10 ⑥

 そこに、顕子はぼんやりとした〝死〟を見るが、それはさっきもそうだったように……いやそれよりさらにおぼろげにしか見えていない。


「あ……」


 その表情を読んだのか、ブギーポップはうなずいて、


「やはり能力が切れかけているな。もともとわずかな量しか残っていなかったのだから当然だが」

「の、残っていなかった、って──」


 顕子は何を言われているのか、訳がわからない。


「なんのことよ? わ、私はこの力を使って、死にかけた人を助けたり──」


 言いかけたところで、ブギーポップが「はっ!」と馬鹿にしきったように鼻を鳴らした。


「君はにあの能力を使っていたのか?」

「……な、なによ!」


 ひどく意地悪をされているような気がしてきて、顕子は思わず声を上げてしまった。


「君は、自分にそんな〝生命をどうのこうのする〟だけの理由や資格があると思っていたのかい?」


 ブギーポップの声はやはり冷ややかだ。


「そ、それは」

「そうだ、そんなものあるわけがない。君は所詮ただの女の子だ。そんな使いようによっては世界をつくりかえてしまいかねない能力などあるわけがないんだ。それは君の能力などではなかったのだ。借り物だったのさ」


 まるでどうしても引き算を理解できないで困っている子供に向かって〝どうしようもねえな、この馬鹿は〟と言っているような、それは悪意に満ちたものの言い方だった。


「…………」


 顕子は言葉に詰まる。だがブギーポップは容赦しない。


「君がやっていたことは、他人が血の吐くような思いで獲得したり、使いこなそうと懸命に努力していたことを〝だって難しいんだもの〟と投げやりに扱っていた、そういうことに他ならない。君はその能力に気がついて、それをのろったりしたんじゃないか? だがその程度の苦悩など、それをもともと持っていた者のかつとうに比べればささいなものだったろうよ」

「…………」

「その能力──それは生命を救う能力なんかじゃない。その逆だ。反対なんだよ。それは〝死をせいぎよする〟そういう能力なんだ。本来の持ち主、ぼくの敵であったほしすいはその能力のことを〈奇妙な生活ストレインジ・デイズ〉と呼んでいた。君にはわかるまい。彼女はそれと物心ついたときからずっとつきあってきたんだぜ。君などせいぜいが数日といったところだろう。それで〝苦悩〟などというのはおこがましいとは思わないか?」

「…………」


 顕子は、全然話が理解できないにも関わらず、ひどく動揺していく自分の心に戸惑いを隠せない。


「君はかつて彼女に利用されていた。いや、あるいは彼女としては利用していたという意識はなかったかも知れない。あの当時の〝巫女〟だったときの君にも利用されていたという気持ちはなかったろう。君たちはあのとき、一体となっていたのだから。あの〝終わりのない夢〟のために、君たちは皆、誰が上ということもなくお互いに利用しあっていたのだろう」


 ブギーポップはため息をついた。


「ま、それもこれもみんな、今となっては誰も覚えていないわけだが。記憶はすべて彼女があの世に持っていってしまったのだからな」

「……わ、私は……あなたに会ったことが、あるのね……」


 顕子は震える声で言った。


「私の、この能力はその、あなたの敵という人のもので、私もかつて、あなたの敵のひとりだったことがあったのね……」


 言いながら、顕子はぼろぼろと涙がこぼれてくるのを自覚した。おかしな話だ。自分では何で泣いてるのかわからないのに、どうしてか涙が後から後から出てきて止まらない。

 とてもとても大切なことだったような気がする。

 だがそれは今ではもう彼女の中にはないのだ。それだけが確かな事実として感じられた。忘れたのなら思い出せばいいだろう。だが彼女の無意識はそれがもう〝ない〟のだということを理解していた。


「ま、幸いだったよ」


 彼女が泣いていても、ブギーポップはまるで動じないでない口調で言う。


「その能力の欠片かけらがそのまま残っていたら、君は遅かれ早かれ君の中で成長し続けていたその可能性の大きさに押し潰されて死んでいただろう。未熟なうちにさっさと出てくれて良かったというところだ。とりあえず君から能力を引きずり出した〝たまご〟に感謝するんだな」

「……!」


 顕子は我に返る。

 そうだ。今はなくした過去よりももっと重大なことがあるではないか。


「あ、あなた──エンブリオをどうするつもりなの?」


 こいつは、どうやらあの卵形を手に入れるために、わざわざこんなところにまで出向いてきたようだ。


「なるほど、エンブリオという名前なのか。さあて、どうするつもりだろうね?」


 せせら笑うように言われる。


「危険な物として破壊してしまおうか? それともこれを使って色々な奴から可能性を無理矢理引き出して、敵となるはずの者を芽のうちにみ取ってしまおうか?」


 あきらかに面白がっているような、悪意のあるきんしんな態度だった。だがそのことに顕子は怒る余裕はなかった。彼女はさっきの涙の跡を頬に残したまま叫ぶように言う。


「お願い──殺さないで!」


 するとブギーポップはちょいと片眉を上げて、


「しかしぼくの仕事は殺すことなんだがね」


 と冷ややかに言った。


「でも、でもエンブリオは悪くないわ!」

「過去にぼくが殺してきた者の中には別に悪くもなんともない者だっていた。ただ彼らは世界と相容れなかったと言うだけだ。エンブリオはどうだろうね」

「──そ、それは」


 非常に危ないものを秘めている。それはこの間の〝カウントダウン〟で証明済みだ。だがそれでも……。


「そ、それを言ったらこの世に、完全に危なくないものなんかあるの? どんな人だって、どんなものだって、一歩間違えば世界中を危なくさせる可能性があるんじゃないの?」


 我ながらおおなことを言っている、と思う。でもそれは本音でもあった。そうだ、借り物だったかも知れないが、それでもこんな自分が、世界中の生命すべてを集めてひとつにするような能力を持っていたりしたのだから、どんな人にだってそういう危険性はあるはずだ。


「それは自分のことを踏まえて言っているのかい?」


 やはり見抜かれていて、意地悪く訊き返された。

 でも顕子はひるまなかった。


「そうよ──だって私は〝所詮ただの女の子〟なんだから……! それでもあんなことになったんだから……! だったらそれは誰にでもありうることで、だからそれは、それはエンブリオのせいなんかじゃなくて……!」


 必死で声を出しているつもりだったが、なんだかかすれて頼りない声になってきた。

 どうしてこんなにエンブリオを自分はかばうのか、顕子は考えていない。

 エンブリオ自身はことあるごとに〝オレを殺してくれ〟とすら言っているのに、どうしてこんなに懸命に救おうとしているのか、彼女は自分でもわかっていない。


「では誰のせいだと思う?」


 ブギーポップの方は、とちりまくる彼女に対してあくまで平静だ。


「そ、それは……」

「誰のせいでもないと言うつもりかな」

「それは──それはだわ!」


 顕子はほとんど叫んでいた。


    *


 …………さん、……かしろさん、高代さん……!

 耳元で繰り返されていたその声がぼんやりと聞こえてきたところで、目覚めた高代亨はと跳ね起きた。


「──!」


 周りはなにやられきの山だ。さっきの〝床抜け〟でフロアをいくつか転落してしまったらしい。フォルテッシモとあの穂波顕子の偽者はいない。別の場所に落ちたようだ。

 そして、亨は一緒に落ちた穂波弘の方を向く。


「高代さん! よかった、無事で──」


 亨に抱え込まれて落ちたために無傷な弘は泣きそうな顔をしている。

 だが亨はそんな彼の様子は無視して怒鳴った。


「どのくらいだ?!」

「え?」