第二幕 ⑤
ロレンスも、この荷馬車を手に入れるまでのことを思い出して少しゼーレンの後ろ姿が
「一緒に行かんのかや?」
ホロが
しかし、耳を隠すために
「
「確かに、商人は時間にうるさいわな」
「時は金なりだ」
「うふふ。面白い言葉じゃ。時は金なりか」
「時間があればそれだけ金を
「うん。確かにの。ただ、わっちにはその発想はないな」
言ってから、ホロは再び
そのまま垂らすと
「お前が何百年と見続けてきた農夫達も、時間には正確だと思うが」
と、そう言い終えてからロレンスはこの話題の振り方はまずかったかと思ったのだが、ホロは視線だけをロレンスに向けてきて、「貸しがひとつじゃな」と言わんばかりに意地悪そうに笑っていたのだった。
「ふん。ぬしは何を見とるかよ。やつらは時間に正確ではない。空気に正確なんじゃ」
「……わからないな」
「よいか? やつらは夜明けの空気で目を覚まし、朝の空気で畑を耕し、午後の空気で草をむしる。雨の空気で
ホロの言葉がすべて理解できるというわけでもなかったが、言われてみれば納得できるところもある。ロレンスが感心するようにうなずくと、ホロはそれを受けて得意げに胸をそらして鼻を鳴らしたのだった。
この自称
そんな折に、道の向こうから徒歩の行商人らしき者が歩いてくるのが目に入った。
ホロは
ただ、そのまますれ違った行商人はホロの尻尾をじっと見つめていただけで、特に何かを言うわけでもなかった。
まさか、それがホロの尻尾だとは思わないのだろうし、ロレンスもきっと同じ状況になれば何の毛皮かと値踏みする程度だ。
それでも、それを実際に平気な顔してできるかというと話は別だった。
「ぬしは頭の回転は良いが経験が足りんな」
毛づくろいが終わったのか、ぽいと尻尾を手放してもそもそと
しかし、その口から出る言葉にはとても
「もっとも、逆を言えば
「それは何百年後の話だ?」
ホロのからかい方がわかったのでそう切り返してやった。
ホロは驚いたような顔をして、それから大きな声で笑ったのだった。
「あははははは。ぬしの頭はよう
「お前の頭が古すぎてがたがきているだけじゃないのか」
「うふふふふ。わっちら
突然切り替えられる会話の方向についていけない。ロレンスは無防備に答えていた。
「いや、わからないが」
「それはな、人の頭を食べてその力を得ようとするからじゃよ」
にやり、と笑うホロの口にきらめく二本の
それが
負けた、と思ったのはその数瞬後だった。
「ぬしなんぞまだひよっこじゃ。わっちの相手になどなりんせん」
小さいため息と共にそう言い放たれて、ロレンスはぐっと
「しかし、ぬしは山で狼に襲われたことないんかや?」
狼の耳と
「ある。えーと……八回くらいかな」
「てごわいじゃろ」
「ああ。野犬の群れは結構どうにかなるが、狼はてごわい」
「それはな、そやつらが少なからず人を食ってその力を」
「悪かった。やめてくれ」
三回目に狼に襲われたのは隊商を組んでいた時だ。
そして、そのメンバーのうち二人は山を降りることができなかった。あの時の悲鳴が今も耳にこびりついている。
無表情になったのは、意識したわけではない。
「あ……」
「すまぬ……」
しゅん、と体が小さくなるほど
ロレンスはそれでなくとも狼に何度もひどい目にあっている。
べちょり、べちょり、と馬がぬかるんだ道を行く音だけがしばらく響いていた。
「……怒っとる?」
だから、答えてやった。
「怒っている」
ホロは、黙ったままロレンスのほうを見上げてきた。横目に視線を向けると、少し
「怒っているからな。二度とその
結局、そっぽを向きながらそう言うしかなかった。
しかし、ホロは
それからしばらくまた沈黙が続いたが、やがてホロが口を開いた。
「
ポツリと言ったその言葉を無視してもよかったが、そうするとその先会話を再開するきっかけを作るのがとても難しそうだ。ロレンスはホロのほうに少し顔を向けて、とりあえず聞く姿勢を作る。
「……ふん?」
「狼は人に狩られることしか知りんせん。人は恐怖の対象じゃ。だからよく考える。彼らが森に来た時、わっちらはどう動くべきか」
まっすぐに前を向いて、初めて見るような真剣な顔でそう言っている。
ロレンスはとてもそれが
ただ、それが少し気の抜けた
「お前も、人を」
その先は、ホロがロレンスの服を
「いくらわっちでもな、答えられんことがある」
「う……」
ロレンスは思いつきで口を開いた自分を胸中で
すると、とたんにホロはにかりと笑ったのだった。
「これで一対一じゃな」
賢狼は、二十五年程度の人生では追いつけない位置にいるようだった。
それからは特に会話もなく、それでも気まずいわけでもなく、荷馬車もぬかるみにはまることなく道程を進み、昼を過ぎてあっという間に日が暮れた。
雨の降った次の日に日暮れ以降進むことは行商人ならば絶対にしない。荷馬車の車輪がぬかるみにはまったらどれほど荷物が軽くても十回に七回はその荷馬車を
行商でより多く
「ぬしとわっちじゃ、生きてきた世界が違うんじゃよな」