第三幕 ③

 ミローネ商会は船着場から五番目に近い位置にあり、二番目に大きい店舗を構える。板張りの船着場通りに向かって大きく荷馬車のはんにゆうぐちを確保したそこは一見すると一番大きいてんのように見えてしまう。何より、そこに運び込まれる様々な品物の種類と量がよく見えて、はんじようしている店なのだということをこれでもかと往来を行く人達に見せつける。これも地元業者と戦っていく独特の知恵なのだろう。地元の連中は、こういう派手さよりも長い期間をかけてつちかってきたコネで商売を行ったりするせいで、自然とあまり派手に自分のところがもうかっているとは強調しない。その必要がないからだ。

 そんなミローネ商会の荷揚げ場の前に荷馬車を止めると、たちまちのうちに店の人間がやってきた。


「ようこそミローネ商会へ!」


 髭をあて、かみを整え、身なりもきちんとした人間に荷揚げ場を任せているのだから変わった商会だ。普通、荷揚げ場はさんぞくのような男達がりながら右に左にと立ち回っている場所だ。


「以前こちらで麦を買い取ってもらったんだが、今日は毛皮を買い取ってもらいたい。商品は持ってきてある。時間をいてもらえまいか?」

「ええ、ええ、もちろん大歓迎でございます。それではこのまま奥に入りまして左手の者達にお声をおかけください」


 ロレンスはそれにうなずくと、再び手綱たづなを握り言われたとおりに馬車をはんにゆうぐちから荷揚げ場へと入れる。そこかしこに麦だのわらだの石だの木材だのくだものだの、とにかく色々な物があふれている。その上ここを行き交う者達の活気も相当なものだ。異国の地で成功を収めるというのはこういうことなのだろう、と行商人の目を覚まさせるような場所だった。

 横にいるホロも、少し驚いているようだった。


「おおい、だん様よ、どこに行かれる」


 忙しく荷揚げや荷降ろしを行っているのを横目に奥に入っていくと、ちゆうでそんな声に呼び止められた。声の聞こえたほうを向くと、真っ黒に日焼けして体からを上げているおおがらな男の姿が目に入った。さすがに荷物を扱う現場では入り口でロレンスに声をかけたような男は使っていないようだったが、それにしてもごつい。ホロが、小さく「戦士かや?」と言ったほどだ。


「毛皮を買い取ってもらいに来た。入って左側の者に声をかけろと言われた」


 ロレンスはそう言ってから、その男が荷揚げ場の左側にいたことに気がつき、その男と目が合うと二人して笑い合ったのだった。


「よっしそれじゃあ旦那の馬車はおれが預かろう。そのままこっちに入って来てくれ」


 ロレンスが言われたとおりに男のほうに向かい馬を歩かせると、男は真正面から馬を抱きとめる形になって静止の合図を出した。馬がぶるるんと鼻を鳴らす。男の活気にあてられたのかもしれない。


「ほほう、良い馬だ。こいつは丈夫そうだ」

「文句も言わずに働いてくれる」

「文句を垂れる馬がいれば見世物にするべきだ」

「違いない」


 二人は互いに笑い合った。それから男が馬を荷揚げ場の奥まで設けられているがんじようそうな木のさくにくくりつけると、大声で誰かを呼ぶ。

 やってきたのは、わらたばを持ち上げるよりも羽ペンを持つのが似合いそうな男だ。買取の査定を行う者だろう。


「クラフト・ロレンス様ですね。当商会のご利用を店主に代わってお礼申し上げます」


 ていちようあいさつには慣れっこだが、さすがに名乗る前に名前を呼ばれてめん食らう。この商会を利用したのは三年前の冬に麦を売りに来たのが最後だが、もしかしたら、入り口で声をかけてきた男がロレンスの顔を覚えていたのかもしれない。


「本日は毛皮の買取をごしよもうだとおうかがいいたしましたが」


 今日の天気から話題を切り出す地元業者とは違って単刀直入だ。ロレンスは軽くせきばらいをすると気持ちを商談用に切り替える。


「いかにも。この後ろのものがそれなのだが、全部で七十枚ある」


 ひらり、とぎよしやだいから飛び降りて査定の男を荷台へと誘う。横に座っていたホロも遅れて御者台から降りてくる。


「ほう、これは良いテンの毛皮ですね。今年はどの作物も豊作で、テンの入荷が少ないのです」


 テンは市場に出回る約半分のものが農作業の合間に農夫達によって狩られるものだ。そのため作物が豊作で農作業が忙しいとその供給も減る。ロレンスは少し強気に出ることにした。


