11 ③

    *


(なんなのだ、こいつは……?)


 フォルテッシモは、突如現れた謎の黒帽子に混乱していた。

 敵なのかどうかはっきりしない。だが味方と言うにはどうにも……得体が知れなさすぎた。

 の距離は約十二メートル──彼の間合いからは少し離れている。普段なら無条件でどんどん接近していくところなのだが、何故かそうすることが躊躇ためらわれて、フォルテッシモはその場に立ち停まっていた。そしてそんな彼に向かって、


「しかし──君はいつもそうなのかい?」


 と黒帽子はせせら笑うような調子で話しかけてきた。

 フォルテッシモは眉を寄せた。


「なんのことだ?」

「初めて会う人に、そんな風に睨みつけるみたいな目つきを向けるのかい? そんなことではいい友達に恵まれないぜ」


 まるで屈託というものがないようなものの言い方だった。


「──よけいなお世話だ! いったい貴様は何なんだ?! そんなれつな扮装しやがって!」


 彼が怒鳴ると、黒帽子は心外そうに、


「そんなに変かな? わりと気に入っているんだがね。そう言えば竹田君しりあいにも変だと言われたっけ」


 とわざとらしい〝がっかり〟ぶりでため息混じりに言った。


「そんなことはどうでもいいだろう!」


 フォルテッシモはほとんど切れそうになっていた。


「貴様は何者だ? その目的は何なんだ?!」


 どうしたって統和機構のメンバーとは思えなかった。と言って反抗組織の者というのも全然似合わない。正体不明としか言いようがない。


「ぼくの名前なんぞは大して意味はないよ。しかし目的の方は、とりあえず君にも関係のあることではないかな」

「……なんだと? なんのことだ?」

に、君としては心当たりがあるんじゃないのかな」


 そう言って黒帽子が掲げて見せたのは、卵形のゲーム機用携帯端末だった。


「────?!」


 フォルテッシモの顔が強張った。


「そ、それはまさか……」

「君らは〝エンブリオ〟と呼んでいるらしいな」


 黒帽子はさらりと言った。


「穂波顕子さんのことを、君たちがこれ以上かまわないと約束するなら、まあ渡してもいいんだが」

「貴様、あの娘の関係者か……?」

「昔の、ね。彼女は二年前にあんなことがあったのに、それでも無事に生き延びることができたんだ。こんなくだらない事件で命を落とすことはない。もっとも昔のままの彼女であれば、自分も水乃星透子の跡を追ってイマジネーターと化す道を選ぶかも知れないがね、それではぼくの方が面倒くさい」


 まるっきり意味不明のことを勝手に喋っている。


「貴様、そのエンブリオが何なのかわかって言っているのか?」


 黒帽子のともいえる調子に、フォルテッシモはいらちながら問い返す。


「もちろんだよ。ついでに言うなら、おそらくは君たちが知らないことも知っている。たとえば、だ──」


 黒帽子はエンブリオの他に、もう一つマントの下から何やら取り出してみせた。

 それは小さな、銀細工のペンダントだった。エジプト十字架というのか、T字型をしたアクセサリーである。


「君たちも知っているだろうが、生命というのは〝波長〟なのだという考え方がある。生き物を細かく分析していくと、ただの物質と生きているものを隔てるのは難しくなっていく。だがその中でも生命には、他にはないある種の電気信号の波紋というか、継続するある種のパターンというものがあると、そういうことはわかっている。このエンブリオは、自分では生命だと思っていないかも知れないが、物質と波長と、この二つがあることでとりあえず生命の資格はあるとぼくは思う」

