11 ⑤

 ぐだぐだ悩んでいる場合でもなく、その必要もない。

 相手がやると言っているのだ。

 こっちとしてはただ突き破るのみだ。

 向こうが策に自信があるというのなら、こっちには自分の強さに対しての確信がある。何を恐れることがある。


(いや、むしろ怖れならば望むところだ)


 恐れとは困難ということ。困難を克服するなど、この自分には滅多に味わえぬ感覚だ。

 真っ向から受けて、それを粉々に打ち砕いてやる……!

 フォルテッシモは一歩めを踏み出す。

 イナズマは動かない。

 確かに後退する気はもうないようだった。

 もっとも、たとえ後退しても、すぐに行き止まりにぶち当たる。階段を降りているところで掴まってしまう。逃れることはできない。そして縦に長いこの場所は横には短い。左右どちらに移動しても、フォルテッシモの間合いから外れることはできない。

 その間合いまではあと数メートル。

 周辺の空気は、熱気でゆらめいて見える。陽炎かげろうがたちのぼっていた。

 その越しにイナズマは立っている。

 向こうからもこっちの姿はゆらめいて見えるのだろう。


「──そうだ、ひとつ訊いておくことを思い出した」


 フォルテッシモは足を停めた。だがそれはかるく跳び出せばすぐに間合いに入る位置だ。


「イナズマ、確かおまえはこう言っていたな──俺が勝てるのは〝千回のうち九百九十八回〟だと。では残る二回というのはどういうものだ? 一回はだとして、もうひとつはどういうものなんだ?」


 これは、本当に素朴な疑問だった。

 駆け引きとか、そういう感覚はフォルテッシモにはなかった。自分でも見当がつかないが故に、素直に訊いただけだった。そしてここでイナズマを倒してしまえばそれは永遠の謎となってしまうのだ。

 そしてこれに、相手もあっさりと答えた。


「それはもう失敗している」

「──? なんだって?」

「この前の──雨の中での対決の時、本来なら俺は勝っていておかしくなかった。だが俺は愚かだったのでそのことに気がつけなかった──正樹に助けてもらわなければ、こうしてここに再びやってくることもできなかった。だから……」


 イナズマは少しためらったが、しかし言った。


「ここで勝つのは俺ではない。それは正樹がおまえに勝ったということだ」


 この言葉に、フォルテッシモは理解できずに眉をひそめている。


「あのときも勝てた、だと……?」

「そうだ。これはいわば二度目のチャンス。だから──もう失敗はしない」


 静かに告げる。


「…………」


 フォルテッシモは口をつぐんだ。

 大雨の降りしきる中と、この炎の中──

 どこに共通点があるというのだ? いわば正反対の環境ではないか。

 といって、この状況でこいつがざれごとを言うとも思えない。ならばそう思えるだけのものがあるのだろう。


「なるほどな……」


 ここで、フォルテッシモはやっと彼らしく──にやりと不敵に笑った。


「まさしく対等の〝勝負〟というわけだな。確かに、前のときには俺はおまえを侮っていたよ……今こそそれを撤回しよう。おまえが何を狙っているのか見当もつかないが……! ! イナズマ、おまえに何の容赦もない一撃を必ず叩き込むと俺の方もまた宣言しよう!」


 そしてまた足を進め始める。

 一歩、また一歩──

 そしてイナズマが寸前で言った。


「フォルテッシモ──俺もひとつ訊きたい。おまえは本当に〝強い〟ということがなんなのか考えたことがあるのか?」

「さてな。あるいは全然わかってねーのかも知れねーぜ」


 答えはやはり不敵だ。

 するとイナズマはかすかにうなずく。


「やはり──」


 言いかけた、その時点で既に状況に入っていた。

 フォルテッシモの足が、間合いを一歩踏み越えていたのだ。

 そしてフォルテッシモの言葉はハッタリでも何でもなかった。

 ほんとうに、その瞬間イナズマがいた空間が瞬時にしてはじけとんだのだ。何のちゆうちよも手加減もない全開の一撃だった。

 だがそのときイナズマもまたその場所にはいない。

 逆に前に跳んでいる。空間を攻撃する以上、その中間にあるものは必ずしも攻撃対象にならないのだ。


(──やるな! しかし……)


