5 ④

 だから彼らは状況を把握しようと身を乗り出して、そしてそこにまるで嵐のように襲撃を受けたのである。

 亨のふるう棒はたちまち警官の四、五人を叩きのめし、なおも次の標的に向かう。


「な、なんだ?!」


 しかし警官隊は、そこら辺のちんぴらや不良少年ではない。知識と経験のあるプロだ。いくら隙をついてでも、一気に全部片づけることはできない。

 がつっ、と鉄棒を一人の警官が警棒で受けとめた。

 すると亨はすぐに身をひるがえして、彼らからまた離れてビル解体工事に使われて、まだ片づけ終わっていない積み上げたままの資材の物陰へと逃げた。


「く、くそ!」


 警官の数名が、銃をかまえて亨の手足を狙って発砲するが、狙いをつけるのが間に合わずむなしく資材に跳弾するのみだ。


「待て! もう不用意に発砲するな! 味方に当たるぞ!」


 今、亨の一撃を受けとめた警官が皆に指示を飛ばした。この場の班長である。

 彼は、署内で剣道や柔道の指導もやっているれんたつしやである。だからわかった。高代亨はただものではない──少なくとも有段者か、それ以上と見た。


(異常者だと……? とても信じられん)


 彼は、上の方から下された命令とはいえ、その正当性につい疑念を持たざるを得ない。

 亨は再び姿を消した。だが逃亡したわけではない。ただ彼らの死角に入っているというだけだ。

 かたっ、と背後からの音を聞いて、班長は警棒をかまえつつ振り向いた。

 亨が、棒を振りかざしてこっちに攻撃しようとしていた。彼は警棒でもう一度ガードしようと身構えた。

 だが──そのとき彼にはとても信じられないことが起こった。

 ガードした、その警棒の位置が最初からわかっていたかのように、綺麗に〝く〟の字を描いて鉄棒が動いたのだ。

 ガードは紙一重でかわされて、一撃は班長のけんこうこつに、めりっ、と決まった。


「──げっ……?!」


 班長は骨折したことを自覚しながら、その場に叩き伏せられた。

 他の警官たちがあわてて反応しようとするが、亨の姿勢を低くして横にぎ払った一撃に、その足元を一斉にすくわれた……足首をしたたかに打たれ、ぶざまにひっくり返った。

 その間にも亨は動いている。倒された班長の襟首を摑むと、物陰に引きずり込んだ。

 そして厳しい口調で問いつめる。


「おい! ……おまえたちはなんだ?!」

「な、なんだ、とは……?」

「本物の警官なのか? それともこれは大掛かりな偽装なのか?」

「……どういう意味だ?」

「おまえらは、最初は本気でピストル撃ってきたくせに、何故その後でかくに近い撃ち方に変わったんだ?」

「…………!」


 こいつ、そこまで読んでいるのか……。班長はもはやこんなヤツが正常な判断力を失っているとはまったく思えなくなっていた。


「いや……それは」


 彼が答えようとしたところで、亨はとして横に跳んでいる。

 彼らを見つけた警官が、銃をかまえて撃ってきたのだ。亨はその狙いが定まる前にそこから身を退いたのである。

 班長の鼻先を、ちゅん、と銃弾がかすめ、彼は身をすくめ目を閉じ「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。

 彼が眼を開けると、もう戦いは別の場所に移動してしまって銃声と喧噪がその場からどんどん離れていく。


(なんだこれは……どうなっているんだ?)