「──だからなんなんだ!」


 いきなりの講義に、フォルテッシモはさらに苛立つ。何を言おうとしているのかさっぱりわからないからだ。

 黒帽子はそんな彼にかまわずに言葉を続ける。


「ただし、エンブリオの極端なところは、その波長それ自体と物質の方に切実なつながりがないということだ。だから共鳴現象を利用すれば──もできる……」


 そう言いながら、黒帽子はそのエジプト十字架を、エンブリオのゲーム端末にこんこんこん、と奇妙なリズムで細かく、複雑なテンポで叩いた。

 そのとき生じた現象を、フォルテッシモの優れた視覚は確かに捉えた。


「────!」


 黒帽子がスイッチに触ってもいないのに、そのゲーム端末の液晶ディスプレイに表示されていた〈EMBRYO〉という文字がすうっと消えて、熊だか猫のような二頭身キャラクターの画像に切り替わったからだ。

 そして一瞬、エジプト十字架の方がなんだか〝ぶるるるっ〟と身震いするような動き方をした。


「……というわけだ。おわかりかな」

「な、なにをしたんだ? まさか──」


 エンブリオを、その本体たるエネルギー波長を〝そっちからこっち〟へと移したというのか……?

 まさか。そんなことは統和機構の、専用の特別な設備でもない限りできっこないことのはずだ。それを、あんなに簡単に──。

 その認識に至ったとき、フォルテッシモの身体がぶるっと震えた。


「貴様──ただの変人ではないな」


 その声には、隠そうとしても隠しきれない笑いが籠もっていた。


「おや、表情が変わったね──なるほど、それが君の〝趣味〟というわけか。自分と対等に近い強い相手と戦いたがり、そしてそれは何物にも優先するようだね」


 黒帽子も似たような調子で返す。


「だが君には悪いが、今この場所でぼくらが戦うことはできないな」

「なんだと? どういう意味だ」


 フォルテッシモの眉が寄った。こいつが怯んで、ごまかしでこんなことを言っているのではないことはわかる。そういう性格とはとても思えなかった。

 すると黒帽子は肩をすくめた。


「その意味は、君はもう知っているだろう?」


 そしてあっさりと、エンブリオが入っているエジプト十字架のペンダントをとフォルテッシモの方に放り投げてきた。

 フォルテッシモはそれを受けとめた。すると、だしぬけにそいつが口を利いた。


『よお相棒、よろしくな』


 フォルテッシモはぎくりとした。

 そして、その瞬間である。

〝スフィア〟全体を凄まじい衝撃が走って、建物中に爆音が轟いた。


「……な?!」


 と顔を上げたフォルテッシモの目にまず飛び込んできたのは、真っ赤なせんこうだった。


 炎──


 それが建物の至る所から噴出して、床を走り、天井をめ、壁を埋め尽くしていくのだ。


「こ、これは……?!」

「どう考えても、どこかから失火したわけではないだろうね」


 黒帽子の声が、炎の唸るごうおんの向こう側から聞こえてきた。

 その距離は縮んでいないにも関わらず、炎があいだに挟まったために、ひどく遠い存在と化したように思えた。


「こ、これは貴様の仕業か?」

「そんなわけないだろう。ぼくは君たちがここに来ることも事前には知らなかったんだぜ。こんな大仕掛け、前もってやっておかなければできるものでもないだろう」


 言われて、フォルテッシモはとなる。

 これはまさか、あの男が……?

 他に考えられない。さっき穂波弘を逃がそうと走ったりしたのは、この炎が生じることを知っていたからに違いない。しかしいったい何のためだ?


「……あっ!」


 いや──それは明らかだった。奴は言っていた。

〝特殊な環境下であれば──〟

 これは、そのための仕掛けなのだ。


「す、すると……」


 まだ終わっていない──そういうことなのか。

 奴が待っていたのは〝これ〟だったというのか……?


「そういうことだな。君にはまだやらなくてはならないことがあるわけだ。ぼくとの勝負はそれまでお預けにしたまえ」


 声が遠ざかる。


「ま、待て!」


 フォルテッシモは焦って怒鳴った。すると炎のかんげきをぬって、なにか白い物が彼の方にまた投げつけられてきた。

 反射的に掴むと、それはさっきまでエンブリオの入っていたゲーム端末だった。