9 ③

「だがその肝心の部分が、実は俺よりもまるっきり弱っちい、たとえば管理プログラムみたいなものに過ぎないのだとしたら……俺と対等の者はいったいどこにいるんだ? そんなものはこの世のどこにもいないことになってしまう──それがどういうことか、あんたに想像がつくか、ミズ?」

「────」


 その眼の鋭さに、スワロゥバードは返事ができない。といって眼をらすこともできないのだった。


「あんたは、俺の〝相手〟になってくれるか? それだけの力があるか? もしあるというのなら、俺は喜んで統和機構を裏切って、あんたの敵になってやるぞ」


 淡々と、しかし底の方で凍りついているような声で彼は話している。スワロゥバードはもはや顔色を読むどころの騒ぎではない。読む必要も何もない。こいつは何も隠してなどいないのだ。


「あんたが統和機構に逆らうというのなら、それもいい。なんだったら、俺があんたの代わりに統和機構を敵に回して戦ってもいいぞ……ただし、それはあんたに、俺の力に匹敵するような〝理由〟があればの話だが──どうだ?」

「…………」


 どうだ、も何もない。無茶苦茶なことを言われている。しかしどう返答すればよいと言うのか。この男の、孤独の闇の深さは誰にも埋められない。まともに答えては、おそらく彼女の生命はない。何とかごまかさなくては──。


「……あの、挑戦状」


 スワロゥバードは無理矢理に言葉をつむぎ出す。


「フォルテッシモ。あなたは、あれを受けるつもりなのですか? そして監視役の私にそれを見逃せ、と?」

「…………」

「そうであるならば、私はあなたと行き違いになってしまったと報告しますが。そして見つけるのはその〝期日〟が過ぎてからでもいいですよ」

「…………」


 フォルテッシモは彼女から視線を外さない。だが、その眼からは鋭さが少しだけ薄れて、他のことに注意が向いていくようだった。


「……どうかな。それだけの価値がアレにあるだろうか、俺は決めかねている」

「あなたでも悩む──少なくとも、それだけのものがあれにはあるということですね」


 背景などまったくわからないし、わかりたくもなかったがスワロゥバードはとにかく自分からほこさきを逸らすためにそんなことを言う。


「……かも知れん」


 フォルテッシモはささやくように言う。そしてそこで「ふふん」と鼻で軽く笑った。


「〝そういうことにすれば、自分はこのばけものりあわずにすむ〟──そう思っているんだろう?」

「……私がどうであれ、問題はあなたの心の中のことだと思いますが」


 スワロゥバードは一歩も引かない。ここで引いたら──この男に失望させたら、それだけで終わりだとわかっていた。


「…………」


 フォルテッシモはしばらく無言だった。


「あ……話が終わったみたいだ」


 弘が呟いている間にも、何事かぶつぶつ言っていた二人の対話はケリがついたようだ。瀬川風見は倒れている男をかついで、部屋から出ていく。男の腕がぴくぴくとけいれんしているところから見てどうやら殺されてはいなかったらしい。

 そして一人になったフォルテッシモがこっちの方を向いた。


「もう、出てきてもいいぞ」


 そう言われたので、弘とパールはベッドルームから顔を出した。


「いったい何を相談していたんだい?」


 弘が無遠慮に訊くと、フォルテッシモは肩をすくめた。


「時間がない」


 いきなり意味不明のことを言った。


「へ?」

「こっちばかりが〝正統〟で〝挑戦を受ける〟というのもつまらんからな。多少の理由も向こうに与えないとフェアじゃないだろう」


 一人で喋っている。


「? ? ……なんのことだい」


 しかし答えずに、フォルテッシモは、ちょい、と人差し指を動かしながらパールの方に向けするといきなりパールの全身から力がと抜けて、床に崩れ落ちた。


(…………!)


 パールは穂波顕子の姿のまま、ぴくりとも動けなくなってしまった。外から見るとまるで死んでしまったみたいだが、しかし彼女の意識ははっきりとしている。何かをされたのだ。


「な……」


 弘は呆然としている。


「ね、姉ちゃん……?」

「脳幹神経の一部に空間の〝隙間〟をつくった……だから身体をまったく動かせないが、生命に別状はない。空間をくっつければ元に戻る」


 フォルテッシモが冷ややかな声で告げる。


「ど、どういうことだよ?!」

「〝人質〟ということだ。高代亨に対しての、な」


 さらりと言ってのける。


「奴はとらわれの乙女おとめを救うために戦う勇者というわけだ。屈辱を晴らすために挑んでくるだけの奴など、俺としても相手にしたくないんでな。それでは、これで奴を倒したら、まるで俺がこの前はやり損なったみたいだからな。それなら〝悪役〟になった方がこっちもすっきりするというものだ」


 何を言っているのかまるでわからない。とにかく弘は彼の姉を掴んで揺さぶった。

 脈はある。呼吸もしている。だがまるで動かない。全身がゴム細工の人形になってしまっているかのようにぐにゃぐにゃなのだ。


「ち、畜生! 姉ちゃんを元に戻せよ!」


 フォルテッシモに掴みかかっていく。

 だがフォルテッシモは、彼が殴ろうが蹴ろうがびくともしない。まるで岩のかたまりを叩いているように、その服から何から何までがなのだ。なんだこりゃ? と弘は訳のわからない現象に絶句する。


「おまえ、そんなに〝姉貴そいつ〟が心配か?」


 フォルテッシモはニヤニヤ笑っている。


「だったらそいつを背負って、一緒に来るがいい。最初に言ったろう? は助けてやるとな。危害は加えないよ。ただし──あとで後悔するなよ」


 そう言って、動かない少女の方に「なあ?」とあごをしゃくってみせる。


(…………)


 パールはそんなフォルテッシモの眼に、しかし恐怖を感じてはいない。それどころか内心で、


(──来た! これこそ、ずっと待っていた機会だ……!)


 と思っていた。ここで彼女を殺さなかった以上、フォルテッシモは彼女を生かして何かに利用することが確実になった。今は動けない状態にさせられているが、必ずこれを解除するときが来る。そしてそのときこそ、生き延びて逃げ延びるための唯一無二のチャンスなのだ──。


(そうだ……私はあきらめない、絶対にだ……!)


 そしてそんなパールをかき抱いている弘は、


「い、一緒にって……どこに行く気なんだよ……?」


 と震える声でフォルテッシモに訊ねる。


「ん? そうだな……」


 彼は電子手帳を覗き込む。


「暗号なんでな──正確な場所は行ってみないとわからないが、だいだいの見当で言うと──おやおや、こいつは意外だな」


 ほっ、と息をもらす。


「街のまっただなかだ。高層ビル街のど真ん中だぞ、こいつは」


    *


 その日は見事な晴れではあったが、まるで台風並みに風の強い日だった。

 植木は大きくしなり、通りにはつちぼこりが舞っているために人通りも少ない。どこかに落ちていたビラがくるくると回りながら飛んでいく。

 やむなく道を行く人も、身体をややまえかがみにしていたり、かばんを飛ばされまいと押さえ込んでいたりする。

 その中で、一人の男がまるで風などないように、悠然と歩いている。せているが大きな男だ。彼の長いほうはつの方は、これは乱れに乱れているが男は気にしないようだ。

 彼はTシャツにジーパン、その上にベルトなどの装飾がひとつもない、シンプルなコートという格好だ。まるで似合わぬゴルフバッグを背負っていて、サングラスを掛けている。その眼鏡の下の右頬には、ひきつれた傷痕がはみ出している。


「…………」


 高代亨である。


「風か──ちと、まずいかも知れないな」