第三幕 ④
「ふうむ。ぬし様は気づかれたかよ?」
それでもホロはそんな事実を知らないのか、それとも知っていても気にしないのか、
査定の男は気を
「も、申し訳ございません。何か見落としていることがございますでしょうか」
査定の男は見たところロレンスと同じ年くらいの、異国から来ている商人だ。経験してきた商談の場は数知れず、対応してきた人間の数も同様だろう。
そんな
確かに、突然そんなことを言われれば動揺するに決まっている。なにせ、ホロの言葉は「お前はどこを見ているんだ」というものに等しいからだ。
「うむ。ぬし様は一角の商人と見受けられるが……いや、だからこそわざと気づかぬ振りをしたのかや? ならばぬし様も油断ならぬお人じゃ」
外套の下でホロがにやりと笑う。ロレンスは
今の商談で、この男がした査定は妥当なものなのだ。それに、ホロの言葉が当たっているのだとしたら、それはロレンスもその何かを見落としていることになる。
そんなもの、ない。
「め、
買取の査定をする者がこんな低姿勢になったことなど初めてだ。その振りならいくらでも見たことはあるが、どうも本気のようだ。
ホロの言葉は、
そんなことを思っていたら、不意にホロがロレンスのほうを見た。
「あるじ様よ、意地悪はするものではない」
あるじ様、という言葉がなんとも馬鹿にしているのかこの場にふさわしいのかちょっと判別しづらかったが、ここで間違った対応を取れば後でホロに何を言われるかわからない。必死に頭を
「そ、そんなつもりではない。しかし、こうなってはしょうがない。お前、教えてやりなさい」
ホロが左側の
「あるじ様、毛皮を一つ取ってくださいまし」
「うむ」
あるじ様と呼ばれているのだから威厳を保たなければならない、と
「どうも。さて、ぬし様よ」
ホロはそう言って受け取った毛皮を持ち査定の男に見せる。一応毛並みや大きさや色
「こちらは見てのとおりに良き毛皮じゃ」
「はい、まったく同感でございます」
「うむ。これは数年まれに見る良き毛皮。されど、ここではあえてこう言うべきじゃ。すなわち、数年まれに
ホロの言葉に一瞬その場が固まった。意味が、わからない。
「匂いであるのに意外な盲点とはこれいかに」
ホロはそう言って一人からからと笑う。ホロの
「まあ、
ホロはそう言って男に毛皮を渡し、手渡された男はロレンスのほうを当惑した目で見る。
ロレンスもそれに同情したい気持ちだったが、ゆっくりとうなずいた。
毛皮の
向こうも同様のはずだが、客が言うのだから逆らえもしない。男が、ゆっくりと毛皮に鼻を近づけ、匂いを嗅いだ。
すると、当惑しか浮かんでいなかった顔に少し驚きの色が混じる。もう一度匂いを嗅ぐと、それは完全に驚きのそれになった。
「どうじゃろ。何か匂うかや」
「え、あ、はい。これは、
ロレンスは驚いて毛皮を見る。果物の匂い?
「いかにも。今年は豊作のせいでテンの毛皮が少ないと申されたとおり、森もたわわに実った果実で
査定の男は話を聞きながらもう一度匂いを嗅ぐ。それからうなずいて、確かに、と言う。
「実際、毛皮の色
「
ロレンスも胸中で
「この毛皮はこれ、このとおり、甘い香りが匂い立つほどうまいものを食っておるテンの毛皮じゃ。その毛皮を
男もつられてぐいぐいと手元の毛皮を引っ張ってみる。
しかし、実際は買い取ってもいない商品をそこまで強く引っ張れない。ホロは、当然そこをわかっているのだろう。
見事なほど、絵に
「この毛皮は
査定の男が言われたとおりにその場面を想像するように少し遠いところを見る。ロレンスもつられて見るが、確かに目立って売れそうだ。いや、この場合は匂い立って、か?
「さて、いかような値段でこちらを買い取っていただけるじゃろうか」
その言葉に、査定の男はぱちんと夢から覚めたように背筋をただし、
「トレニー銀貨二百枚でいかがでしょうか」
その言葉にロレンスは思わず息を
「うーん」
しかし、ホロがそんなうなり声をあげる。ロレンスはもう
「毛皮一枚につき銀貨三枚でどうかや。つまり、二百十枚」
「う、えー……」
「あるじ様、
「あ、わ、構いません! 二百十枚でよろしくお願いします!」
その言葉にホロは満足げにうなずいて、ロレンスのほうを向いたのだった。
「だ、そうじゃ、あるじ様」
やっぱり、からかってそう呼んでいるようだった。
ヨーレンドという名の酒場は少しうらびれた通りにあった。ただ、店構えは開放的で掃除も行き届き、客層も例えば職人なら
そんなヨーレンドの酒場の席に着くと、ロレンスはどっと疲れが出たような気がした。