「わっちはこの耳と尻尾を見てわかるとおり、それはそれは気高き狼よ。仲間も、森の動物も、村の人間もわっちには一目置いていた。この、先っぽだけ白い尻尾はわっちの自慢じゃった。これを見れば皆が褒め称えたものよ。この、尖った耳も自慢じゃった。この耳はあらゆる災厄とあらゆる噓を聞き漏らさず、たくさんの仲間達をたくさんの危機から救ってきた。ヨイツの賢狼と言えば、それは他ならぬわっちのことよ」
ふん、とホロは得意げにそう言ったものの、すぐに寒さを思い出したのか体を縮めて毛皮の下にもぐってしまった。
ただ、ロレンスは少し呆然としていた。ホロの裸が綺麗だったのもあるし、腰の辺りについていた尻尾は、確かに動いていたのだ。
耳だけならず、尻尾までも。
そして、ロレンスは先ほどの遠吠えを思い出す。あれは紛れもない本物の狼の遠吠えだ。だとしたら、まさか、本当にホロは豊作の神、狼のホロ?
「いや、そんなまさか」
ロレンスは自問自答するように呟いて、再度ホロのほうを見る。対するホロはロレンスのことなど気にせずに、毛皮の中で温かそうに目を細めている。そんな様子は猫のようにも見えなくはないが、問題はそんなことではない。ホロは人なのかそうでないのか。それこそが問題だった。
悪魔憑きと呼ばれる者は何も見た目がまともな人間でないから教会に見つかるとまずいのではない。悪魔憑きと呼ばれる者達はその体の中に悪魔や精霊を宿しているために、往々にして災いの源となる。そのために教会は彼らを火刑に処するようにと触れて回っている。
しかし、もしホロが何か動物が姿を変えたものだとしたら、たくさんの昔話や言い伝えではそれらは大抵人に幸運を授けたり奇蹟を起こしたりしてくれる。
実際、もしもホロが本物のホロであるのなら、小麦取引にこれ以上心強い味方もいないだろう。
ロレンスは、意識を頭の中からホロへと向ける。
「ホロ、といったか」
「うん?」
「お前、自分のことを狼だと言ったが」
「うむ」
「お前についているのは狼の耳と尻尾だけじゃないか。本物の狼の化身なら、狼の姿も取れるはずだろう」
ロレンスがそう言うと、ホロは少しの間ぽかんとしてから、ふと何かに気がついたような顔をした。
「ああ、ぬしはわっちに狼の姿を見せろと?」
ホロの言葉にロレンスはうなずいたが、実のところ少し驚いていた。
というのも、てっきりホロは困った顔をするか、あからさまな噓をつくと思ったのだ。
しかし、ホロはそのどちらもでもなく、嫌そうな顔をした。本当なら軽く狼に戻れるのだが、とか下手な言い訳をするよりもよほど説得力のある嫌そうな顔だ。そして、それからはっきりと言った。
「それは、嫌じゃ」
「な、なんでだ」
「そっちこそなんでじゃ」
不機嫌な顔でまたも逆に問われロレンスはたじろいでしまうが、ロレンスにとってホロが人であるかないかは実に重要な問題なのだ。たじろいだ体に活を入れ、なるべく会話の主導権を取れるようにと力をこめて口を開いた。
「お前が人なら俺は教会にお前を突き出そうと思っている。悪魔憑きは災いの源だからな。しかし、もしもお前が本当に豊作の神ホロで、自分のことを狼の化身だと言うのなら、それを思いとどまってもいい」
もしも本物なら、動物の化身は大抵幸運をもたらす使者として話に残っている。教会に突き出すのを思いとどまるどころか、ぶどう酒とパンを振る舞ってもよいくらいだ。が、そうでないのなら事態は逆転する。
そして、ロレンスの言葉にホロはますます嫌そうに顔をゆがめると、鼻の頭にしわを寄せたのだった。
「俺の聞く話じゃ、動物の化身は自在に姿を変えられるそうじゃないか。お前が本物なら、元の姿に戻れるだろう?」
