第一幕 ⑤

「わっちはこの耳と尻尾しつぽを見てわかるとおり、それはそれは気高きオオカミよ。仲間も、森の動物も、村の人間もわっちにはいちもく置いていた。この、先っぽだけ白い尻尾はわっちのまんじゃった。これを見れば皆がたたえたものよ。この、とがった耳も自慢じゃった。この耳はあらゆるさいやくとあらゆるうそを聞きらさず、たくさんの仲間達をたくさんの危機から救ってきた。ヨイツのけんろうと言えば、それはほかならぬわっちのことよ」


 ふん、とホロは得意げにそう言ったものの、すぐに寒さを思い出したのか体を縮めて毛皮の下にもぐってしまった。

 ただ、ロレンスは少しぼうぜんとしていた。ホロの裸がれいだったのもあるし、こしの辺りについていた尻尾は、確かに動いていたのだ。

 耳だけならず、尻尾までも。

 そして、ロレンスは先ほどの遠えを思い出す。あれはまぎれもない本物の狼の遠吠えだ。だとしたら、まさか、本当にホロは豊作の神、狼のホロ?


「いや、そんなまさか」


 ロレンスは自問自答するようにつぶやいて、再度ホロのほうを見る。対するホロはロレンスのことなど気にせずに、毛皮の中で温かそうに目を細めている。そんな様子はネコのようにも見えなくはないが、問題はそんなことではない。ホロは人なのかそうでないのか。それこそが問題だった。

 悪魔きと呼ばれる者は何も見た目がまともな人間でないから教会に見つかるとまずいのではない。悪魔憑きと呼ばれる者達はその体の中に悪魔やせいれいを宿しているために、往々にしてわざわいの源となる。そのために教会は彼らをけいに処するようにとれて回っている。

 しかし、もしホロが何か動物が姿を変えたものだとしたら、たくさんの昔話や言い伝えではそれらは大抵人に幸運を授けたりせきを起こしたりしてくれる。

 実際、もしもホロが本物のホロであるのなら、小麦取引にこれ以上心強い味方もいないだろう。

 ロレンスは、意識を頭の中からホロへと向ける。


「ホロ、といったか」

「うん?」

「お前、自分のことをオオカミだと言ったが」

「うむ」

「お前についているのは狼の耳と尻尾しつぽだけじゃないか。本物の狼のしんなら、狼の姿も取れるはずだろう」


 ロレンスがそう言うと、ホロは少しの間ぽかんとしてから、ふと何かに気がついたような顔をした。


「ああ、ぬしはわっちに狼の姿を見せろと?」


 ホロの言葉にロレンスはうなずいたが、実のところ少し驚いていた。

 というのも、てっきりホロは困った顔をするか、あからさまなうそをつくと思ったのだ。

 しかし、ホロはそのどちらもでもなく、いやそうな顔をした。本当なら軽く狼に戻れるのだが、とかな言い訳をするよりもよほど説得力のある嫌そうな顔だ。そして、それからはっきりと言った。


「それは、嫌じゃ」

「な、なんでだ」

「そっちこそなんでじゃ」


 げんな顔でまたも逆に問われロレンスはたじろいでしまうが、ロレンスにとってホロが人であるかないかは実に重要な問題なのだ。たじろいだ体にかつを入れ、なるべく会話の主導権を取れるようにと力をこめて口を開いた。


「お前が人ならおれは教会にお前を突き出そうと思っている。悪魔きはわざわいの源だからな。しかし、もしもお前が本当に豊作の神ホロで、自分のことを狼のしんだと言うのなら、それを思いとどまってもいい」


 もしも本物なら、動物の化身は大抵幸運をもたらす使者として話に残っている。教会に突き出すのを思いとどまるどころか、ぶどう酒とパンを振る舞ってもよいくらいだ。が、そうでないのなら事態は逆転する。

