6 ②
*
「……正樹が?」
霧間凪は知らせを告げた受話器を思わず、ぎゅうっ、と握りしめた。
「容体はどうなんですか……。……そうですか。……わかりました。すぐに行きます。いえ、場所はわかります。……はい。失礼します」
そして自宅のマンションの電話を置き、凪は、ぶるぶる震える身体を何とか押さえようとした。首を激しく何度も振る。
「──なんてことだ。意識不明で
そのとき、がたん、と大きな音がした。
凪ははっ、と顔を上げた。
いつのまにかリビングと廊下でつながっている先の玄関が開いていて、そしてそこに今帰ってきたばかりの少女、織機綺が立ちすくんでいたからだ。足元にはバッグが落ちている。
「正樹──」
綺の顔面は紙のように蒼白になっていた。
*
警察の捜査は進んでいた。
検死の結果、一番最初に事件を報告してきた警官は自殺であり、それどころか他の者を射殺したのも彼だということが硝煙反応などから明らかになっており、警察内では動機がまるで不明なことなどから大問題になっていたが、高代亨たちの容疑はとりあえずは晴れていた。
大怪我を負った谷口正樹は警察病院に収容されて治療を受けていたが、これは難航していた。何で斬られたのかまるでわからない傷口が塞がらないのだ。出血が止まらず、このままでは生命が危ない。
そして高代亨は警察の取り調べを受けていたが、何を言っても呆然としているだけで全然返事のできない放心状態になってしまっていた。
しかし亨と実際にやり合った警官たちの証言などから、彼の行動は正当防衛だと認めざるを得ず、彼は重要参考人としてある程度の拘束はできても、すぐに釈放しなければならない。
「おい、一体何があったんだよ! おまえの友達は何にやられてあんなになっちまったんだ?」
「襲われたことに何か心当たりはないのか?」
「誰かの恨みを買っていたとかいうことはなかったのか?」
刑事たちはなんとか彼の口を開かせようとするのだが、亨は包帯だらけの頭を微動だにせず焦点の合わない目を空中にさまよわせるだけなのだった。
「…………」
亨はしん、と静まり返った留置場でも口を半開きにして宙を見つめている。
「…………う」
その口から、かすかな音が漏れる。
「…………うう、う」
亨の目の前に、あのフォルテッシモが立っている。
全身を雨でずぶぬれにしながら、あの男はこっちを
〝とんだ買いかぶりだったな〟
フォルテッシモの冷ややかな声が響く。
〝この勇気ある男が命懸けで作ったチャンスに、こいつは何もしようとはしなかった〟
まるで
〝まるで話にならん〟
亨の指先がばりばりと抱えている膝の肉を
〝まるで話に……〟
亨はかっと
訳のわからない叫び声をあげながら、何度も何度も叩きつける。
その音に驚いて看守の警官が飛び込んできた。
「お、おい貴様何をしている?!」
しかし亨は取り押さえようとする警官ごと身体を屈伸させて壁に頭を叩きつけ続ける。
「だ、誰か来てくれ!」
たまらず警官が上げた声も聞こえず、ただ亨の耳には正樹が言った言葉だけが響いていた。
〝敬語はやめてくれませんか。あなたの方が年上なんだし、正樹って呼び捨てでいいですよ〟
そしてにっこりと微笑んだ顔が見えた。
亨は──どこかで不安だった。
人生で、ずっと憧れを持って目標を追い続けはしたが、しかしそれはごくわずかの間に遭遇しただけのことに過ぎなかった。もしかするとそれは憧れるに足りぬことなのかも知れないと、心のどこかでいつもびくびくと怯えていた。
だが正樹と会って──そんなことはないと確信できた。彼が目指していたものは正しかったのだと保証された。
しかし──しかし亨は、亨自身が今、その憧れる資格を自らの手で破壊してしまったのだ。
「────うおおおおおおおおおおあああああああああああっ!」
亨は絶叫しながら、血を叩きつける頭から流しながら、どうしようもなく怒り狂っていた。
自分自身の、強くない部分すべてに対して。
このままでは終われない。
絶対に、なんとしてもこのままでいることはできない。
この身と魂を両方とも悪魔に売ってでも、なんとかしなくてはならない……!
*
……公園で行き倒れになっているところを保護された少年は、本来なら最寄りの警察署まで連れてこられて正式な調書を取られるところだったのだが、ちょうどそのとき
「それで三平君、君はどうするかね」
若い巡査が訊くと、少年は、
「家に帰るよ……」
と、どんぶりを持ったまま、米粒をほっぺたにつけながらぼそりと言った。彼の耳には、
「親父と母さんにあやまるよ。俺、バカだったよ……」
「それがいいな」
巡査はうなずいた。そして笑って、
「しかし……カップラーメンをこぼしたくらいで気絶するほどがっかりしなくてもいいだろう。そんなに腹が減ってたのか?」
と訊いた。
「…………」
三平はうなだれた。
本当のことを言っても、信じてはもらえまい。
……彼が死神に会ったなどと。
どうして生きていられるのか自分でもわからないのだと。いや、あるいは死神は、彼の中のとても大きな何物かを既に殺してしまった後なのかも知れない、と……そんなことは警察なんかに、いやこの世の誰であっても信じてもらえるはずがないことだった。
「…………」
彼が黙っているので、これはきっと辛い目にあったのだろうと思った若い巡査は三平の頭をくしゃくしゃと少し乱暴になでてやった。
ちょうどそのとき、連絡を受けていた三平の両親が交番に入ってきた。
「さ、三平……」
見るからに頑固親父と言った顔と体格の父親は息子の姿を認めるやいなや、たちまちその頭をぶん殴った。
「──この馬鹿野郎! 心配させやがって!」
しかし、いつもならすぐに怒って殴り返してくるはずの息子がそのままなので、彼は虚を突かれた。
息子は、ぼろぼろと涙を流していたのだった。
「……ううう」
声にならず、呻きながら泣いている。
口の動きと態度から見て、ごめんなさい、とかそういうことを言っているらしいのだが、言葉にならないのだ。
後ろに立っている母親も、目元を押さえている。
父親は振り上げた手のやり場に困り、しかし彼自身も目を真っ赤にして、口をもがもがとさせることしかできないのだった。
若い巡査は、その光景を見てなんとなく「いいねえ」とか思って微笑んでいた。