエネルギーの放射を受けて能力を完成させないとそのうち力尽きるぞ)
(うるさいわ……もう、終わったわよ)
女はふらつきながら立ち上がり、そしてペンダントがいつのまにか外に出ていたことにここで気がついたらしく、
そして、この場から離れていく。
倒れたままの彼──本木三平は焦りを感じた。
そもそも自分はどうなっているのだ?
パトカーが急にやってきたせいであの柵の上から落ちて、頭やら背中やらをしたたかに打って、そして路地に逃げ込んで……それで、今いったいどうなっているんだ? あのたまごと女は俺に何をしたんだ?
どうして身体が全然動かないのだ。もしかすると、俺は死んでいるのか?
三平は身体をばたばたと動かそうとしたのに、動かないのでそんなことを思ったのだが、それが突然に──さながら故障していた照明器具が配線を繫げたとたんにぱっと点くように、手足が跳ね出した。
ただでさえ狭い路地の中であり、がたたん、と壁が叩かれる大きな音があたりに響いた。
「────!」
その音は当然、高代亨を捕らえるためにその場に張っていた警官たちの耳にも届いた。
彼らはすぐに音の場所に駆けつけた。
するとそこには、血まみれの少年が倒れているではないか。彼はよろよろと立ち上がろうとしているところだ。
「おいおまえ! 何をしている?」
警官たちはすかさず狭い路地で三平を囲む体勢になった。
三平は眼を見開いて「ひっ……!」とか細い悲鳴を上げた。そういう態度は警官たちにとってはお馴染みの、追いつめられた犯罪者の反応であったので、彼らはますますこの少年の〝なんらかの異常〟を察知した。
「動くな! おとなしくしろ!」
「こんな所で何をしていた?」
職務質問というよりも尋問に近い調子で彼らは三平に問いかけながら、路地から引きずるように連れ出した。
「し、知らねえよ! 俺は何にもしてねえよ!」
暴れる三平を警官たちは押さえつけた。血まみれであっても怪我は大したことがないのは既にわかっていた。
そう、よくいるガキだ。警官にとっては別になんら特別な対象ではなかった。そうとしか見えなかったし、そして三平自身も自分に助かる特別なものなどないと思っていた。
だが……三平はこのときすでに〝エンブリオ〟の声を聞いていたし、そしてこうして絶体絶命な環境にも置かれた……そう、この段階で、本人にも知る由もなかったが、どこにでもいる十五歳のちょっとひねくれたガキ、本木三平は〝突破〟に充分な〝条件〟を満たしていたのである。
警官たちは三平をパトカーの所まで引っ張ってきた。乗せて、署まで連行するつもりだった。
「や、やめてくれ! 俺は関係ねーよ!」
どちらにしても家に連絡されて、あの親父にこっぴどくぶん殴られることになるのだろう。三平はばたばたとあがいた。
「おとなしくしろ!」
ぐいっ、と一人の警官が三平の腕関節を逆にねじりあげた。
「ぎゃあっ!」
と三平が悲鳴を上げた、そのときである。
……かちっ、
と、その場にいた全員の耳に何かのスイッチが入ったような音が聞こえた。しかしその音の源になるようなものなどその場のどこにもない。
「…………?」
みんな、きょろきょろと辺りを見回した。しかし音は、そんな彼らの動揺におかまいなしに連続して聞こえてきた。
……一〇、九、八、七、六、……
数字がカウントされる音が、全員の耳に平等に聞こえてくるのだ。
「な、なんだこの音は?」
「どこで鳴っているんだよ?」
警官たちはおたおたと、落ち着きなくなり始めた。
その間にも容赦なくカウントは刻まれていく。
五、──しかし、それはなんだというのだろうか?
「こ、こりゃぜんたいどーなってるんだ?!」
「耳を
四、──警官たちは、ただ変な音が聞こえてくるというだけでは説明つかないような
「ど──どんどん音が、お、大きくなってくる……!」
「と、止めろ! 誰かこの音を止めてくれ!」
三、──それはまるで、その音が彼らの精神とか正気とかそういったものの、そう、このカウントダウンこそが──
「ひ、ひいいっ!」
「も、もうおしまいだあ!」
二、──その人間の平衡状態の限界を告げる、その秒読みであるかのような──
「うわああああああああああああああああっ!」
「ひえええええええええええええええええっ!」
一、──世界の終わりを告げる鐘の音であるかのような──
「────」
「────」
〇。
「……え? ええ?」
ぽかん、と三平だけがただ一人この音が聞こえずぼけっとしたまま、パニック状態になって、犬のように四つん這いになって逃げていく警官たちを見送るだけだった。
(……な、なんだこりゃ?)
彼には知る由もない。自分の能力は自分で見ることはかなわない。
彼の中の〝もうおしまいだ〟〝これでもうどうにかなっちまうんだ〟という気持ち……それが膨れ上がったときに、近くにいる他人に移されて、彼自身はいわば〝
だがこの能力の限界はどこまで広がるものか、それは彼どころか神すら知らぬことだ。
彼が心の底から〝これでもう本当におしまいだ〟と確信したとき……そのとき他人、いや周囲のすべてに移されるパニックがどれほどの大きさになるのか。あるいはそれは世界全体を包み込んでしまうほどのものなのかも知れない。
彼以外の世界は、そのときどうなるのか……まだ誰も知らないのだった。
「……と、とりあえず逃げるか」
三平はこそこそとその場から去っていった。