9 ①
スワロゥバード。人間としての通称は
彼女は統和機構の合成人間の一人だ。任務は特にない。というか、潜入型の統和機構の合成人間の基本的な任務はすべて〝MPLSの発見、及び対応〟もしくは〝裏切り者の発見、及び排除〟であるから、それ以外には特に任務はない、というべきか。
だから〝その任務〟は立場的にもその場所に行きやすいスワロゥバードに与えられた。一流ホテルなら、女優がいくら行っても怪しまれない場所だ。いや別の意味では、有名人の女が一人でホテルに行くというのは怪しまれるかも知れないが、そういう関係の方の疑いなど統和機構には何の問題もない。
(とはいえ……)
毛皮のコートにサングラスと、いかにもな格好の彼女は、その豪華な内装の一流ホテルのエントランスを進みながら、内心で考える。
(統和機構のことだから、おそらくはこの任務に対して私がどのような反応を見せるのか、それも当然モニターしているわけよね……)
なにしろ相手が相手だ。
フォルテッシモ。あの最強と名高い男(だか女だか彼女は知らない)の様子を探れというのは、つまり相手にもしも本当に反抗の意志があるなら〝まず殺されてこい〟という意味でしかない。
(どうする……?)
あまり目立つ存在を統和機構は好まない。つい先日も一人やられているのを彼女は知っていた。
それより何より、実際に彼女は内心では既に統和機構に対して忠誠意識がなくなっている。なんとかできるものなら、なんとかしたいところだ。
「瀬川様ですね?」
フロントのホテルマンがお
「予約した部屋、
「はい、もちろんでございます」
「一流だって聞いたから来たけど、大丈夫でしょうね?」
何が一流だ、と心の中では思う。ゴテゴテしている雰囲気は、シンプルなものが好きな彼女の
「はいそれはもちろんでございます。きっとご満足いただけるはずです」
彼女はサインをして、部屋のキーを受け取った。そしてトランクを運ぶベルボーイと一緒にエレベーターに乗る。
下の階にあるショッピングモールを過ぎて、部屋まで直通状態になったところで、
「──鍵だ」
とベルボーイが差し出してきた。
「どうも」
スワロゥバードはフォルテッシモと穂波姉弟が潜伏しているスィートルームの合い鍵を受け取る。
この連絡員は人間だろうか、合成人間だろうか──と彼女は考えたが、しかし知ったところで意味はないな、とすぐに割り切った。
それよりもフォルテッシモというのがどんな奴なのか、そっちの方が問題だ。
(
もし奴が本格的に統和機構に逆らうつもりであれば、自分はどうすべきか?
もしも噂が本当であるなら、奴の戦闘力は破格のはずだ。とても勝負にならない。彼女に戦う気はない。といっておとなしく彼女を逃がしてくれるとも思えない。
(どうする……?)
エレベーターが彼女が予約している階に停まると、ベルボーイがさっさと荷物を持って出ていってしまう。しかし彼女は降りずに、さらに上に向かわなくてはならない。
「…………」
彼女はエレベーターが到着するまでの間中、ずっと悩んでいた。だがそれは危険な発想であるため、独り言ですら口にはできないことだ。
もしかすると、これは逆にチャンスなのかも知れない、と──。
(もしも、フォルテッシモが裏切るとなったら、一緒についていった方がいいのかも知れない……そうとも、なんといっても〝最強〟なのだ。おそらくこれほど頼りになる味方はいまい……しかし)
それもフォルテッシモが仲間を欲しがるタイプかどうかわからない。そんなものはいらぬ、と言い出したら彼女は統和機構からは裏切り者で、フォルテッシモにも無用の者ということにされるわけで行き場がなくなる。それだけは絶対に避けねばならない。
(どうするか……)
決めることができないまま、スワロゥバードはフォルテッシモと穂波姉弟のいるスィートルームに到着した。
エレベーターが開くと、もうそこはスィートのフロアの一角である。通路はあるが、他の号室などはない。いくつかある部屋はすべて同じ客のためのものだ。
「…………」
彼女は一歩、その中に足を踏み入れた。
辺りはしーん、としている。
「ミスター・リィ。いらっしゃいますか」
声をかけた。
しかし返答はない。
「ミスター……?」
とりあえず近くの部屋のドアをノックしてみるが、ちゃんと閉まっていなかったらしく叩いたら開いてしまった。中には誰もいない。
「……これは」
彼女はあちこちをのぞいてまわったが、やはりどこにもフォルテッシモと穂波姉弟の姿はない。消えていた。
「……どういうことだ?」
彼女は混乱した。いったいどういう風に報告すればよいのかわからなかった。そもそもフォルテッシモは本当にここにいたのか?
(……統和機構が、私をテストするための引っかけじゃなかったのか?)
そうとでも考えない限り、どうやったら高層建築のホテル最上階の部屋から誰にも見つからずに逃げ出すことができるというのだ?
とにかくフォルテッシモがここにいないのは彼女の責任ではない。ここはひとまず報告に行かなくては。あの、さっきの連絡員だ。あいつは彼女が泊まる手続きをとった部屋にいるはずだ。
(くそ、いったいどういうことなんだ?)
スワロゥバードはエレベーターに乗って、下の階にまた降りた。
そして予約の部屋に入るなり声を上げた。
「おいどういうことだ! フォルテッシモの影も形も──」
と、その声が途中で停まる。
「──え?」
連絡員は確かにそこにいた。ただし彼は、部屋の真ん中で倒れて、白眼をむいていた。ぴくりとも動かない。
そして、その向こうのソファに一人の男が座っていて、彼女の方に話しかけてきた。
「影も形も、別に隠れてはいないな」
そう言って、くすくすと笑う。
「…………」
その、まるで少年のようにも見える男のことを彼女は知らない。だが間違えようがない。
「あ、あなたが……フォルテッシモか?」
意外だった。まさかこっちに来ていたとは……。だが考えてみれば、誰にも見つからずにホテルから出られるはずがない以上、降りていないとみるのが自然──盲点を突かれた。
「えーと、あんたはなんていう名前なんだ?」
フォルテッシモは立ちすくんでいる彼女に訊ねる。
「スワロゥバード、です」
「なるほど、いい名前だな」
フォルテッシモはうなずく。
「それでスワロゥバード、あんたは統和機構から俺の様子を探れという指令を受けて来たわけだな?」
「……そうです」
素直に答えてしまう。逆らっても無駄──それが彼女にはわかっていた。彼女には人の心の様子を、その強化されている視力で顔の皮膚の様子を観察して見抜くという能力がある。それでわかる。
こいつは、彼女を殺すことなど何とも思っていないし、そして余裕はあっても油断などまったくしていない。もし彼女が不審な動きをしたら、即座に攻撃してくるだろう。