「これほどの質を持つ毛皮は数年に一度だろう。ちゆう雨に降られたがまったく失っていないこの毛皮のつやを見てもらいたい」

「ほほう、確かに良いつやです。毛並みも良い。大きさはいかがでしょう」


 ロレンスは荷台の上から即座に大きそうな物を選んで査定の男に手渡した。商人の商品に持ち主以外が直接手をれるのはご法度はつとだからだ。


「ほほー……これは申し分ない大きさです。えーと、こちらが、七十枚でしたね?」


 ほかのものの大きさも見せろ、とは査定の男も言わない。そんなすいなことを言うようではやっていけない。買取の査定はここが勝負どころなのだ。商品のすべてを見たいと思わない買い手はいないが、商品のすべてを見せたいと思う売り手もいない。

 ここはと礼儀と欲望の十字路だ。


「それでは……ローレンツ様は、あ、失礼、ロレンス様は以前麦のお取引をさせていただいておりますので、こちらの金額でいかがでしょう」


 同じ名前も国によって発音が違う。ロレンスもよくやるミスなので笑って許し、男がふところから取り出した木製の計算機に目を落とす。国や地方によって数字の書き方がまちまちの上、わかりにくいことこの上ないため商談で紙の上に数字が書かれることはめつにない。木製の計算機はそこにある木の玉の数によって値段がいちもくりようぜんだ。ただし、何のへいで計算されているのかには注意しなければならないが。


「トレニー銀貨で百三十二枚を提案させていただきます」


 ロレンスは一瞬悩む振りをする。


「これらはなかなか見ないつぶぞろいの毛皮でね。今日こちらに持ち込ませてもらったのも以前麦の取引で世話になったからなのだが」

「そのせつはありがとうございます」

「私としては今後こちらの商会と良き関係を築いていきたいと考える」


 ロレンスは言葉を切って小さくせきばらいをする。


「いかがだろうか」

「当商会といたしましてもまったく同感でございます。それでは今後の親交も考えまして百四十枚でいかがでしょうか」


 見えいたやり取りだが、そんなまんの中にも真実があるから商談は面白い。

 トレニー銀貨百四十枚なら上々だ。これ以上押すのは得策ではない。それに、今後の関係もある。


「それで頼む」、とロレンスが言おうとした矢先だった。

 今まで黙っていたホロが、小さくロレンスの服のすそを引っ張ってきたのだ。


「ん? ちょっと失礼」


 査定の男に断って、ロレンスはホロのがいとうの下に耳を寄せる。


「わっちは相場がわからん。どんなもんじゃ」

「上々だ」


 そうとだけ答え、査定の男に商談用の笑みを向ける。


「それでは、ご納得いただけますでしょうか」


 向こうも商談のまとまりを察したようだ。笑顔でそう言って、ロレンスは返事をしようとした。

 まさか、ここでホロが口をはさむとはちょっと思わなかった。


「しばし待たれよ」

「なっ」


 とは、ロレンスの思わずの言葉だ。

 それでもホロはロレンスに何かを言わせる前に言葉をつむぐ。この辺の呼吸のつかみ方は商人じゃないかと思ったくらいだ。


「トレニー銀貨百四十枚。確かにそう申されたかや」

「え、あ、はい。確かにトレニー銀貨で百四十枚です」


 今まで黙っていたホロにそう尋ねられ、少し当惑しながらも査定の男がりちに答える。大体、女が商談の場に立つのは珍しいことだ。ないわけではないが、限られている。

刊行シリーズ

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新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙IXの書影
狼と香辛料XXIV Spring LogVIIの書影
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狼と香辛料XVIII Spring Logの書影
狼と香辛料XVII Epilogueの書影
狼と香辛料XVI 太陽の金貨<下>の書影
狼と香辛料XV 太陽の金貨<上>の書影
狼と香辛料XIVの書影
狼と香辛料XIIISide ColorsIIIの書影
狼と香辛料XIIの書影
狼と香辛料XISide ColorsIIの書影
DVD付き限定版 狼と香辛料と金の麦穂の書影
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