 彼は、亨が自分に手加減したのだということがはっきりとわかった。本来なら一撃で叩き殺されていても文句は言えなかったところを、ただ骨折ですませてもらえたのである。そして今……まるで亨は自分が離れることで彼に流れ弾が当たるのを防止したようにすら感じられた。


「……いったい、何が起こっているんだ?」


 彼はぼんやりと呟くのみだった。


    *


「おい、報告しろ! そっちでは何をしているんだ? 何が起こっている?!」


 殺人犯たちをおびき寄せて、そして挟み撃ちにするはずだった警察のもうひとつの班では、向こう側との連絡が取れなくなっていた。パールの持っている妨害装置の影響なのだが無論彼らにそんなことがわかるはずもない。ただ本来なら犯人たちがやってくるはずの地点まで来なかったため、片方だけで対応せざるをえなくなった──という程度の認識には到達しつつあった。パトカーが燃えているものらしき爆煙が上がり、銃声が聞こえてきたからだ。


「応援に行かなくては──」


 しかし上からの指示がなくては動けないのも警察の組織である。彼らはためらっていた。


「かまわず突っ込みましょう!」

「指示を仰いでいたら手遅れになります!」

「うむ……やむをえんか」


 しかしそれでも意見がまとまり覚悟ができたのだが、しかし彼らは既に自分たちが〝どっちにせよ手遅れ〟になっていることを知らなかった。

 彼らの後方、ひとつ通りを挟んだ向こうの道路に、いつのまにか一台の車が停まっており、その中には一人の少年が身を縮こまらせて〝危ないから外に出てはいけない〟と言われた通りに隠れていることに気がついた者は誰もいなかったし、もし気がついていたとしても──意味はなかった。

 じゃり、と砂利を踏む音が彼らの背後から聞こえて、続けて妙に吞気そうな声がした。


「おい……つまりあっちに〝高代亨たち〟がいるということなのか、こいつは?」


 殺気立っていた警官たちはびくっ、と声の方を振り向いた。

 ニヤニヤ笑っている。

 それが、彼らがそいつを見てまず感じた第一印象だった。薄紫の服を着ていて、背が小さく、どう見ても警察関係者ではあり得ないのは歴然としていた。とは言え、ではそいつは何者か、というとこれが……まるでとらえどころがない。その奇妙な笑いは大人にも見えないが、しかし子供と言うには何かが、決定的な何かが違っている。


「な、なんだおまえは?!」


 問われても、そいつはニヤニヤ笑いながら、


「俺は今、機嫌がいい……」


 と、とんちんかんなことしか言わない。そして両手を広げて、


「おまえたちは実に幸運だ……滅多にないことだ。この俺が〝この後に集中する〟ために、前に立っている者であるにもかかわらず殺さないということは、な」


 と言った。

 ニヤニヤ笑いだけが宙に浮かんでいるような、非現実的な雰囲気がそいつから漂ってくる。

 だが、ふざけるなと怒鳴りつけることができない何かがそこにはあった。


「…………」


 警官たちはほんの一瞬、そろって絶句した。そしてそれで──終わった。


「さて……」


 と一歩前に踏み出すそいつの足元で、警官たちが皆口をぽかんと開けたままで身体を硬直させて倒れている。まるで彼らが実はロボットで、電気のスイッチを切られてしまったかのような、そんな倒され方であった。そしてそいつはそんな警官たちのことなど既に眼中になく、


「久しぶりに歯ごたえがありそうだ……こいつは楽しみだぜ……!」


 と笑いをさらに深めた。今やそれは奇妙を通り越して、人の心をとさせるようなものにまで達している。

 こうして──フォルテッシモとイナズマの最初の戦いが幕を開ける。


    *


 空が急速にかげっていく。

 比較的穏やかだったはずの風が、なんだかどんどん強くなっていくようでもある。

 やがて雲は空を覆いつくし、そしてそこから雨がぽつ、ぽつと落ちてきたかと思うと、それはたちまち土砂降りの大雨になっていった。

 ただでさえ土が剝き出しになっているそのビル解体現場は、今やひどいぬかるみと化してまさしく〝泥沼〟──という現在の状況と同じ存在になっていた。

 そこを亨は、泥を跳ね飛ばしながら走る。追いかける警官の中には、泥に足を取られて転倒する者も多い。彼らは頭から足まで真っ黒になり、そして身体中からぼたぼたと泥を垂らしながらも追ってくる。その追う者、迎撃する者、彼らの上には同じように雨が叩きつけるように降り注いでいる。

 げつっ。

 ごかっ。

 ぐぎっ。