第二幕 ④

 ホロは、あの時ぬすみ聞いていたはずの話を思い出すように遠くを見て、手に持ったままだったジャガイモのかけらをひょいと口に放り込んで飲み下した。


「どこが噓かとか、くわしい内容についてはわかりんせんがな」


 ロレンスはうなずき、考える。さすがにそこまでは期待しない。

 が、取引そのものが噓でない限り、結果としてゼーレンの噓は銀貨についてのものとなる。


「貨幣への投機自体は珍しいことじゃない。だがなあ……」

「噓をつく理由がわからない、じゃろ」


 ジャガイモの芽をくりぬいて、残ったところを口に放り込み、ロレンスはため息をつく。

 ホロはもうすでにロレンスのことをしりにしいているかもしれない。


「噓をつく時、大事なのはその噓の内容ではなく、なぜ噓をつくかというその状況じゃ」

おれがそれに気がつくまでに何年かかったと思う」

「ふふん、ぬしはあのゼーレンという男をわかぞうと思っとるようじゃが、わっちから見りゃどっちもどっこいじゃと言ったろう」


 得意げに笑うホロだが、ロレンスはこの時ばかりはホロが人間であって欲しくないと願うばかりだ。自分が苦労して得てきたことを、見た目どおりの若さのホロが手に入れているとしたらロレンスの立つ瀬がどこにもないからだ。

 そんなことを思っているとホロが意外な言葉を放ってきた。


「もし、わっちがいなかったら、ぬしはどう判断するよ」

「うむ……うそまことかその判断は保留にし、とりあえずゼーレンの話をんだように振る舞うな」

「それはなぜかや」

「真であればそのままもうけに乗ればよく、噓であれば誰かが何かをたくらんでいるということだから、そういう時は、注意深く裏を突けば大抵が儲け話になるはずだからだ」

「うん。じゃあ、わっちがぬしのそばにいて、あの話は噓じゃと教えたら?」

「ん?」


 そこで何か化かされているような気がして、ようやく気がついた。


「……あ」

「うふ。ぬしは始めから何も迷うことなどありんせん。どの道乗った振りをするんじゃろ」


 ニヤニヤ笑うホロに、ロレンスはぐうの音も出なかった。


「この余りのジャガイモは、わっちの物じゃな」


 ホロはベッドから手を伸ばしてテーブルの上のジャガイモを取ると、にこにこしながら二つに割る。

 ロレンスは、苦々しくて手元の二つ目を割る気になれなかった。


「わっちはけんろうホロじゃ。ぬしの何十倍生きとると思っとる」


 そんなふうに気づかわれるのがまたしやくで、ロレンスはジャガイモをつかむと思い切りかぶりついた。

 なんだか、しんせきの行商人の元に弟子入りしたての頃を思い出したのだった。



 翌日、外はれいな秋晴れだった。教会の朝は商人のそれより早く、ロレンスが目を覚ました頃にはすでに朝の日課が終わっていた。それはまあ知っていることなのでなんともないのだが、外の井戸で顔を洗っていると、部屋に姿が見えず外のかわやにでも行ったのかと思っていたホロが教会の者達と一緒に聖堂から出てきたのには驚いた。きちんとがいとうを頭からかぶってうつむき加減に歩いてはいたが、時折信徒達と親しげに言葉を交わしている。

