7 ③

「……に、人間だって同じよーな顔して、同じよーなことして生きているわよ!」


 なぜか、顕子はひどくムキになっている。


『それはおめーが〝特別〟だからそんなことが言えるんだよ。オレの身にもなってみやがれってんだ。自分では何にもできやしない。ただ人がオレの声を聞いてくれるのをじっと待っているだけだ。ずっとだ。何年も何年もずっと待っていたんだぜ。オレをつくった奴らには誰一人として〝声〟が聞こえなかったしな。やっと聞こえる奴ができたと思ったら、そいつは……』

「……そのひとは?」

『……サイドワインダーはそこの裏切り者になっちまった。おかげでこのザマだ。あの馬鹿は、オレを外に連れ出すためにくたばったようなものだ』


 エンブリオは苦々しげに言う。


「……あんた、そのひとのことで、辛いの?」


 顕子が訊くと、エンブリオは『はっ!』と笑った。


『そんなのは人間の感情だろう? オレは人間でも何でもない、魂のないただのエネルギーの波長に過ぎないんだぜ?』

「…………」


 顕子は顔を曇らせた。

 なせだろう? こいつがこういうようなことを言うのが、彼女にはとても辛い。どうしてそう思うのか? まるで昔の知り合いが身を持ち崩して駄目になってしまったのを見ているような、そんながあるのだ。だがそれは誰だろう?


「あんたが死んだら……そのひとはどう思うかしら?」

『知るか』

「何か言っていたはずよ。ええ、絶対に言っているわよ」

『何をムキになっているんだ?』

「言っているはずだわ! あんた、何を言われたのよ!」


 彼女は大声を上げている。


『外に聞こえるぜ』


 エンブリオに言われて、はっと口をつぐむ。


『だいたい……今のあんたはオレなんかのことでぐしゃぐしゃ考えている余裕はないんじゃねーのか? 弟のこととかあるだろう?』

「……ラジオで、子供のことには何も触れなかったってことは、つまり……」

『死体で見つかってはいない。しかも事件は終わっているからもう大丈夫、そういうことか? ははん、果たしてそうかねえ?』

「…………」


 顕子は顔を曇らせる。彼女がちょっと出かけている間に家は荒らされて、弟の姿は消えていたのだ。彼女はどうしようかと思ったが、その場にとどまっていることもできずに逃げ出したのである。危険が迫っているような、そんな気がしてならなかったからだ。


『──まー、弟に関しちゃ確かに安心だろうがな。もし例のシステムに捕まっているのなら、かえって〝保護〟されてる可能性が高い。そう、おまえから〝オレを取り返す〟ために必要だからな』

「……そんなこと言っていいの? だったら私は、どうしたってあんたを壊せなくなるわよ。弟の〝みのしろきん〟になるわけでしょう?」


 するとエンブリオはまた『へっ!』と鼻を鳴らしたような声を上げる。


『言ったろう? 連中にはオレの声なんざ聞こえてねーんだよ。区別なんかつくものか。この入れ物と同じものを渡して〝なんだか表示は途中で消えました〟とでも言えば仕方なく引き取ってくれるよ。つーか、そうしないと危険なんだぜ。なにしろ〝目覚めている〟と向こうに認定されたらオメー、もうまともな人生は送れねーと覚悟しなきゃならなくなる』

「…………」


 すでに、それはもう起こってしまっていることじゃないか、と顕子は内心で思った。


(亨さん──)


 彼女は、あの大男に会いたかった。

 たかしろ亨。サムライになりたいと不思議なことを言っていたあの男も、エンブリオの声を聞いているはずなのだ。彼女と同じ〝仲間〟なのだ。会いたい。会って、この奇妙な状況について相談したかった。

