11 ④

〝もしもぼくと戦いたいのならば、そのエジプト十字架を大切に持っていることだ。それがぼくと君をつなぐ〈保証書〉というわけだ。統和機構にはそっちのゲームをくれてやれ。なあにエネルギーのざんは確かに残っているから、簡単にだませるよ〟

 あくまでもとぼけた言い方であった。そのふざけたような調子にフォルテッシモはとなった。


「か、勝手なことを言うな! 貴様が本当に勝負する保証がどこにあるというのだ!」


 すると返事が返ってきた。

〝こう見えても、ぼくのささやかな誇りはこれまで一度も嘘をついたことがないと言うことでね。そのプライドにかけて誓うとも。一週間後の今日、夜明け前の時刻、君も知っていると思うが、郊外にある作りかけの遊園地──そこで待っているよ。もっとも問題がひとつあるがね〟


「問題? なんだそれは?」


〝君さ〟


「? ──俺が何だというんだ?!」


〝君は、はたして生きてから出られるかな……?〟

 それが最後だった。渦を巻く炎の向こう側にその気配は完全に消えて、見失った。


    *


 外から見ても、その炎は完全に〝スフィア〟全体を覆いつくしていた。しかもその燃え方は通常の火災よりも遙かに派手だった。炎があちこちから吹き上がるようにして昇っており、その高さは実に〝スフィア〟そのものの倍近くもあった。

 それはなにかに似ていた。そう、炎がうまく燃えあがるように組み上げられたキャンプファイアーのたきぎたとえてもあながち間違いとは言えないだろう。実際にこれを設計させた者の目的は正にそれ──適度な空間と、風通しによって炎が周囲に拡大することなくうまい具合に立ち上がるように、それと悟らせずに造らせていたからだ。


「──考えてみるがいい。近代都市のど真ん中に馬鹿でかいかがりが上がるわけだ。さながら古代の民が天に捧げるために行っていた神霊儀式の如く、な。なかなかに詩的な光景とは言えないか? つまらん世の中だが、そうやって狼煙のろしを上げれば、なにか特別なことでも起きそうじゃないか?」


 おそらくそいつの心の中はこのようなものであっただろう。

 だがそいつも造っただけで本気ではなかったろうし、そしてその意図からするとこれは少しずれていた。外はまだ昼であり──炎の美が最も目立たない環境で無駄に燃えさかっていたからだ。とはいえ煙だけは派手に上がっていて、なにかの開始を告げる狼煙の役割は確かに果たしているようだった。

 包囲していた警察も、いきなりのこの発火にさすがに後退せざるを得なくなる。付近の住民にパニックが起きないような、しかし避難もさせるような処置も必要だった。もちろんすぐに消防隊も呼ばれていたが、来るまでにあと数分は要する。

 そして、それで充分なのだった。その前にこのジ・エンブリオをめぐる一連の事態には決着がつく。

 もはやすべてが終わるまでに、それほどの時間は必要とされていないのだった。


    *


「──うう、くそったれが!」


 なんだかまるで思うように行かない。すべてがフォルテッシモの考えることとずれている。こんなことはこれまでにないことだった。


「まったく、なんだってこんなことに……」


 毒づきながら、彼は燃えさかる炎の中を進む。

 空間を断裂させることができる彼の能力ゆえに、炎もその熱も彼の元にまでは届かないで、まわりを避けるようにして取り囲むのみだ。危険なのは酸欠だが、この建物、どうやら燃えるときの風通しの良さを計算されていたようで、呼吸にはほとんど困らない。それでも炎が周りで燃えているのはあまり気持ちのいいものではない。


(……しかし)


 しかし任務そのものは達成した。

 回収を命じられたエンブリオは今、彼の胸元にペンダントチェーンでぶら下がっている。時折それから『ひひひ』と妙な笑い声みたいなものが聞こえるような気もするが、そんなことは考えてもしょうがない。以前の入れ物だったゲーム端末も一緒にぶら下がっているが、この二つをどのように処理したらよいものやら、フォルテッシモは苛立っていて考えがまとまらなかった。


