第一幕 ②

 ただ、ちょっとこの辺の祭りはほかのところよりも特殊だったり盛大だったりするので、修道院の連中が目をつけて都市部の教会に報告したのだろう。長いこと本格的に教会の手の入らなかったところだから、教会も余計に神経をとがらせているのかもしれない。

 それに、最近教会はたんしんもんや異教徒の改宗にやつになっているし、最近は都市部での神学者と自然学者の言い争いもめずらしくない。昔のようにすべての民衆が無条件に教会にひれ伏すということがなくなってきている。

 教会の絶対的であった威厳がほころび始めているのだ。それは町に住む者達ならば口に出せずともうすうす思っていることだろう。実際、きようこうは教会税が思ったより入らずに、大神殿の修復費をいくつかの国の王に申し入れたという。十年前ならば信じられない話だった。

 そんな情勢なので教会も威厳を復活させようと躍起なのだ。


「どこの商売も大変だな」


 ロレンスは苦笑して、蜂蜜菓子を口に放り込んだのだった。



 ロレンスが広大な麦畑に着くと、もう西の空は麦よりもれい黄金こがねいろだった。遠くで鳥が小さな影となって家路を急ぎ、カエルも寝に入ることを告げているかのようにそこかしこで鳴いていた。

 麦畑はほとんど収穫が終わっているようで、祭りは近日中だろう。早ければ明後日あさつてには行われるかもしれない。

 ロレンスの目の前に広がるのはこの地方では結構な収穫高を誇るパスロエの村の麦畑だ。収穫高が高ければ村人もそこそこゆうふくになれる。その上ここ一体を管理するエーレンドットはくしやくが近隣に名がとどろくほどの変わり者で、貴族のくせに土いじりが好きなせいで自然と祭りにも協力的だから、毎年飲めや歌えの大さわぎのようだ。

 ただ、ロレンスはそれに参加したことがない。残念なことに部外者は参加できないのだ。


「いよう、おつかれさん」


 そんな村の麦畑の一角で荷車に麦を積んでいる農夫に声をかけた。よく実った麦だ。さきもの買いをした連中はほっと胸をなでおろしていることだろう。


「おー?」

「ヤレイさんはどの辺にいるかな」

「おお、ヤレイさんならあっちの、ほれ、あっちで人がたかってるだろ。あの畑だな。今年はヤレイさんのところは若い者ばっかでな。手際が悪いせいで今年はあそこの畑の誰かが『ホロ』だな」


 農夫は日焼けした顔にいっぱいの笑みを浮かべながら楽しそうに言う。商人には絶対にいない、裏表のない人間だけが浮かべることのできる笑顔だ。

 ロレンスは農夫に商売用の笑顔で礼を言って、馬をヤレイ達のほうに向けた。

 その区画は農夫の言った通りに人がたかっていて、畑の中に向かって口々に何かを叫んでいた。

 それは最後まで作業をしている連中をはやし立てているのだが、別に作業の遅れをののしっているわけではない。罵ることがすでに祭りの一部なのだ。

 ロレンスがのんびりと近づいていくと、やがて騒いでいる内容も聞こえてきた。


オオカミがいるぞ狼がいるぞ!」

「それ、そこに狼が横たわっているぞ!」

「最後に狼をつかむのは誰だ誰だ誰だ!」


 皆口々に囃し立て、酒が入っているかのように陽気に笑っている。ロレンスがひとがきの後ろに荷馬車を止めても誰も気がつかないほどだった。

 しかし、彼らが口にしている狼とは実際の狼ではない。実際に狼がいたらさすがに笑っていられないだろう。

 狼とは豊作の神のしんで、村の連中から聞いた話では最後に刈り取られる麦の中にいて、それを刈り取った者の中に入り込むという言い伝えらしい。


「最後の一束だ!」

「刈り過ぎないように注意しろ!」

「欲張りの手からはホロが逃げるぞ!」

オオカミつかんだのは誰だ誰だ誰だ」

「ヤレイだヤレイだヤレイだ!」


 ロレンスが荷馬車から降りてひとがきの向こうをひょいとのぞくと、ちょうどヤレイが最後の一束を摑んだところだった。土とあせよごれた真っ黒な顔に苦笑いをいっぱいに浮かべ、そして一息に麦を刈り取ると束を掲げて空に向かって叫んだのだった。


