11 ⑧

「それじゃあ、さよならだ。織機さんと仲良くな」


 亨はかすかに頭を下げると、暗闇に横たわっているぼくから離れていく。

 ぼくは必死で叫ぶ。冗談じゃなかった。


「ま──待てよ亨! ふざけるなよ!」


 怒りの声に、亨は振り返る。


「あんた、ほんとうに悪いと思っているのかよ?!」


 ぼくは怒鳴った。

 そのぼくに真剣な気持ちを見たのだろう。亨は真面目な顔で「うむ」とうなずいた。


「だったら──だったらここでぼくの言うことをひとつ聞け!」

「……なんだ?」

「必ずだ──いいか、必ずだぞ──絶対にもう一度ぼくと、生きて会うとここで誓え! こんな別れ方なんてまっぴらごめんだ!」


 ぼくは亨を睨みつけながら言った。


「…………」


 亨はしばらく無言だった。だがやがて、


「ふっ──」


 と微笑むと、


「ああ。約束しよう」


 とうなずいた。


「約束だからな! 破ったらあんたを一生許さないからな!」

「いいとも。だがそれはこっちの科白でもあるぜ正樹。俺も、おまえがこれ以上無茶しすぎたりして織機さんを泣かせたら許さんからな」


 亨はニヤリと笑うと、今度こそほんとうにその姿は闇の中に溶け込むように消えた。


「…………!」


 そして、ぼくは目覚めた。

 まず目に入ったのは、病院らしき真っ白い天井だった。そして自分がベッドの上に横になっていて、身体に何本か管がつながっているのを自覚する。

 そしてけつのためらしききつい包帯が至る所に巻かれている。だがぼくは、もうその傷口がすべて塞がっているのも感じていた。


「…………」


 ゆっくりと首を回すと、ベッドの脇にひとりの少女が座っているのが見えた。ただし疲れ切っているのだろう──ほとんど気を失っているみたいな感じで眠ってしまっている。

 ぼくは胸が締めつけられるような感覚に襲われて、上体を起こした。点滴などの元栓を締めてから身体にくっついていた管を乱暴に引き抜いて、傷跡をもみしだく。


「くそ、ほんとうにそうだな……ぼくはちゃんと謝らないといけないようだ」


 呟いて、自分にかかっていた毛布を静かに彼女、織機綺に掛けてやる。

 そのとき、ぼくが入れられている個室に近づいてくる足音があった。

 ノックをしようかどうしようか悩んでいるらしい、入り口の前でしばし立ち止まる気配がして、やがておずおずといった感じでドアが開いた。

 入ってきたのは凪姉さんと親しい、羽原健太郎さんだった。うつむいているその顔は、きつい徹夜仕事の後みたいで目の下にくまがある。


「なあ、綺ちゃん……いくらなんでも少し休んだ方がいい。俺が変わるから──」


 と言いながら顔を上げた健太郎さんと、ぼくの目が合う。


「──あ」


 声を上げかけた彼に、ぼくはすかさず口元に指を立てて「しいっ」と言った。そして眠っている織機を指さす。


「……あ、ああ……あの」


 開けかけた口をぱくぱくさせながら、言葉にならない健太郎さんの表情がまるでゴム細工の玩具おもちやのようにぐにゃぐにゃと変わった。

 そして彼はさかんに指を動かして、どうやら電話のプッシュホンを押しているみたいなジェスチャーをした後に小声で、


「──な、凪に知らせてくる……!」


 と言ってまた部屋の外に飛び出していった。

 ぼくは健太郎さんの行動のおかしさにくすくすと笑いながら、また織機の方を見た。

 彼女は静かに寝息をたてていた。ぼくがそっと彼女の頭に触れると、彼女の寝顔がなんだか穏やかなものになったような気がした。

 彼女が目を覚ますまでずっと待っていようと思い、ぼくはベッドに腰を下ろした。

 そして、その脇に一組の着物がたたまれて置いてあるのに気がついた。


「…………」


 確かめてみるまでもない。

 それは、師匠の持っていたあの着物だ。それを着ていた者が、ここに本当にやって来ていた証拠だった。


「……約束だからな」


 ぼくは口の中でみしめるように呟いた。

 友よ、また会おう──。