9 ②
そして──それとは別に、特に彼女自体には何の敵意もない。それも確かなことだった。何のつもりかわからないが、このフォルテッシモは統和機構を裏切っているわけではないのだ。
「それで、どうするつもりだ?」
フォルテッシモはニヤニヤ笑っている。
「……殺したのですか」
彼女は倒れている連絡員に目をやった。
「だったらどうする?」
「いえ、あなたに身分を明かせなかったこいつが哀れだったな、と思うだけです。はっきりと構成員であると知らせないで接近したのですから、不用意だったと言えばそうですが」
彼女は淡々と言った。内心ではがたがた震えているのだが。
「ふむ」
フォルテッシモは感心したように鼻を鳴らした。
「冷静な判断だ。俺が今どっちにいても通用する答え方だな。なかなか頭がいいな」
「……どうも」
「俺が今どっちにいるのか、気にならないのか? ──ああ、愚問のようだな。もうわかっているわけだ。なるほど、そういう能力か」
フォルテッシモは一人うなずいている。これではどちらが顔色を読んでいるのかわからない。
「能力でもわからないことはありますが」
彼女が言うと、フォルテッシモはニヤリとした。
「そりゃそうだろうな。で、念押しの確認をするわけか?」
「その必要があれば、ですが」
「と、あんたはそう思っているが、実際のところはどうなんだろうな?」
「……と言いますと?」
「統和機構は、とにかくあんたを寄越して、それで反応を見ているのかも知れない。なにしろ連中、俺のところには一言も言ってこないからな」
「……?」
何やら訳のわからないことを言われてスワロゥバードはとまどった。
「あんた、なんで急に自分が派遣されてきたのか、その理由を知っているか? フォルテッシモの様子を何で急に探らなきゃならないのか、その必要性について知っているか?」
相変わらず、フォルテッシモは笑っている。スワロゥバードは背筋が寒くなってくる。なんだ? こいつは何を言おうとしているのだ?
(まさか──私に〝知っていてはいけないこと〟を吹き込もうというのか?)
それを彼女が知っていれば、それだけで統和機構に処分されるような、そういうものを──
「……知る必要性がありませんので」
彼女はなんとか声を絞り出す。
「そうか、ならば〝知りたくなければ俺が今ここであんたを殺す〟と言ったら、どうするね?」
その目つきは、完全に本気だった。嘘はついていないし、冗談を言っているのでもなかった。
「…………!」
スワロゥバードは絶句した。
……二人が話しているその様子を、横のベッドルームからパールと穂波弘も
(くそ、私がいたときとはもう
パールにも理解不能である。彼女たちはフォルテッシモと一緒に上のスィートから移動させられてきたのである。
「しかし……あれって瀬川風見だよな?」
弘は部屋に入ってきた女を見て、目を丸くしている。
「あんな有名人が、裏でなんかやってるなんて信じられねえよなあ……」
と言いながらも弘は妙に感動しているようだ。
せっかくフォルテッシモが側にいないと言うのに、逃げる道がない。入り口は連中が居座っている部屋にしかないのだ。窓はあるが、地上二十階である。飛び降りて生き延びられるだけの能力はパールにはない。他の部屋の窓に飛び込むか、壁を破ろうかとも思うが、そうやって正体をバラしてしまえば、フォルテッシモと、今来たばかりの奴から逃げ切ることはできないだろう。
(……まだだ。まだチャンスは来ていない……)
今はまだ、待っているしかないのだ。
フォルテッシモはどうやら監視役の女をいたぶっているようだ。女の顔色は今や
連中は、なおも何事かを話している。
「……どうして私が知らなくてはならないのですか?」
スワロゥバードはそれでも質問する。黙っていたら、それだけで何をされるかわからない雰囲気が目の前の男にはあった。
「それはだな、ミズ・スワロゥバード。知らないフリをする方が、何も知ろうとしないよりも賢いやり方だからだよ」
フォルテッシモは笑いを消した。
「統和機構に於いてはなおさらだ。あんたがここで何かを知ったとして、黙っていれば誰にもわからんが、知らないでいるとそれに対応することもできないぞ。違うか?」
「…………」
監視役に言う科白ではなかった。だが──スワロゥバードはうなずいていた。
「そうですね」
「話がわかるな」
フォルテッシモはまたニヤリとして、そして持っていた携帯の電子手帳を投げてよこした。
スワロゥバードはそれを受け取って、画面を見る。
そこには奇妙なことが書かれていた。
『ffに告ぐ。INNAZZUMAは汝に今一度挑戦する』
という意味の文章と、そして訳のわからない記号と数字が並んでいた。
「……これは? あなたに?」
エフエフというのがこの男のことだというのは音楽記号からの類推で見当がつく。記号は暗号で〝場所と時刻〟だろう。だがイナズマというのは何だろう?
「あちこちに送りつけられ、色々なところに書き込まれているらしい。当然のことながら統和機構の
「…………」
スワロゥバードは画面を
統和機構はこの男に直接訊けばすむはずのことを、わざわざ彼女を派遣して確かめようというのだろうか。それも彼女には事の
(やはり、私はこの男が裏切っていたときにまず殺されるために送り込まれたのか)
それは確かだ。つまりこの男はそれほど特別に慎重な扱いをされるほど強いということか。
「……なぜですか?」
唐突に彼女は訊いた。
「ん?」
「なぜ、あなたは統和機構と戦おうとは思わないのです?」
無茶な話とは一概に言えない。それだけの力はあると思われる。
「…………」
フォルテッシモは
「あんたは……どこまで知っている?」
「え?」
「統和機構について、どこまで知っているんだ? たとえば
真剣な顔で訊いてきた。
「まさか──何も知りませんよ」
スワロゥバードの方が
「俺もない。だからそいつが〝議会〟みたいに複数で構成されているのか、それとも〝影のボス〟って感じで誰か個人が仕切っているのか、まるでわからん。あんたはそれを知りたいと思うか?」
「……興味がないと言えば嘘になりますが」
「どうせわかりっこない、か?」
「そういうことですね」
「俺はちと違う。俺はその辺のことを……知るのが
フォルテッシモは苦い顔になった。
「考えただけでも嫌になるんだ。もしかすると、統和機構の中心というのはどうでもいいような空っぽの存在なんじゃないかと思うと、たまらなく不愉快になる……それでは全然、歯ごたえというものがないからだ」
「歯ごたえ?」
「統和機構というのは、俺がこれまで出会ってきた中では一番でっかいものだ。だから、とりあえずくっついている。他の者では俺には相手にも何もならないからな。とりあえず力を使う場所と機会を提供してもくれるしな……だが」
フォルテッシモはまたスワロゥバードを睨みつけた。