5 ⑥

 だがぼうぜんとしている余裕などなかった。すぐにフォルテッシモがまた間合いを詰めてきていたからだ。

 亨は資材を跳ね飛ばして横に逃れた。

 飛び散っていた資材が、空中でバラバラになる。


「──ふふふふ!」


 フォルテッシモが、亨の方を振り向いて、せいぜつな笑みを浮かべた。


「──二撃もかわしたのはおまえで二人目だ……久しぶりだ。この感覚を俺は、ずっと待っていたんだ……!」


 亨はフォルテッシモが喋っている間にも走り込んでいた。斬られた鉄棒を突き出してフォルテッシモの、まだ振り向いている途中の脇腹を狙った。

 血が飛び散った。


「…………っ!」


 亨は、バラバラになった鉄棒を手から落としながら、顔を押さえて後ろにごろごろ転がりながら逃げている。

 その顔面からは血がだらだらと流れていた──右の眼が切り裂かれて、潰れていた。


「眼か──頭そのものを狙ったんだがな。身をひくのが一瞬早かったか」


 フォルテッシモは落ち着きはらって、満足そうに囁く。


「…………」


 亨は眼から手を離す。痛みにかまっているだけの余裕などない。視界が半分になってしまったが、〝線〟の方は感覚故か、変わらずに見える。

 見えるのだが──


(……ぐっ)


 新たな鉄パイプを手にしてかまえつつ、どうしようもなく震えだしてきた脚を押さえるのに懸命だった。

〝線〟は見える。ここが叩き込めるラインだというのは、わかっているのだ。

 だが……どういうことか、そこに実際に打ち込もうとした瞬間にその〝線〟が消えるのだ。まるで断ち切るのがフォルテッシモの能力であるかのように〝線〟が途切れてしまう。

 そして今の鉄棒……まさにその〝途切れた〟ところで斬られていた。

 手で触れている訳ではない──何かを飛ばしているのか? だがそれなら、その攻撃に対する〝線〟が何故見えないのだ。銃弾のラインでも亨には見えるのに──


「ふふふ……!」


 フォルテッシモはなおも迫ってくる。

 亨は鉄パイプを投げつけた。

 それは空中でバラバラになって弾ける。

 そして、それと一緒に、そのまわりに今落ちてきている雨粒も、一緒に微塵に砕けて霧吹きのように舞い散ったのを亨は片目ながらもはっきりと見た。


(…………!)


 そこには間違いなく、なにもなかった。何かが攻撃を加えるところなどまったく見えなかった。それなのに雨粒という小さな標的に至るまで命中するということは、つまり……


「く、空間そのものが……?!」


 つい呟いていた。するとフォルテッシモがにやりとして、


「なあイナズマ、世界というものが本当はどういう姿をしているか、おまえは知っているか?」


 と不思議なことを言ってきた。


「……?」


 亨が答えられないでいると、フォルテッシモは続ける。


「実はなイナズマ──世界というのは、見る者が見れば無数のひび割れでびっしりと覆いつくされているんだよ」


 フォルテッシモは目を細める。彼の眼にはその〝罅割れ〟とやらが映っているのだろうか?


「俺は物心ついた頃から、ずっとそいつを見てきた──そしてある日、ちょいと指を動かして、自分がを広げることができるのを発見したんだ。そう──イナズマ、おまえの言ったとおりだよ。〝空間〟──それが俺の力の正体」


 フォルテッシモは、わずかに両手を広げて歓声に応えるエンターティナーのような仕草をした。


「空間に走っている無数のれつのひとつを選び、ちょいと広げてやることで、あらゆるものを〝引き裂いて〟破壊することができる──それが俺の能力だ。〝フォルテッシモ〟とは、強すぎる音で旋律ハーモニーを破壊することからの連想で名付けられたこの能力のこと。ガキの頃にこれを使っているところを見つけられて、俺は統和機構に入った。なんでも連中は俺たちのような〝世にらざる力〟の持ち主のことをMPLSと呼んでいるそうだ。これに似せて人造人間を作ったりもしているらしいが──しかし未だに、俺に追いついた奴はできていないみたいだがな」


 と言った。

 亨の背筋がせんりつで凍りつく。


(く、空間そのものをどうにかする能力だと……?)