 ああ、一時はもしや人殺しではないかと疑って逃げ出してしまった、あのときにそんな迷いを持っていなければあるいは会えていたのかも知れないのに──

 取り返しのつかないことを積み重ねていくのが人生ならば、今まさに穂波顕子はそのまっただ中にあった。


    *



〈──であり、依然としてこの警官が何故このような突然のきようこうに至ったかはまったく不明のままです。現場には──〉


 テレビでアナウンサーが喋っているのを、穂波ひろしは食い入るように見つめている。

 その少年の後ろには一人の男が立っている。


「……どうやら、イカれた警官の発作的犯行と言うことに収まったみたいだな」


 背の低い男で、薄紫色の身体にフィットした詰め襟のスーツを着ている。年齢はよくわからない。少年のような顔つきだが、子供と言うには少し目つきが鋭すぎる。

 人は彼をフォルテッシモとかリィまいさかとかいう名で呼ぶが、それらが本名なのかどうかは定かではない。


「もう、高代さんと姉ちゃんの容疑は晴れたみたいだね!」


 弘は顔をぱっと輝かせた。


「警察関係で言うなら、そうだろうな」


 フォルテッシモは静かに言った。


「やったあ! これでもう帰れるのかな?」

「どうかな……警察が退しりぞいたということは、その後ろにいる連中が出てくると言うことでもあるぞ。もう少しにいた方がいい」

「ちえっ……」


 弘は舌打ちした。そして広々とした室内を見渡す。

 床のじゆうたんは毛足が十センチくらいはあるのではないかという高級品で、高い高い天井からぶら下がっているのはシャンデリアだ。それにちりばめられているのは本物のクリスタルのようである。テーブルも彼には細かい名前はわからないが、本物の高価な木をそのままムクでけずりだした物のようだ。ソファも馬鹿みたいに大きくて必要以上にふかふかしている。

 そして目の前のテレビも彼の家の物よりも画面が二倍は大きい代物だ。横にはどでかいスピーカーがついている。高級品揃いの部屋なのだ。

 そして──窓の外を見れば、眼下に街並みが一望できる。

 ここは高層建築の、超高級ホテルのスイートルームなのだった。

 当然、警官なども誰もここには来ない。こんなところにいるとは誰も思うまい。まさに盲点である。

 フォルテッシモが〝安全な場所に行く〟と言ったとき、弘はてっきりもっといかにも隠れ家って感じのうらさびれた倉庫みたいなところに行くのかと思ったら、いきなりこんなところだったのだ。しかもフォルテッシモはホテルのフロントで完全に顔パスであっさりとこの部屋を取ってしまったのである。いったい一泊するのにどれくらいかかるのだろうか?


(とんでもない金持ちなのかなあ……?)


 得体の知れないたたずまいからして、ただ者ではないとは思ってはいたが。


「でも学校はどうすんだい? 明日はもう月曜日だぜ」

「休みますという連絡をすればよかろう。君は落としそうな授業とかあるのか?」

「いや、別にないけど」

「では一日二日風邪をひいたと言っても教師は信じるだろう」

「……まあしょうがねえか。なあ姉ちゃん」


 弘は顔を横に向けた。

 そこにはさっきからずっと黙ったままで、穂波顕子が座っているのだった。


「……え、ええ。そうね」


 穂波顕子である……どう見てもそうとしか見えない。だが本物の穂波顕子は深陽学園裏手の洞窟でひとり膝を抱えているのだ。ここにいるこの彼女はその姿を借りているだけである。

 名前はパール。

 人間に似せて創られた人造の生命体である。能力は常人離れした戦闘力と、そして他の人間に成り代わることのできる変身能力である。それで穂波顕子に化けているのだ。かつてはとうこうに属していたが、裏切って逃走し現在は反抗勢力に身を投じている。

 その目的は統和機構が秘密の研究を進めていた特殊装置ジ・エンブリオの回収にあったのだが……


(くそっ、あのサイドワインダーがトチ狂っていきなり売るはずのエンブリオを持って逃げたりするから、こんなことに……!)