第一幕 ⑥
「う、うう……!」
突然ホロがうなり声をあげ、左腕を抱きかかえるように押さえると毛皮の上に突っ伏したのだ。
とても演技には見えないそれにロレンスが
ざわざわざわざわという、たくさんの
ロレンスはただ驚くだけで何もできなかった。
そして、その直後にはホロのあの細い腕が、体に
「む……ふう。やはり
あまりにそれが大きいため、おそらく自分の力では支えられないのだろう。ホロは毛皮の上に
「どうじゃ、信じてくれたかや」
それから、ロレンスのほうを見上げてそう言ったのだった。
「う……む……」
しかし、ロレンスは返事もできず、何度か目をこすったり頭を振ったりしながら何度もそれを見直した。
こげ茶色の毛足の長い毛に
そんなものが
目の前の光景がどうしても信じられず、ロレンスはしまいには水の詰まった皮袋を手に取って、中の水で顔を洗ったのだった。
「疑り深いのお。幻覚だと思うのなら
ホロは笑いながら、少し挑発するように大きな
ロレンスはさすがに少しムカッときたもののやはりその異様な光景に
それでも再度ホロの前足がくいくいと動いたので、ロレンスは意を決して
「あ」
という何かに気がついたようなホロの声にロレンスは
「う、うわ。な、なんだ」
「ん、いや、なに……というか、ぬしも驚き過ぎじゃろ」
「で、なんだ。どうした」
「うん」
すると、ホロは突然しおらしい声を出して上目
「優しくしてくりゃれ?」
少し
そして、ロレンスがホロのほうを見ると、ホロはにやにやと笑っていたのだった。
「ぬし、
もうロレンスはホロの言葉に一切耳を貸さず、ホロの前足に乱暴に手を伸ばしていた。
「どうじゃ、信じてくれるかや」
ロレンスはホロの言葉に返事をせず、その手の中の感触を確かめていた。
半分近くはからかわれたことに対して怒っていたのだが、返事を返さなかったのには別の理由もある。
まさしく、その
ホロの
足もそうだったが、その爪の感触はとても幻覚とは思えない。冷たくも温かくもない獣の爪特有の手触りに加え、
ロレンスは
「お前は、本当に神なのか」
「神なんかじゃありんせん。足の大きさからわかるじゃろうけど、少し体が大きくて、そうじゃな、周りより賢い
自分のことをぬけぬけと賢いと言うその
そんな様子はいたずら好きの少女以外の何物でもないが、その肩から生える獣の足からにじみ出る雰囲気は、とてもまともな獣のものとは思えない。
ただ大きいだけ、というような印象では明らかにないのだ。
「で、どうかや」
再度の質問に、ロレンスは考えがまとまらずあいまいにうなずいていた。
「しかし……本物のホロは、今頃ヤレイの中にいるはずだろう。最後の麦を刈り取った者の中にいると……」
「ふふふ。わっちは賢狼ホロじゃ。わっちがいかなる制限をこの身に加えられておるかは十分に
ホロのよく回る口に感心しながらロレンスは話を聞く。
「もし、最後に刈り取られる麦よりも多くの麦が近くにあれば、わっちは人の目に触れず麦の中を移動できる。だから村の連中は言うじゃろ。麦を欲張って刈ると、豊作の神を追い詰められずに逃げられてしまうと」
ロレンスはハッとして視線を荷台の一点に向けた。
そこにあるのは麦の束。ロレンスが山奥の村から
「まあ、だからなんじゃ。ぬしはわっちの恩人といえば恩人じゃな。ぬしがおらんとわっちは外に出られんかった」
ロレンスはその言葉をにわかには信じられなかったが、再び麦を数粒飲んで
ただ、ホロが恩人という言葉を少し
「ならその麦を持って村に帰るかな。豊作の神がいなくなるとなれば困るだろうからな。ヤレイ達や、パスロエの村の者達とは長い付き合いだ。あいつらが困る姿は見たくない」
そんな言葉は思いつきのものだったが、よくよく考えるとそのとおりだ。もしもホロが本物のホロならば、あの村からいなくなると村が
しかし、そんな物思いも数瞬で消えた。
というのも、そのホロが裏切られたような顔をしてロレンスのほうを見ていたからだ。
「そんな……ぬし、
今までとは違う弱々しいその表情に、
「さあて、ね」
動揺した内心を落ち着けるために時間が欲しく、ロレンスは時間を
が、頭は同時に別のことも考えており、内心は落ち着くどころかますますざわついていく。
ロレンスは迷っていたのだ。もしもホロが本物のホロであり、それが豊作の神であるのなら、ロレンスが取るべき行動は麦を持ってパスロエの村に帰ることだ。パスロエの村の者達とは長い付き合いなのだ。彼らが困る姿は見たくない。