5 ①

「だからさあ、あたし言ってやったわけよ。〝それはおかしいでしょう?〟って。だって電話を先に切っちゃったのはそのなんだからさあ。そうでしょ? ──って、とう聞いてるの?」

「え?」


 街のカフェテリアで、三人の女子高生がお茶を飲みながらおしゃべりをしていた。そしてその中の一人が、視線を外して表の通りの方ばかり見ていたのだった。


「ごめんごめん」


 彼女は友達にウインクしながら、小さく舌を出して見せた。


「なあに? なんか面白いものでもあるの?」


 いいかげん長話にうんざりしていたもう一人の友達も、藤花の見ていた方角に目をやる。


「いや別にそーゆー訳でもないんだけど、なんかさあ、人っていっぱいいるなあ、って思って」

「なによそれ」


 話の腰を折られて不機嫌な友達がむくれたように言うが、もう一人の方は、


「うん、そーよねえ。うじゃうじゃうじゃ、みんなどこからいてくるのかしらね」


 と調子を合わせる。彼女はとにかく、知り合いに失恋の愚痴をさんざん聞かされて迷惑だったという話を延々とされるのにまいっていたので、話が変わりさえすれば何でもよいのだった。


「あのたくさんの、数え切れない人たちにもみんな家族がいて、友達がいて、恋人とかいたりするのかな、って思うとさ、なんか──くらくらして来ない?」

「なにそれ」

「いやあ、ちょっとわかるわよ。自分がさ、失恋とかで深く悩んでたとしても、それって他のみんなもやってること、っつーか、他人から見たら大したことなかったりしちゃうんだよね。逆にさ、あたしらなんかも、他の人から見たらジョシコーセーに過ぎなくって、全然考えてないとかノーテンキだとか言われちゃうのよねえ」

「悩みがない、とか思われてんのかしらねえ、やっぱ」

「じゃー立場を変わってやろーか?! とか思うよねえ。こっちはこっちで色々大変なのにさあ」

「人が多すぎるのかも。だから一人一人のことなんか一々みんなかまっちゃいられないってことじゃないのかな」

「でもさ、女子高生女子高生っていうけどさ、身近の人にそんな馬鹿な娘ってあんまりいないわよねえ。クラスでも二、三人だしさー。なんでそーゆーことになるんだろう?」

「少ししかいないそーゆー人ばっかテレビとかに出るから目立っちゃうのかしら。藤花はどう思う?」


 友達は、二人ともみやした藤花の方を見た。

 そこで彼女たちの顔が、そろって強張る。


「…………」


 宮下藤花の表情が一変していて、なんだか氷のように冷ややかで、鋭い目つきで表の通りを睨みつけていたからだ。


「あれは──」


 唇から声がかすかに漏れる。その声はどこか男の子のようでもあり、なんだか正体のはっきりしない声でもあった。

 そしてそのとき表の通りを走るように移動していたのは、薄汚れた一人の少年──本木三平だった。


    *


「はあ、はあ、はあ──」


 逃げていると、世界中のすべてが自分の敵のような気がしてしょうがない。本木三平は空腹でふらふらしながら街をさまよっていた。

 あの警官たちはなんだったのだろう?

 突然わめきだして、自分を放り出して走っていってしまった。まるでクスリでもやっていたみたいだ。警官までそんなことをしているのだろうか? だとしたらこの街もずいぶんとひどい状況にあるということか? 今まではよくわからなかったが……。

 そういう目で見ると、なんだか道行く人が皆とんでもない危険人物のように思えてきた。

 ごく普通の人々にしか見えないが、実はそこのサラリーマンも買い物に出ているおばさんもいちゃついているカップルもみんなみんな、実はどこぞのヤバげな組織に属していてポケットに拳銃やらナイフやら怪しげなクスリなどを隠し持っているのだろうか?


