5 ②

『別にオレが何かしたわけじゃねーよ……オレとあんたが話しているのが誰かに〝聞こえて〟そいつの眠れる才能が目覚めちまったんだろうよ。時間もロクに経ってないところから見て、おそらく本人にも、何が起こっているか、そもそも自分の影響でこうなっていることすらわかってねーだろうな。もちろんオレを殺してエネルギーを浴びているわけないから、能力自体も未完成で暴走しているんだろう』

「ど、どうすればいいのよ!」


 人々の金切り声が、わああん、と街中に響いている。それはラジオの空電ノイズのようだ。


『どうしようもねえよ。もう起こっちまったことだ。本体の野郎を探し出して、ぶち殺しでもしない限り停まらねーよ。とは言えこんな混乱しきった状況の中で〝そいつ〟を見つけるのはまず不可能だな』

「…………!」

『あんたはもう自分の能力があり、この手の現象に対する〝抗体〟ができているからパニックにならないよーだが……まわりの奴らはそうはいかないだろうな。人間、どのくらい異常な興奮状態のままで身体が保つものかな。興奮し過ぎで死ぬってのは、統計データとかほとんどねーからな。推測するしかないな』

「し、死ぬって……」


 この、街中の人々全員がか?

 なんということだ。

 この小さな卵形〝エンブリオ〟というのは、そんなに危険な代物だったのか……?


(ど、どうしよう……?)


 穂波顕子は周囲が大騒ぎしている中、ひとり通りのど真ん中で立ちつくしていた。


    *


「……あれ?」


 三平はまたしても間抜け面になって、逃げ去っていった連中を見送っていた。

 本当になんなんだ、この街は……?


「と、とにかく早いとこ逃げよ……」


 三平はへっぴり腰になりながら、よたよたと路地から外に出た。

 そして絶句した。

 周り中で、人々が皆わあわあと騒いで、なんだか叫んでいるのだ。それはどうやら街中に広がっているらしい。

 何を言っているのかすらよく聞き取れなかったが、よく耳を澄ませてみると、どうやらそれは……


「世界の終わりだ! おしまいだ!」


 ……と言っているらしい。


「え?」


 三平はぽかん、と口を開ける。彼にはみんながなんでこんな恐慌状態になっているのかわかっていない。もちろんこれは彼の〝カウントダウン〟に汚染されたためだった。逃げ出した八人組が、すれ違った人々すべてに恐怖とパニックをばらまいていったのである。


「なんだこりゃ……みんなどうしちまったんだ?」


 彼はなんだか、みんなが大騒ぎしていればいるほど冷静だった。自分の混乱を周囲の他人に移す、そういう能力なのだから当然だったが、そのため彼はと気がついた。


(そうだ……今なら!)


 彼は道中で右往左往している人々の間を抜けて、こそこそと近くの喫茶店に入る。

 中には誰もいない。みんな外に飛びだしていってしまったのだ。店内にはむなしく有線放送がうつろに響いているだけだ。

 きょろきょろと天井やら壁やらを見回し、監視用のカメラがないことを確認すると彼はおもむろにレジから金を摑みだした。


「へ、へへっ……!」


 そしてだつのごとく逃げ出した。

 走った。

 そして誰もいない公園にまで来ると、彼は「ははっ!」と高笑いをした。

 なんだかよくわからないが、あながちついていないばかりでもないようだ。決定的なたんになると、何故か自分の都合のいいように事態が転がっていく。というかみんな逃げ出す。

 考えるのは後回しだ。今はとにかくこの状況を受け入れるのが先決だ、と三平は冷静に思っていた。


「え、えーと……おっ!」


 辺りをきょろきょろと見回すと、これまたタイミング良くカップラーメンの自販機が公園の横にあるタクシー会社の駐車場前に置かれていた。好物のミソ味もあったので彼はさっそく今盗んできた金でそれを買う。お釣りがじゃらじゃら出てくるのにも何か感動がこみ上げる。