(とにかく、今は外に出るのが先だ。考えるのはその後でいい。だいたいこんなに炎に囲まれてしまっていては、なにかを企んでいたとしても既に無意味になってしまっているはずだ……だが)

「だが無意味だったら……何だというのだ?」


 フォルテッシモはそのことをつとめて考えないようにしている自分に気がついた。

 考えすぎると、もはや引き返せないところに認識が行ってしまいそうな、そんな感覚がどこかでわだかまっているのだった。


「……馬鹿馬鹿しい!」


 吐き捨てた。するとまた『ひひひ、素直じゃねーなあ』という声が聞こえるような気がした。


「…………」


 これが自分の内なる声なのか、それともエンブリオが喋っているのかフォルテッシモにはあいまいで区別がつかない。だから無視した。

 そして、階段をさらに下に降りた。それは屋上から外に至る道筋の、ちょうど真ん中に当たる場所だった。


「────」


 階段のスペースからフロアーに目を向けて、少し息を呑んだ。

 そこは縦に長い通路だった。直線で、ずっと向こうにつながっている。二つある非常階段と直結しているようだ。横に長いこの建物そのものとほぼ同じ長さがあるということだろう。

 そこはギャラリーだった。

 両側をそれぞれ大型店舗に挟まれて、その隙間に穴埋め的に用意されている無料の企画コーナーなのだ。〈現代日本の印象派たち〉とかなんとか毒にも薬にもならないようなそこらの画廊でそくさんもんでたたき売られている絵が並べられて飾られている。それらの半分は燃えているが、燃える物がない空間のせいか、炎の周りは他の箇所と比べるといささか少ない。といえやはりスチーム全開のサウナよりもひどい熱と、そしていつ爆発するかも知れぬ状況に変わりはない。

 そこに立っていた。

 ひとり、腰に太刀を差したままで、その隻眼でこっちを見つめていた。


「──予想よりも、少し遅かったな」


 静かに言った。

 どういうコンディションにあるのか、この地獄のような環境で、汗ひとつかいていないようだった。

しんとうめつきやくすれば、火もまた涼し〟と言ってえて謀略の炎の中ににゆうめつした高僧がいたというが、今のこの男はそれと同じだとでもいうのだろうか──。

 その名は、彼が名付けたところから〝イナズマ〟という。


「…………」


 フォルテッシモは能面のような無表情になり、階段からゆっくりと出てきた。


「なるほど……通常のルートは隔壁で閉鎖されているから建物の構造上、どうしたって非常階段で上から降りてくる者はこの場所を通らなくてはならず、故に待ち伏せる場所としては使える……しかし一歩間違えば、俺がたとえば他のルートを無理矢理通っていれば出くわすことはなかった訳で、運任せの要素が強いんじゃないのか?」

「そうでもない」


 また静かに言われて、フォルテッシモは眉をひそめる。

 そして気がつく。

 イナズマの奴が立っているのは、左右の大型店舗の入り口に当たる箇所だ。屋内の区切りなのでその入り口にはシャッターのたぐいはない。ということはそこからさらにそれぞれの空間もチェックできるということだった。気配を掴む能力さえあれば、どこから来ようがそっちに駆けつけることができるだろう。


「……用意周到だな。それで、これで準備とやらは終わったのか?」


 ややあざけるような言い方をした。しかしそれにイナズマはやはり静かに、


「そうだ」


 と告げるのみだ。


「もう、間合いを取る必要はない」


 そして、一気に腰の太刀を抜きはらった。

 その、鈍い輝きの刀身が炎の照り返しを受けてと光った。


(──? 居合いではなかったのか?)


 では何故、さっきは刀を抜かなかったのだ?

 考えかけて、しかし心の中で首を横に振る。