 しかしそれは、そうでなくてはならないということではない。

 もちろん直線で、攻撃をぶちかますことも可能なのだ。

 そうしようとかまえたとき、その瞬間、フォルテッシモはとなった。

 イナズマではなく、その背後に目が行った。

 彼が全開で攻撃したために、そこの床に穴があいていたのだ。普段ならば穴など大した意味はない──だが今は、この一帯には燃えさかる爆炎が満ち満ちているのだ──

 しまったと思ったときにはもう遅く、吹き上がった爆炎の、その衝撃波に後押しされたイナズマがしんそくで迫ってきていた。

 その剣の切っ先が眼前に迫る。






(──だ、だがっ!)


 それでもまだ絶対の防御それ自体は破れたわけではない。

 剣は、あっというまにバラバラに砕け散った。

 その破片が宙を舞うのが、さながらスローモーションのように見えた。それは熱のために揺らいでいる陽炎の空気の中で、きらきらと輝いていた。

 そして──そのときフォルテッシモはすべてを知った。

 なぜ、周り中が燃えていなければならないのか。

 なぜ降りしきる大雨の中でも条件が同じなのか。

 すべてはこのためだったのだ──陽炎で揺らいでいるか、水滴に満ちているか、どちらでも良いが──空間の変化を物質的に見ることができる環境であれば何でも良かったのだ。

 ビルひとつを燃やす必要。

 それは戦いの場所がどこへ動こうとも、必ずその条件が成立するためだけにあったのだ。

 そして、どうしてさっきはあれほどまでに剣を抜かなかったのか、その理由も今や明らかだった。

 剣は粉々になっている──だがもはやそれはその役目を終えているので何の問題もない。真の武器は、既にイナズマの左手に握られていた。

 それはさやだった。

 やたらに太く、重く、乱雑な漆塗りでさびめされているだけの、素っ気ない鉄製の鞘。

 だからずっと剣を納めていたのだ。抜いてしまえば、無駄なはずのそれをどうして捨てないのかと当然悟られていたからだ。

 今や、すべての条件はそろっていた。

 空間そのものを見ることができる環境。

 フォルテッシモの一瞬の反応の隙をつくだけのスピード。

 そしてそのフォルテッシモが既に攻撃をしてしまっていて、剣を砕いたその攻撃の軌跡ラインが丸見えになっていること。

 空間に走っている無数の罅割れ、それを広げるのがフォルテッシモの能力。

 だが今、その罅の形はイナズマにも見えているのだった。

 そのほんの一点の間隙をついて、爆圧の推進力で後押しされたその一撃が吸い込まれるようにフォルテッシモの胸に、めりっ、と深く喰い込んでいた。

 そう、そのような攻撃のことを、どこかの誰かがこう言っていた……


〝〈刀〉にこだわっているようでは、〈剣〉とは言えぬ──〟


「──がはっ!」


 をぶちまけながら、フォルテッシモの身体は衝撃と反動でぶっ飛ばされた。

 彼がさっき思っていたとおりであった。勝負は一瞬のせつで決していたのだ。


    *


 血飛沫は高代亨の身体からも上がっていた。フォルテッシモの能力は空間を破壊するだけでなく、それに付随する衝撃波もまた武器なのだ。それが彼の全身に傷を付けていた。

 フォルテッシモは吹き飛び、そしてその勢いのままに火災でもろくなっている階段を突き破って〝スフィア〟の外にまで飛びだしていってしまった。

 亨は後方から迫ってきていた爆炎の中、ごろごろと床を転がって、なんとか炎の奔流をかわす。

 わずかに火が引いた隙に、彼は身を起こす。