「くぅーっ、なんかいいじゃんか!」


 一人、わけもなく盛り上がると、お湯を入れたカップラーメンを公園のベンチに持っていって、三分間待つ。

 どこか遠くからか細い音楽が風に乗って流れてくる。陽気な曲だが、いかんせん音が頼りなさ過ぎて弱々しい。

 待っている間に、三平はあれこれ考える。


(でもホントに、あいつらが逃げ出したのってクスリなのかなあ? なんかそれにしては変な気もするぞ)

「うーん、何が起こったのかなあ。もしかして、俺になにか原因があんのか?」


 数日の家出生活の間に、いつのまにか身についていた独り言の癖で彼はぶつぶつと考えを口に出している。


「俺は実は人をすごくビビらせる迫力を身につけていたりして。苦労したもんなあ。しゆってヤツをくぐり抜けた男の背中には滲み出るものが、とかかよオイ? ひひっ」


 本気ではないが、そんなことを思うと愉快だった。


「俺って実は大したヤツ? 将来はものすごいことができちまったりしてな。けけけけ」


 一人ふざけて笑っていたら、またあのか細い、口笛で吹いているみたいな音楽が耳に入り、はたと我に返る。


(おっ、そろそろ三分か)


 彼は自販機から取ってきた割りばしを割って、ラーメンのふたをぺりぺりと開けた。

 いただきまあす、と心の中で呟いてめんをすすり込もうとしたそのときである。

 音楽が、ふっ、と止み、そして、


「──いいや、君にはもはや〝将来〟などない」


 と、声が背後から聞こえてきた。

 三平はびっくりして、あやうくラーメンを取り落としそうになる。


「──?!」


 あわてて後ろを向くが、そこには誰もいない。公園の植木が風でざわざわと鳴っているだけだ。


「…………?」


 なんだ、耳の錯覚か? と彼が目を凝らしていると、さらにまた声が後ろからした。


「似ている。君の能力と、ぼくの存在──」


 わっ、となってまた振り向く。

 今度は、そこに立ったままだった。


「本人が意図できないところで、自動的に進行してしまうところ──気がつくと浮かび上がっているところなどまるっきり一緒だ。ぼくも君の能力も世界に対して〝泡〟としてあらわれるという点で──同じものだ」


 そう言った。

 そいつは──ああ、そいつは……怒っているような、泣いているような、左右非対称の奇妙な表情をしたそいつのことは、三平は既に知っていた。

 筒のような黒い帽子に、黒いマントを身にまとって──


「お、おまえは……?!」


 白い顔に、黒いルージュが浮かび上がって見える、男だか女だかさっぱりわからないそいつは間違いない、あのとき──彼の不運のつき始めに街で見た、あの死神だった。


「同じものだ。同じだからこそ──」


 そいつの上体がゆらり、とかすかに揺らめいた。


「ここで逃すことはできない。君の可能性は、まだ成熟しきっていない今、ここで絶たせてもらう」


 死神──人によってはブギーポップとも呼ぶ──そいつはゆっくりと、三平の方にその影が地面から伸びているように見える姿を近づけてきた。


「──わっ!」


 三平は反射的に、カップラーメンの中身をそいつに向かってぶちまけていた。

 だが、そのときにはもうそいつの姿はそこにはない。瞬間、上に跳んでいる。

 三平が眼で追おうとしたときには、既に植木を足場にして別の方向に跳んでいる。見失う。

 ばばっ、とひとのない公園にそいつが飛び回るノイズが響く。


「──な、なんなんだよ、なにがどうなっているんだよ……?!」


 三平が三度目の大混乱に陥りそうになった、その寸前の隙をつくように声が聞こえてくる。

〝予告しよう──君の生命はあと二十秒だ〟


「……!」


 なぜだか、その〝二十〟とかそういう数字がものすごくインパクトのあるものとして心に刺さってきた。

〝十八、十七──〟

 性別不明のその声は、カウントダウンを始めた。


「ひ、ひっ……!」