第一幕 ⑧

 しかし、そこですぐにホロの言葉にうなずけるほどロレンスも商人根性を忘れたわけではない。商人に必要なのは神をも恐れないだいたんさと、そして身内すら疑うしんちようさだ。

 ロレンスはしばし考え、それから静かに口を開いていた。


「即断はできないな」


 不平をもらすかとも思ったが、それはホロを見くびりすぎというものだった。ホロはもっともだとうなずいた。


「用心深いのは良いことじゃ。しかし、わっちの人を見る目は確かなはずじゃ。ぬしは人の頼みをに断るような心の冷たいやつではないと信じとる。まあ、わっちはオオカミじゃけどの」


 しかし、そんな言葉はいたずらっぽい笑みを浮かべながらだ。それから再び横になるともそもそと毛皮の中にもぐっていったが、もちろんさっきのように不貞腐ふてくされるようにではない。これで今日の話は終わりだ、と言わんばかりだ。

 相変わらず会話の主導権を握られているようで、ロレンスは苦々しげに、しかし笑わざるを得ないそんなホロの様子を見つめていた。

 が、ふとホロの耳が動いたかと思うと毛皮の中から顔が出てきて、ロレンスのほうを向いたのだった。


「よもや外で寝ろとか言わぬよな?」


 言えるわけがない、ということをわかりきって聞いているホロの様子にロレンスはかたをすくめて返事をすると、ホロはくすくすと笑いながら毛皮の中に戻っていった。

 この分だとさっきまでのやり取りのうち、いくらかはホロの演技なのかもしれない。例えばとらわれのひめはかくやといった感じとか。

 それでも村での不満とか、故郷に帰りたいと言った時のあの表情までもうそだとはとてもロレンスには思えなかった。

 そして、そこを噓だと思わないということは結果としてホロを本物だと信じることだし、あれが悪魔きのむすめの単なる思い込みだとはとても思えなかった。

 しかし、ロレンスはふとため息をついてそれ以上考えることをめると、立ち上がって荷台に乗り込んだ。これ以上考えていても何か新しいことがわかるとは思えなかったからで、考えてもわからない時はねむって時間を置くに限るからだ。

 ホロがいるとはいってもこの毛皮はもともとロレンスのものなのだ。持ち主がぎよしやだいで布にくるまって寝るというのも間抜けな話だ。ホロにもう少しはしによるようにと言ってから、ロレンスも毛皮の山の中にもぐりこんだ。

 背中の向こうからはホロの小さな息づかいが聞こえてくる。ロレンスは即断できないなどと言ったものの、目が覚めてホロとともに商品が消えていなければホロを旅の道連れにしてやってもよいと思っている。

 それに、ロレンス自身ホロがそんなことをするほど悪党ではないと思っていたし、きっとそういうことをするならばロレンスの何もかもを奪うほどのことをしでかしてくれるだろうと思っていた。

 そう考えると、少しそれが楽しみではあった。

 なんにせよ、自分以外の何者かとねむるのは久しぶりのことだったのだ。それが鼻が曲がりそうな獣臭けものしゆうの中、少しあまい香りのする美しい娘とであればうれしくないわけがなかった。

 そんなロレンスの単純な心中を察したのか、馬がぶるるとため息のようにいなないた。

 馬も、口を聞かないだけで人の考えていることがわかるのかもしれない。

 ロレンスは、苦笑しながら目を閉じたのだった。



 ロレンスの朝は早い。一日をフル活用して金をかせがなければならない商人達は総じて朝が早いからだ。しかし、ロレンスが朝もやの中目を覚ませばすでにホロは起きていて、ロレンスのとなりに座りこんでなにかをごそごそとしていた。一瞬、ロレンスのおもわくが外れるようなことをしているのかとも思ったが、それにしてはだいたんだ。ロレンスが顔を上げて肩越しに振り返れば、どうやらロレンスの荷物をあさって服を見つけたようで、ちょうど靴ひもを結んでいるところだった。


