11 ⑥
手にしている鉄の鞘は、すでにボロボロだ。折れており半分も残っていない。一撃が入らなかったら、衝撃波とラインからずれたところで分断されていたそれはもう使い物にならなかった。一度きりしか勝てるチャンスはなかったのだ。
そう、彼は勝った。
最強と言われる者の敗北を自らの
だが、その彼は──
「…………やはり」
彼は建物に開いた穴から、フォルテッシモが落ちていった方を見下ろして、そして呟いた。
「やはり、あなたのおっしゃるとおりですね、先生──〝強くなることは、他のすべてをあきらめることに等しい〟と……確かに」
彼は空を見上げる。
「確かにもう、なんにも残ってねえ──」
その潰れた眼から、血が一筋流れ落ちる。
そして彼はきびすを返した。炎の中に戻っていく。
自分には何もないが、やらなくてはならないことがひとつ残っているのだった。
そう、生命の問題が──ひとつだけ。
そしてフォルテッシモの方は、吹き飛んだその半分は自らの衝撃波によるものだった。
建物を突き破り、外に飛び出し、落下し、そして数十メートル下のコンクリートに激突しても、その衝撃波はずっと彼の周りをくるんでいた。
だから、その瓦礫と化した
「う、ううう……」
と、よろめきながら上体を起こした。
自分がどういう状況にあるのかもわからなかったので、彼は辺りを見回した。そしてもはや自分が戦場そのものからは離脱してしまっている、という事実に気づかざるを得ない。
「…………」
胸には、まだ鉄の鞘の破片がめりこんだままになっていた。しかし、それは右胸であり、心臓を直撃はしていなかった。
どうしたって明らかなことは、やはり認めなくてはならなかった。
手加減されたのだ。
完全なる敗北だった。
「…………」
そして彼が呆然としていると、腰のポケットで振動が生じた。
びくっとしたが、すぐに気がついてのろのろとそこにかろうじて動く左手を伸ばす。
棒状の、先端にレンズのようなものがついた機械を取り出す。着信振動していたのはそれだった。あれだけの衝撃を受けても壊れないというのは、この手の機械にしては異常なまでの頑強さだが、もともとそういうような環境で使うための特別品なのだ。
「──フォルテッシモだ」
彼はそれを口と耳元に寄せて、通信に出た。
『任務の遂行状況について報告してください』
いつものように、機械的な、女性のような合成音の囁きが聞こえてきた。その向こうに誰かがいるのか、それとも本当に機械なのか彼は知らない。
なぜ急に連絡が来たのか、それはおそらくあのスワロウバードという女だ。あいつがやっと彼の居場所を上に〝報告〟したのだろう。
「──あ、いや……」
彼は胸元を見る。
ペンダントと、ゲーム機の端末が二つともまだぶら下がっていた。だがやはりゲーム端末の方は衝撃で完全に壊れている。しかしペンダントの方は──どうなのだろう?
「その〝エンブリオ〟は──」
『回収に成功したのですか』
「い、いや──それどころではない事態が生じて」
『それはあなたとはなんの関係もありません。あなたの任務はエンブリオの回収です。繰り返します。回収できたのですか?』
「…………」
フォルテッシモは二つを見つめている。言わなくてはならない。任務なのだ。本当のことを言わなくてはならない。
「……エンブリオは回収した。だが入れ物となった物が壊れている。エネルギーの保存に関しては不明だ」
『それはどのような形態をとっているのですか』
「……家庭用ゲーム機の端末だ」
俺は何を言っているんだ、と思いながらもそう口が勝手に喋っていた。
『ではあなたの任務は完遂です。おめでとうございます。今回の達成条件にはエンブリオの保存は含まれておりません。ただちにそれを指定の場所に移してください』
「い、いや──だからそれどころではない事態なんだ! 間違いない、強力なMPLSの出現を察知しているんだ!」
『そいつと戦いたいとでも言うつもりですか』
冷ややかな声が返ってきた。
『何度も言いますがそれはあなたの任務ではありません。必要なことは我々の方で手配します』
「…………」
フォルテッシモは反論しない。いや、できなかった。
確かに……自分はもう一度あのイナズマと戦いたいのか、と訊かれて、即答できない自分がいることを自覚せざるを得なかったからだ。彼は押し殺した声で
「……了解した」
『ではコードFの態勢で次の指令をお待ちください』
機械的な声はそれで切れた。
フォルテッシモはよろよろと立ち上がった。
「…………」
胸元のペンダントを、左手でつまみ上げる。
どこかで誰かが『ありがとさんよ、ひひひ』と言っているような気がした。
「……まあしかし〝保証書〟とか言っていたしな」
自嘲的に呟いた。
そして燃え上がる〝スフィア〟を見上げた。
彼が落ちてきた穴は確認できない。炎にすべて包まれてしまっていて、もはや区別できなくなっていたからだ。
「だが……これでおまえのところには統和機構の追っ手が次々とやってくることになるぞ。おまえはそれをどうやって切り抜けるつもりだ? もはやこの地上におまえが安住できる地などない。行く先にあるのは
言ってから、かすかに頭を振った。
「いや、それは俺も同じなのか知れないな。よかろう、イナズマ──おまえがこれから生き延び続けていけば、いずれは俺に抹殺指令が下されるだろう。そのときまで、おまえに最強という言葉をしばし預けておくことにするぜ。戦い続けてもっともっと強くなるがいい。その間に、俺もまた──」
そして笑った。
それはこれまでのフォルテッシモとは異なり、妙に穏やかなところのある、しかしどういう訳か、前の方がそれでもどこか人なつっこかったような、そういう変化を感じさせる笑い方だった。より利己的な感じが漂っていた。
まるでこういう、他の者に挑む状態の方が最強よりも自分らしいとでも言うかのように。
彼は重傷を負いながらもそれまでほとんど変わらない姿勢で、くるっ、と燃える〝スフィア〟に背を向けて歩き出した。
まもなく、この辺にも消防隊が押し掛けて、いったんは退避した警官たちも戻ってくるだろう。
*
穂波顕子は燃え上がる建物を外から眺めている。
「…………」
言葉にならない。
「なんだか、夢みたいな事件だったなあ……」
彼女の横には弟の弘がいる。
彼女が生きて、この場所にいるのはある意味でこの弟のおかげだった。
あの後──高代亨と別れた後で、彼女は放心状態で、その場に座り込んでしまっていたからだ。そうしたら火の手が上がり、訳がわからなくなりパニックに陥ったところでこの弟がいきなり現れて、彼女を抱えて例の脱出用シュートに飛び込んだのである。
弟はなんでこんな所にいたのか──どうやらそれにも色々と複雑な話があったらしいのだが、彼女はどうにも物事をうまく考えられないのだった。
「偽者の姉ちゃんがいなくなったと思ったら、本物の姉ちゃんがいるんだもんなー。なーんか変な予感がしたんだよな。でもなんで、そんな気がしたのかな?」
弟は横で首をひねっている。
「…………」
顕子は無言で、燃えていく建物を見上げるのみだ。
なんだかもう、半分近くが燃えて崩れているようにも見える。すごい勢いで燃えていたので、燃え尽きるのも早いのかも知れない。
既に何台もの消防車がやってきて、放水を開始しているがそれよりも先に燃える物がなくなって消えてしまいそうな感じもした。