 豊作の神など認めない教会の者と、その当の豊作の神が親しげにしやべっている光景はなんとも苦笑ものだったが、あいにくとそれを楽しめるほどロレンスのきもも太くない。

 信徒達と別れ、井戸のそばでぼうぜんとしているロレンスのもとにしずしずと歩み寄ってきたホロは、小さな両手を胸の前で組んで小さく言ったのだった。


「わっちのだんな様のきもが太くなりますように」


 ロレンスは冬も近くなった秋の朝の冷たい井戸水を思い切り頭からかぶり、ケタケタ笑うホロの笑い声が聞こえない振りをしたのだった。


「しかし、こやつらもえらくなったもんじゃな」


 ホロが昨日きのう尻尾しつぽを振って水を切っていたように、ロレンスも頭をぶるんぶるん振って水を切ったが、ホロはどこ吹く風だ。のんきにそんなことを言っている。


「教会は昔から偉いだろう」

「いやいや。わっちが北からこっちに来た頃はまだそんなでもなかったわいな。少なくともゆいいつしんが十二人の天使とともに世界を作り、人はその作られた世界を借りている、なんて大げさなことよう言わなんだ。自然は誰かが作れるようなもんじゃありんせん。わっちはいつから教会は喜劇を扱うようになったんじゃと思ったくらいじゃ」


 時折耳にする自然学者の教会批判と似たようなものだが、それを言っているのが何百年も豊作をつかさどっていたけんろうを自称する者なのだから面白い。ロレンスは体をいて、服を着る。横に置いてある箱に寄付をするのも忘れない。教会の連中は、誰かが井戸を使ったらその度に寄付箱をチェックするのだ。お金が入っていなかったりすると、不吉なお告げをして不安がらせたりする。旅から旅のロレンスとしては不吉なお告げをされたりしたらたまらない。

 もっとも、寄付箱に入れたへいは黒ずんでり減った、さいの中では一番安い銅貨とも呼べないようなあくな銅貨ではあったのだが。


「これも時代の移り変わりかの。この分だとだいぶ変わっていそうじゃ」


 とは、故郷のことかもしれない。がいとうの下からしゅんとした様子が伝わってきたからだ。

 ロレンスはホロの頭をぽんぽんと軽くたたく。


「おまえ自身は変わったのか?」

「……」


 ホロは無言で首を振る。こんなぐさはとても子供っぽい。


「なら故郷も変わっていないだろ」


 今はまだわかぞうの部類とはいっても多少としてきた自分だ。各地を飛び回ってたくさんの人間に出会って様々な経験をして積み重ねてきたからこそ言える言葉を、ホロに言ってやった。

 例え家出同然に故郷を飛び出してきた行商人であっても、行商人なら全ての者が故郷を大事にする。異国の町で頼れるのは同郷の者達だけだからだ。

 そんな行商人達が、もう何年も故郷に帰っていない者達に言う言葉がそれだ。

 ホロはうなずいて、外套の下から少しだけ顔を出した。


「わっちがぬしからなぐさめられてちゃ賢狼の名折れじゃ」


 笑いながらそう言ったものの、きびすを返して部屋のほうに戻ろうとしたホロの流し目は、ロレンスに礼を言っているように見えた。

 てつとうてつ頭が切れて、としけんじんらしく振る舞ってくれるならロレンスもそれなりに対応のしようがある。

 ただ、時折見せる子供っぽいぐさの対応にきゆうするのだ。

 ロレンスは今年で二十五だ。町の人間ならつまもらって子供と共に教会の説教に行く年頃で、人生も半ばを過ぎている。ホロのそんな振る舞いは、ロレンスの独り身のすきようしやなく入り込んでくる。


「ほれ、はよ来い。何しとる」


 少し離れたところでホロが振り向きざまにそう言った。

 まだ出会ってから二日しかっていないというのに、とてもそんな気がしなかったのだった。



 ロレンスは結局ゼーレンの誘いに乗るむねを伝えた。

 ただ、ゼーレンもロレンスと口約束だけで情報のすべてを教えるわけにはいかないだろうし、ロレンスもゼーレンに前金を払うことなどできはしない。どの道ロレンスが毛皮を金に換えなければならなかったこともあり、結局川沿いの港町パッツィオで公証人の下、正式な契約書を交わすことにしたのだった。


「それじゃああっしは先に行ってますんで、パッツィオについて一息ついたらヨーレンド、っていう酒場に来てください。あっしと連絡取れるようになってます」

「わかった。ヨーレンドだな」


 ゼーレンはあいきようのある笑顔で頭を下げて、干した木の実の詰まったあさぶくろかついで先を歩いていった。

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