 そして、ロレンスの言葉にホロはますます嫌そうに顔をゆがめると、鼻の頭にしわを寄せたのだった。


「俺の聞く話じゃ、動物の化身は自在に姿を変えられるそうじゃないか。お前が本物なら、元の姿に戻れるだろう?」


 ホロは嫌そうな顔をしたままロレンスの話を黙って聞いていたが、やがて小さくため息をつくとゆっくりと毛皮の中から体を起こした。


「教会には何度かひどい目にあわされたからの。突き出されるのはごめんじゃ。しかしの」


 それからもう一度ため息をついて、ホロは自分の尻尾をでながら続けたのだった。


「どの化身であってもだいしようなしに姿を変えるのは無理じゃ。ぬしらもにんそうを変えるにはしようをするし、体型を変えるには食べ物が必要じゃろう」

「何か必要なのか」

「わっちの場合はわずかの麦か」


 なんとなく豊作の神っぽいそのだいしようにロレンスはみように納得してしまったが、次の瞬間にぎょっとした。


「それか、生き血じゃな」

「生き……血?」

「それほど量はいらぬがな」


 なんでもないことのように言うあたりが、とても思いつきのうそに思えずロレンスは固唾かたずを飲んでしまったが、ハッとしてホロの口元に目をやった。ついさっき、ロレンスの落とした干し肉を拾ってかじった時に見えた、ホロのくちびるの下にある二本のきば


「なんじゃ、おくしたかや」


 と、そんな様子のロレンスに向かってホロが苦笑いをする。ロレンスは反射的に「そんなわけあるか」と答えていたものの、ホロは明らかにその反応を楽しんでいた。

 しかし、ホロはそんな笑みをやがて消して、視線をロレンスからふいとそらすと言ったのだった。


「ぬしがそんなだと、なおさら見せるのはいやじゃ」

「な、なんでだ」


 ロレンスは馬鹿にされた気がしてつい口調を強めてそう尋ね返したが、ホロは相変わらずロレンスのほうから視線をらしたままひどくかなしげな口調で答えたのだった。


「ぬしは必ず恐れおののくからじゃ。わっちの姿の前に、人も動物も眼差まなざしを持って道をあけ、わっちを特別な存在に祭り上げる。もう、わっちは人であっても動物であっても、そんなふうにされるのが嫌なんじゃ」

「お、俺がお前の姿に怖がるとでも」

「強がりを言うのなら、せめて震える手を隠しんす」


 あきれるようなホロの言葉にロレンスはつい自分の手を見てしまってから、しまったと思った時には遅かった。


「くふ。ぬしは正直者じゃの」


 ホロは少し楽しそうにそう言ったが、ロレンスが言い訳をする前にすっと表情を改めるとぎ早に言葉をつむぐ。


「けど、わっちとしてはぬしが正直者であるのなら、オオカミの姿を見せぬこともない。さっきのぬしが言った言葉、本当かや?」

「さっきの?」

「わっちが狼であるのなら、教会には突き出さん」

「む……」


 悪魔きの中には幻覚を使う者もいると聞く。だからそれだけでは即断できそうになかったのでロレンスは口ごもったのだが、ホロはそれを見越していたように口を開いた。


「まあ、わっちも人と動物を見る目には自信がある。ぬしはきっと約束を守ってくれるじんじゃろうよ」


 いたずらっぽいホロのその物言いに対し、ロレンスはますます口ごもるしかない。そんなことを言われてはここで言葉をひるがえすことなどできないからだ。いいように手玉に取られているのがありありとわかったが、どうしようもなかった。


「ではわずかばかり見せるが、全身はなんじゃ。うでだけでかんべんしてくりゃれ」


 ホロはそう言うとおもむろに腕を荷台の隅っこに伸ばした。

 何かそういう特殊な格好が必要なのかと思ったのは一瞬のことで、すぐにホロの行動の意味がわかった。荷台の隅に置いておいた麦束から、麦を数粒つまんだのだ。


「それをどうするんだ?」


 思わずそう聞いてしまったロレンスだったが、ホロはロレンスが言い終える前に手に持っていた麦を口に放り込み、まるでがんやくを飲みくだすように目を閉じて飲み込んだ。

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