第三幕 ①
平野を
港町パッツィオはそんなスラウド川の中流に位置する大きな町だ。町からさして離れていない上流に麦の大産地を抱え、さらに上流には木々の生い茂る山々がある。川には年中切り出されてきた木が浮かび、その合間を
昼を過ぎてだいぶ
パッツィオは王から自治権を奪い取った商業の発展した町であり、そこを
「ここには王でもいるのかや?」
そして、町の中に入ったホロの第一声がそれだった。
「人の多い町に来るのは初めてか」
「時代は変わりんす。わっちの知る町はこんだけ大きければ王がいた」
こんな町などかすむほどに巨大な都市を見たことのあるロレンスとしてはちょっとした優越感だったが、そんなことを思っているとまたそれを指摘されかねない。それに、ロレンスも昔は何も知らなかったのだ。
「うふ。よい心がけじゃ、とだけ言っておこう」
ただ、そう思うのが少し遅かったようだった。
ホロは道の両
「ふうむ。祭り……なわけじゃなかろ?」
そんなふうにロレンスが思っていることにはまったく気がつかないのか、それともわざと無視しているのか、ホロは相変わらずきょろきょろしながらそう言った。
「教会の祝祭日なんかは歩くことすらできないくらいに人が集まる。今日はまだ空いているほうだ」
「ほほう。想像もつかぬ」
楽しそうにホロは笑い、身を乗り出しては道の両脇に並ぶ露店を物色している。
初めて町に来た
「おい」
「んー?」
と、ロレンスの呼びかけにもホロは返事だけだ。視線は相変わらず露店だった。
「お前、顔隠さなくて大丈夫か」
「ん、顔?」
それでようやく振り向いた。
「パスロエの村は今頃飲めや歌えの大騒ぎだろうが、村の人間すべてが祭りに参加しているわけじゃない。なんだかんだで町に来ている連中も多いだろうから、お前のことに気がつくやつがいるかもしれないだろ」
「ふん、そんなことかや」
急に
「例えこの耳
大声を上げなかったのが
ホロは鼻を鳴らして
「何百年も村にいたのならお前についての言い伝えくらい残っているだろう? それとも人の姿は
「残っとるよ。時折人の姿を見せとった時期もあった」
「見た目に関するものも?」
ロレンスの質問に、面倒くさそうな視線を横目で向けたものの、ホロは
「わっちが覚えている限りじゃと、こうじゃ……。美しい
ホロは、これでよいか?、とばかりにけだるげな視線を向けたのだった。
「その話を聞くとお前の特徴が全部伝わっているようだが、大丈夫なのか」
「耳と尻尾を見せたところでぬしのように
外套を
そんな様子を横目に、ロレンスは
村の話題そのものが禁句な感じなのだ。それに、言い伝えが残っていても顔の様子まで伝わっているようではないし、耳と尻尾を見せなければまずホロだとわかりはしないだろうと思い直した。言い伝えは言い伝えで、教会などの手配書ではないのだ。
しかし、ロレンスがそう思い直して口を閉じてからしばらく後、何かを考えているふうだったホロが、外套の下からぽつりと言葉を
「なあ、ぬしよ」
「ん?」
「やつらは……わっちのことを見ても気がつかぬ、よな?」
さっきまでとは違うホロの雰囲気は、まるで本当は気がついて欲しいと言わんばかりだ。
しかし、ロレンスも馬鹿ではない。努めて無表情に、視線を馬の
「
ホロは
それがロレンスにだけでなく、ホロ自身にも向けられる言葉だったと気がついたのは、ホロが再び馬車の上で露店を見ては楽しそうな声を上げるようになってからだ。
ただ、さすがにそれを確認はしない。ホロもなかなかに
今は
「たくさん
「南との中継点になっているからな。季節が良ければ、そうそう行くことのできない南の地方のものもある」
「南は果物が多くてよいのう」
「北の地方でも果物くらいあるだろう」
「硬くて
「狼は
「辛い物は好かぬ。一度難破した船の荷物にありついたことがあるんじゃけどな、赤い
「はは。
「しばらく皆で川に顔突っ込んで、人とは恐ろしいものじゃと嘆いとった」
そう言って小さく笑うと、ホロはしばらくその
ロレンスは何か言うべきかと考えたが、再び調子を取り戻したホロが先に口を開いたのだった。