 武器ならガードできる。飛んでくるものならよけられる。だが〝空間〟など──そもそも自分が空間の中にいるというのに、どうやったらそれから身を守れるというのだ?!

 自分のが〝線〟で向こうは〝空間〟──二次元と三次元の違いがある。次元が上の存在と、どうやったら戦えるというのだろうか?!

 フォルテッシモは笑いながら、さらに近づいてくる──。


    *



(……げえっ! ふ、フォルテッシモだ!)


 こっそりと、亨の能力を確認するため接近していたパールは雨の中で、かつ遠くからでも視認できる、その薄紫の男を見て心の中で悲鳴を上げた。

〝最強〟として名高いそいつの正体までは彼女は知らない。だがその恐るべき殺傷力とそして任務達成率の高さ──というよりも失敗を絶対にしないことは伝説になっているからよく知っていた。


(な、なんてことだ! ヤツが来ていたのか……! これでは勝ち目は絶対にない!)


 逃げなくてはならない。

 もはや亨を統和機構の敵に仕立てて利用する、などという目的などどうでもよい。自分が生き延びることだけが最優先だ。

 もともと彼女が統和機構から脱走したのも生き延びるためだった。彼女のような、他の人間に偽装できる能力の持ち主を、統和機構が無条件で片っ端から処分しようとしている、という情報を摑んだからである。同型の、より強力なタイプが研究施設を全滅させて逃走したことから、そのタイプは強弱問わず一律に潜在的に危険だと判断されたのだ。それは〝マンティコア・ショック〟と呼ばれており、最近の統和機構が神経質に見境なく怪しい者を狩っている理由の一つにもなっていた。

 しかしパールはそんなことで殺されるのはまっぴらだった。

 だから逃げた。

 だから反統和機構の組織に潜り込んで、身の安全と迫る危険の対抗策をとった。

 しかし──しかしそんな小細工など、フォルテッシモが目の前にいる今では何の役にも立たない。

 なりふり構わずに、逃げなくてはならない……!

 だが、雨をさんざん吸ってぬかるみになっている土の上で靴が、ずるっ、と音を立てて滑った。

 その瞬間、ばっ、とフォルテッシモがいきなり彼女の方を向いた。

 眼が合う。


「…………!」


 パールは思わず身を強張らせた。


「おや? あれは──」


 フォルテッシモはパールの化けた穂波顕子の姿を見て、顔から笑いを消した。


「こんなところにいたのか? しかし──」


 と、すぐに亨の方に視線を戻す。


「今はこっちの方が面白いからな。後回しだ」


 そしてまた一歩前に出る。


「ぐぐ……!」


 亨はもう、じりじりと退がることしかできない。なまじ隙だとか弱点をつくことができるようになったために、逆にどうしようもなくなっていた。

 無駄なのが悟れてしまうのだ。何をやっても相手に攻撃を届かせることはできない……。


「どうした? イナズマ──」


 フォルテッシモはそんな亨の動揺を前に、挑発的に、挑発的に言った。


「さっきの、警官隊に一人で立ち向かっていった度胸はどうした? その勇ましい侍しようぞくが泣くぞ」


 ここで鼻先でせせら笑う。


「しかし……あらためて見ると、なんだそりゃ? って感じだなその格好は。馬鹿まる出しだぞ。誰かのお下がりか? しかし誰から貰ったか知らねーが、そいつはよっぽど趣味が悪いと見えるな」


 ここで亨の表情が、ぎしっ、ときしむように強張った。


「……なんだと?」

「お? 顔色が変わったな? なんだ、なにか大切な思い出でもあるのか? しかし事実は事実だからな。その服を持っていたヤツは間抜け以外の何者でもねーよ」


 くっくっくっ、とあざけ笑った。


「……黙れ」


 亨の顔がどんどん凶悪なものになっていく。