4 ②
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パニックで職場放棄し恐慌のあまり言葉も喋れなくなった警官たちは、数分後他の警官たちに取り押さえられた。しかしそのとき取り押さえた方の警官たちの耳元で奇妙な音が鳴った。
──一〇〇、
彼らは一様に、なんだ? と思ったが、カウントが大きく、その間隔も広かったので汚染されたにも関わらずそれほどのパニックにはまだならず、他の者にも自分が聞いたということを特に言わなかった。
彼らはこのいわばイレギュラーな仕事を終えると、本来命じられている任務である〝大量殺人容疑者〟高代亨が誘導されている逮捕予定現場への応援に向かって行った。
*
「……なあ、亨」
警察に指定された場所に向かう途中で、谷口正樹はハンドルを握りながらずっと気になっていることを訊ねた。
「あんた、一体どうして急に強くなったんだ?」
「え?」
亨は顔を上げた。
「剣か棒か、どっちでもいいが、とにかくあんたはほんの少しの間に達人になっちまった……それはどうしてだ?」
「うーん」
亨は腕を組んで考え込んだ。
「よくわからないが……正樹、あんたに叩きのめされたのが良かったのかも知れない。あれで、何かが吹っ切れたというか、そんな感じがあるな」
「吹っ切るって、そういう次元かよあれが?」
正樹があきれた、という調子で嘆息した。
「だったら昼間のときも、せめて固い動きとかそういうのがなきゃおかしいぜ。あんときはそんなもんじゃなかったよ。ほんとうに、まったく、完全に素人だった。演技してたのかい?」
「いいや。そんな器用な真似はできねーよ」
亨が言うと、正樹はうなずく。
「だろうなあ……じゃあ、なんでだ? ほんの数十分の間に何があったんだ?」
正樹の疑問はもっともだったが、しかし警官に発砲されて逃げ出した後だというのに、このような謎に興味を持ち、そして真剣に訊いてしまうのも彼の性格の一面だった。表面上は穏やかなところや優しいところが目立つが、どこか決定的なところで謎や冒険に首を突っ込みたがる性格──それが世界を
しかしそういう性格は決して幸福なものではない。ある意味で常に崖っぷちに立っているようなものだからだ。しかも彼は自分よりも恋人の織機綺や友人知人の安全などをまず考えるタイプ──これは、本人の身からするととても危険なものを秘めていると言えた。
「何があったか、と訊かれると何もないんだが」
亨が考え考え言う。
「なんつーのかなあ……なんか〝声〟をどこかで聞いていたような気がする。そうして、なんてのか……
「〝線〟? なんですかそれ?」
穂波顕子に化けているパールが眼をぎらと光らせながら訊ねる。
「相手の身体の上に〝線〟がある──ような気がするんだ。その線の上を剣でなぞると、なんつーかそのまんまそいつが相手の隙をついて急所に叩き込むコースになっている……らしい」
「らしい、って……自分のことなのにあやふやですね」
「うーん、しかしテメエでもそんな感じなんだよなー。しかしそれが確実にそうだということはわかるんだよな、なんとなくだが確信できるんだ」
〝隙〟が見える能力だと? ……内心でパールはこれをどう把握していいのかとまどっていた。役に立つかというと、実はあまり意味がないようにも思える。剣や棒術など使う必要など近代戦にはほとんどない。銃を使えばすむからだ。
(こいつはハズレか?)
そんな気がしてきた。侍が剣を振り回していた時代ならいざ知らず、現代では時代遅れもいいところではないのか。確かに戦闘力はある。だがそれだけだ。これなら代用品がいくらでもある。
「……今も、見えているわけですか? 私たちとかの上に〝線〟が?」
「いや、はっきりとはわからない。ほら、別に穂波さんたちは俺に対してかまえていないだろう? 隙とか言う以前の状態なんじゃねーかな」
「はあ」
よく言うよ、おまえの目の前にいるのはいつでもおまえを殺せる私なんだぞ、とパールは内心せせら笑った。これではこいつを利用して統和機構の敵に仕立てるだけの価値はなさそうだ。すぐにやられてしまうに違いない。
(まあ、少しばかりデータを収集するための囮役ってところがせいぜいだな……)
となると、こいつよりも〝エンブリオ〟そのものの回収を優先しなければならない。こっちに来ることはなかったか。自分が本物の穂波顕子と弟の方に向かえばよかったな……と、そっちに行っていたら〝最強〟フォルテッシモに遭遇し倒されていたであろう自分の幸運など夢にも思わず、パールはそんなことを考えていた。
「よくわかりませんけど……強くなって嬉しいわけですか」
「いや、それは……どうかな」
亨はなんとなく顔を曇らせた。
「強くなった、と言えるのかどうか……正樹、榊原さんならどう言うだろうなあ?」
しかし正樹は、自分が最初に訊いたくせにさっきから、
「…………」
と黙り込んで二人が話しているのを聞いていただけだった。
「正樹?」
「あ、ああ。いや……」
正樹は首をかすかに振った。彼はあきらかに動揺していた。
そう──ぼくは知っていた。
今、亨の言った〝線〟うんぬんの話を前にも聞いたことがあったのだ。
それはある日なんとなく、ぼくが師匠は剣道とかやったことあるのか、と訊ねると、師匠は「うーむ」と
「剣、かあ」
とため息をついたのだ。
「そいつは俺の手には余るんだよな、これが」
「え? でも師匠なら運動神経とか、技術センスとか問題ないんじゃないの。だいたい棒は使えるじゃんか。有段者から一本とか取れるんじゃないかな」
「いやそういう剣道なら、まあ一応は。でも他の、俺の専門の空手とかに比べりゃ全然やったウチに入らねーよ」
「どうして? 武器を使うから本気になれないとか?」
「いや、おめーに何度も言ってるよーに、徒手空拳が一番カッコイイなんて俺は思ってねーし、戦いで道具を使うのが〝頼る〟ことだとも思わねー。そーゆーんじゃねーんだよ、俺が〝剣はとてもとても〟っつー意味はよ。剣の極みってのは、なんつーか他の武術とは次元が違うんだよ」
「?」
「結局よ──どんな武術でも、それこそ相撲とかボクシングとかも含めてだ、そーゆーもんてのは目的はみんな一緒なんだよな。つまるところ〝世界中の誰よりも強くなりたい〟とゆーことだ。これは陸上競技とかサッカーみたいなスポーツでも同じだろう。だが剣は──そうじゃねーんだ」
「……? じゃあ、なんなんだい」
「うーん。いやこいつは俺が自分で実感したこととかじゃねーんで、話半分で聞いて欲しいんだが……俺がまだおめーと大して違わねー歳のことだった。俺はそのころから馬鹿だったからよ、色々と強い奴っつーのを探しては、飛び込みで弟子入りさせてくれとか半分道場破りに近いこともやってたわけだよ。そしたら〝そのひと〟に会ったんだ。そんとき、確か七十越してたんじゃなかったかな〝あのひと〟は……」
「それが〝剣の極み〟の人だったのかい」
「まあそういうこと。いや強えーのなんのって。指一本触れりゃしねえ。ところが俺はまさか〝そのひと〟が剣の人なんて知らなかったのさ。なにしろ俺を相手にするのは素手だったんだから」
「素手で?
「そうだ。俺はこてんぱんで〝参りました〟と恐れ入ったら〝そのひと〟なんつったと思う?」
「……未熟者、とか?」
「……〝
「……どういう意味だい、それ?」