「うう……」


 三平は脂汗をにじませながら賑やかな街の中をほとんど不審人物のノリで──いや実際そうなのだが──さまよっていた。

 本当にこれからどうすればよいのだろうか?

 警察に捕まりそうになったとはいえ、あれは別に証拠とか握られてのことではなかったようだし、あんまりびくびくしていても仕方がないのではないか?


(だいたい俺は何も盗んでねーし……)


 だから金がないという状況もまるっきり改善されていない。


(くそ、どーすりゃいいんだ……?)


 どうするもこうするもなかった。もう泥棒なんかとてもではないがやる勇気が出ない。このままではその辺で野垂れ死にだ。


(ちくしょー……)


 家に戻るしかない。あのすぐ殴る親父にすぐ泣く母親に頭を下げる、それだけはできないと思ってはいたが、こうなってしまっては他に方法がない。


「うう、ちくしょー……! くそったれが……!」


 彼は毒づきながら、足元の空き缶を蹴飛ばした。

 しかし彼は忘れていた。

 自分が今、とことん状況にあると言うことを。偶然という運命のサイコロがあるとして、それは常に〝彼に都合の悪い目に転がる〟ようになってしまっていることを。

 ──だからその空き缶は壁に当たったかと思うと、跳ね返り、そして通りすがりの少年に当たった。


「痛てぇ! なんだ、なにしやがる?!」


 そいつは怒りもあらわに三平を振り返った。しかし三平は自分も苛立っていたので、


「うるせえ!」


 と言い返した。そのガキは彼よりもはるかに小柄で、弱っちく見えたからだ。

 だが、その直後少年の前を歩いていた連中までもが一斉に三平の方を振り向いた。


「──ああ?」

「なんだ、どうした?」


 明らかに、そのガキの連れとおぼしき態度であった。

 三平の顔が真っ青になる。


「俺たちに難癖つけよーってのか、テメエ?」


 全部で八人いるそいつらは三平に詰め寄ってきた。


「あ、いや、その──」


 三平はじりじりと後ずさり、そして逃げ出した。だが路地に入ったところで行き止まりになり、たちまち追いつめられる。

 八人の連中は、目を凶暴な光にぎらつかせながら三平に詰め寄ってきた。容赦しない、というよりもそもそも幼すぎて容赦というものを知らない暴力性がそこからにじみ出ていた。


「う、うわ……!」


 なんだこりゃ、と三平は頭の中が真っ白になる。さっき警官に囲まれたと思ったら今度はこの連中か? 一体全体この状況はどうなってやがるんだ?


「おいコラ、さっきテメエ〝うるせえ〟とか言ってたよな……!」


 三平に空き缶をぶつけられたガキが彼の襟首を摑みあげた。


「もう一度言ってみろや、ええ、その口でよ!」


 言うなりそいつは三平の鼻を殴りつけた。

 三平は鼻血を吹き出させながら、心の中で絶叫した。

 俺はこいつらに殺されるんだ──もう駄目だ!

 本気でそう思った。

 そして、その瞬間スイッチが、かちっ、と入った。


 ──一〇、九、八……


    *


 高代亨を探して歩行者天国の繁華街にまで出てきた穂波顕子は、いったいこれは何事かと我が目を疑った。

 道を、八人くらいの若い男の集団が「ひいいい!」と叫びながら走っていくのとすれ違ったかと思うと、周りのみんなが宙を向いてぶつぶつ呟いたかと思うと、突然「わあああっ!」と叫んで、走りまわりだすのだ。


「た、助けてくれえ!」

「ど、どうにかなってしまうんだあ!」


 などと意味不明のことをわめき散らしている。


「な、なんなのよこれは?!」


 彼女はふところのエンブリオを引っぱり出して訊いた。


『……まあ、たぶんどっかの誰かが〝突破〟して、その副作用が起きてるんだろうよ』


 エンブリオはぜんとした調子で言った。


「つ、つまり……これはだって言うの?!」