「アオオオオオオオオオオオン」

「ホロだホロだホロだ!」

「アオオオオオオオオオオオン」

「狼ホロが現れたぞ! 狼ホロが現れたぞ!」

「それつかまえろ、やれ捕まえろ!」

「逃がすな、追え!」


 それまで口々にはやし立てていた男達が、とうとつに走り出したヤレイを追いかけていった。

 豊作の神は追い詰められ、人間に乗り移ってどこかに逃げようとする。それをらえてまた一年、この畑にいてもらうのだ。

 実際に神がいるのかどうかはわからない。ただ、ここの土地の者達はもう長い間それを続けている。

 ロレンスは各地を飛び回る行商人だから教会の教えを頭から信じてはいないが、迷信深さや信心深さはこの農夫達以上だ。苦労して山を越えて町にたどり着いたら商品がぼうらくしていた、なんてことは日常はんだ。迷信深くも信心深くもなるというものだ。

 だから、熱心な信徒や教会関係者が見たら目をむくようなそんな儀式もロレンスには気にならない。

 ただ、ヤレイがホロになってしまったのには少し困った。こうなるとヤレイは祭りが終わるまでこくもつ庫にごそうと共に一週間近く閉じ込められ、話ができなくなるからだ。


「仕方ない……」


 ロレンスはため息をついて荷馬車に戻ると、馬を村長宅のほうに向けた。

 昼間の修道院での話を報告しがてら、ヤレイと久しぶりに酒でもみ交わしたかったのだが、荷台に積んである毛皮をさっさと換金しないと別の地方で買った商品の代金支払日が迫っている。それに、山奥の村から持ってきた麦も早く売り込みに行きたかったから祭りが終わるまで待つことはできなかった。

 ロレンスは祭りの準備を指揮していた村長に手短に昼間のことを伝えると、泊まっていけという誘いをして村をあとにした。

 ロレンスは昔、まだこの領地に今のはくしやくが来る前、重税が課されているせいで値段が高くなりあまり市場で人気のなかったここの麦を買い、地道に薄利で売っていたことがあった。それは別にこの土地の者達に恩を売るつもりではなくて、単純に別の安くて人気のある麦を、ほかの商人達と競争してまで買い付けができるほど資金力がなかっただけなのだが、当時のことを今でも感謝されている。ヤレイは、その時の村側の値段交渉人だった。

 ヤレイと酒が飲めないことは残念だったが、どの道ホロが出ればいくらもしないうちに部外者を追い出して祭りはきように入る。泊めてもらってもすぐに追い出されてしまうだけだ。そのがい感は、独りで荷馬車の上にいることに少し寂しさを覚え始めた身にはちょっとこたえる。

 土産みやげに持たされた野菜をかじりながら進路を西に取り、作業を終えて村のほうに帰っていく陽気な農夫達とすれ違う。

 再びいつもの独り旅に戻るロレンスは、仲間のいる彼らが少しうらやましかったのだった。



 ロレンスは今年で二十五になる行商人だ。十二の時にしんせきの行商人の下について十八で独り立ちをした。行商人としてはまだまだ知らない地域のほうが多く、これからが勝負という感じだ。

 夢は金をめてどこかの町に店を持ちたいという行商人の例にれないものだったが、その夢もまだまだ遠そうだ。何かチャンスがあればそうでもないのだろうが、あいにくとそんなものは大商人が金で持っていってしまう。

 それにあっちこっちに支払期限をこさえては荷台いっぱいの商品を持って移動しているのだ。チャンスなど見えはしてもとてもつかゆうなどはない。行商人にとってそんなものは空に浮かぶ月と同じだった。

 ロレンスは空を見上げて、れいな満月にため息をついた。最近ため息が多いと自覚をしてはいたが、食っていくためにがむしゃらにがんってきた反動なのか、ある程度余裕が出てきた最近はつい将来のことなどを考えてしまう。

刊行シリーズ

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