ホロは嫌そうな顔をしたままロレンスの話を黙って聞いていたが、やがて小さくため息をつくとゆっくりと毛皮の中から体を起こした。
「教会には何度かひどい目にあわされたからの。突き出されるのはごめんじゃ。しかしの」
それからもう一度ため息をついて、ホロは自分の尻尾を撫でながら続けたのだった。
「どの化身であっても代償なしに姿を変えるのは無理じゃ。ぬしらも人相を変えるには化粧をするし、体型を変えるには食べ物が必要じゃろう」
「何か必要なのか」
「わっちの場合はわずかの麦か」
なんとなく豊作の神っぽいその代償にロレンスは妙に納得してしまったが、次の瞬間にぎょっとした。
「それか、生き血じゃな」
「生き……血?」
「それほど量はいらぬがな」
なんでもないことのように言うあたりが、とても思いつきの噓に思えずロレンスは固唾を飲んでしまったが、ハッとしてホロの口元に目をやった。ついさっき、ロレンスの落とした干し肉を拾ってかじった時に見えた、ホロの唇の下にある二本の牙。
「なんじゃ、臆したかや」
と、そんな様子のロレンスに向かってホロが苦笑いをする。ロレンスは反射的に「そんなわけあるか」と答えていたものの、ホロは明らかにその反応を楽しんでいた。
しかし、ホロはそんな笑みをやがて消して、視線をロレンスからふいとそらすと言ったのだった。
「ぬしがそんなだと、なおさら見せるのは嫌じゃ」
「な、なんでだ」
ロレンスは馬鹿にされた気がしてつい口調を強めてそう尋ね返したが、ホロは相変わらずロレンスのほうから視線を逸らしたままひどく哀しげな口調で答えたのだった。
「ぬしは必ず恐れおののくからじゃ。わっちの姿の前に、人も動物も畏怖の眼差しを持って道をあけ、わっちを特別な存在に祭り上げる。もう、わっちは人であっても動物であっても、そんなふうにされるのが嫌なんじゃ」
「お、俺がお前の姿に怖がるとでも」
「強がりを言うのなら、せめて震える手を隠しんす」
呆れるようなホロの言葉にロレンスはつい自分の手を見てしまってから、しまったと思った時には遅かった。
「くふ。ぬしは正直者じゃの」
ホロは少し楽しそうにそう言ったが、ロレンスが言い訳をする前にすっと表情を改めると矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「けど、わっちとしてはぬしが正直者であるのなら、狼の姿を見せぬこともない。さっきのぬしが言った言葉、本当かや?」
「さっきの?」
「わっちが狼であるのなら、教会には突き出さん」
「む……」
悪魔憑きの中には幻覚を使う者もいると聞く。だからそれだけでは即断できそうになかったのでロレンスは口ごもったのだが、ホロはそれを見越していたように口を開いた。
「まあ、わっちも人と動物を見る目には自信がある。ぬしはきっと約束を守ってくれる御仁じゃろうよ」
いたずらっぽいホロのその物言いに対し、ロレンスはますます口ごもるしかない。そんなことを言われてはここで言葉を翻すことなどできないからだ。いいように手玉に取られているのがありありとわかったが、どうしようもなかった。
「ではわずかばかり見せるが、全身は難儀じゃ。腕だけで勘弁してくりゃれ」
ホロはそう言うとおもむろに腕を荷台の隅っこに伸ばした。
何かそういう特殊な格好が必要なのかと思ったのは一瞬のことで、すぐにホロの行動の意味がわかった。荷台の隅に置いておいた麦束から、麦を数粒つまんだのだ。
「それをどうするんだ?」
思わずそう聞いてしまったロレンスだったが、ホロはロレンスが言い終える前に手に持っていた麦を口に放り込み、まるで丸薬を飲み下すように目を閉じて飲み込んだ。