「おい、それはおれのだろう」


 ぬすみをしているわけではないにしても、他人の持ち物を勝手にあさるのは神もとがめる行為だ。

 ロレンスは少し責めるようにそう言ったが、振り向いたホロは少しも悪びれる様子はなかった。


「ん? あ、起きたかや。これどうじゃ。似合うかや」


 ロレンスの言葉など一向にかまわず、ホロはロレンスのほうに向きなおると両うでを広げてそう言った。その上、悪びれるどころか少し得意げにしているのだ。それを見ると昨日きのうのホロの取り乱しっぷりそのものが夢の中のことのようだし、やはりふてぶてしく振る舞っているほうが本来のホロなのだろう。

 ちなみに、ホロが身にまとっているのはロレンスがちょっとした町のゆう商人などと商談をする時のためのいつちようだ。あい色の長そでシャツに、流行の七分だけのベスト。それにあさと毛皮を折り合わせた珍しいズボンに、その上に巻かれた下半身をすっぽりと包むこしまきと、腰巻をしばる上等な羊の皮のこしおび。靴はなめし皮を三重にした雪山でも耐えられるじゆうこうなこしらえのいつぴんだ。その上からクマの毛皮の良いところを使ったがいとうる。

 行商人は、実用的で重厚な作りの衣服を誇りにする。これだけの物をそろえるのに弟子の頃から金をめ続けて十年かかった。これを着てひげを整え商談に臨めば大抵の者はいちもく置いてくれる。

 それほどの衣服をホロは身にまとっていた。


 ただ、怒る気にはなれない。

 明らかにサイズの大きいそれを身につけたホロが、それほど可愛かわいかったからだ。


「真っ黒で上等なクマがいとうじゃ。わっちのかみの毛が茶色だからよく映える。ただ、このズボンをわっちがくには尻尾しつぽじやじゃの。穴あけてよいかや?」


 さらりと言うが、ベテランの毛織物工に無理をいって作ってもらったズボンなのだ。穴を開けたらおそらくもう二度と直らない。ロレンスは首を横に振った。力強く、有無を言わせぬように。


「ふうむ。まあ、幸いサイズが大きい。なんとかいけるじゃろ」


 今着ている服を全部脱げ、と言われることなどあり得ないといった様子のホロだったが、このままこの服を着て逃げるわけじゃないだろうなと、まさかとは思いながらロレンスは体を起こしてホロを注視していた。町に行ってたたき売れば、結構な金額になるのだ。


「ぬしは根っからの商人のようじゃ。自分の顔に出る表情がどんな効果を持つかようわかっとる」


 笑いながらホロは言って、ひょいと荷台から飛び降りた。

 その動作があまりにも自然でかくながら反応できなかった。あのまま走り去られていたら追いつけなかったかもしれない。

 ただ、ロレンスの体が動かなかったのは、ホロが逃げるわけがない、という確信がどこかにあったからかもしれなかった。


「逃げやせんよ。逃げるならとっくに逃げとる」


 ロレンスは荷台の上の麦にいったん目をやってから、笑いながらそんなことを言うホロに視線を向ける。すると、どうやらロレンスのたけに合わせて作られている熊の毛皮の外套を着るにはたけが足りなかったようで、ホロは外套をはずして荷台に放り投げてきた。昨日きのうは月明かりの下で見ただけだったからいまいちわからなかったが、思っていたよりも小柄だ。ロレンスはどちらかといえば長身だが、ホロは頭二つ分くらい優に小さかった。

 そして、そんなホロは服の具合を確かめるついでのように、口を開いたのだった。


「わっちはぬしと旅がしたい。ダメかや?」


 びる訳でもない笑顔。媚びてくれればまだ断りようもあるというのに、ホロは楽しそうにそう言うのだ。

 ロレンスは小さくため息をつく。

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