第三幕 ⑤

 対するホロは極めて元気だ。その道の人間二人をいとも簡単に出し抜いたのだからさぞ気分もよいことだろう。まだ時間が早いこともあって店内は空いており、そのためすぐに出てきた酒でかんぱいしたものの、ホロは一気に飲み干し、ロレンスは少しなめただけだった。

 特級のぶどう酒だというのに、何の味もしなかった。


「うーん。やはりぶどう酒じゃの」


 げふー、とげっぷもいつちようまえだ。すぐに木のジョッキを掲げて追加を注文する。店員のむすめは景気のよい客に笑顔で返事をした。


「どうしたかや。飲まんのか」


 って乾燥させた豆をぼりぼりみながらホロはそう言うが、その口調が意外にも勝利に酔いしれたそれではなかったので、ロレンスは正直に聞いてみることにした。


「お前、商人やってたことがあるのか?」


 豆をぼりぼり嚙みながら、早速追加されたジョッキを手に取ってホロは意外にも苦笑いをしたのだった。


「なんじゃ、わっちのあれがぬしの誇りに傷でもつけたかよ」


 まったくそのとおりだ。


「ぬしがどれほどたくさんの商談をしてきたかはわっちにはわからんが、わっちもあの村でたくさんの商談を見てきとる。あれはな、いつだったかや、もうかなり昔じゃが、ずいぶん頭の切れる者が使っとった方法じゃ。わっちが思いついたわけじゃありんせん」


 そうなのか?、とは口に出さず目で問いかけた。我ながら情けないとは思ったが、ホロが酒を飲みながら困ったように笑ってうなずくと、ため息と共に多少安心したのだった。


「しかし、おれは本当に気がつかなかった。というか、昨日きのうあれに包まって寝た時はくだものにおいなどしていなかったが」

「それはほれ。わっちがぬしに買ってもらった林檎りんご。あれじゃ」


 ロレンスはもう声も出ない。いつの間にそんなさいをしたというのか。

 しかし、それを聞いて即座に思い浮かんだねんがあった。

 それではじゃないか。


「引っかかったほうが悪い、とは言わんが、向こうもこんな方法があるのか、と感心するじゃろ」

「……まあ、だろうな」

「だまされた時に怒っているようじゃ話になりんせん。そんな方法もあるのかと感心してこそ一人前じゃ」

「堂に入った説教だな。まるでとし食った商人だ」

「うふ。どれほど年食ったじじいもわっちから見れば赤ん坊と同じよ」


 ロレンスはもう笑うしかなく、かたをすくめるとぶどう酒を飲んだ。今度は、きちんと味がしたのだった。


「それはそうと、ぬしはきちんとするべきことをしたのかや?」


 とは、ゼーレンの持ちかけてきた話のことだろう。


「一応さっきの商会の連中に、近々銀貨を発行しなおす国がないかと話は聞いてきたが、隠しているふうでもなかった。独占できるたぐいもうけ話でない限り、あいつらはあまりそういうことを隠さない。そういう話を客にして、恩を売ったほうが得な場合が多いからな」

「ふむ」

「もっとも、その手の話で考えられる可能性はそんなに多くはないんだ。だから話に乗ったということもあるんだが」


 ではなく、事実だ。へい相場の変動は極端にいえば上がるか下がるかそのままかしかない。複雑になったとしても、もう頭を一ひねりすればほぼすべてが思いつくものばかりなのだ。

 そうなれば、持ちかけられた取引内容とともに誰が得をして誰が損をするかを考慮すれば、そこから導かれる選択などそう多いわけではない。

 しかし。


「まあ、そこにどんなからくりがあったとしても、おれが得をして損をしなければそれでいい。すべてはそれに尽きる」


 ぶどう酒を飲んで、豆を口に放り込む。一応この代金はホロ持ちということになっているから、飲んで食わなきゃ損だ。


「しかし、マスターらしき人間が見当たらないが、外に出ているのか」

「店に行けば連絡が取れると言っとったな。よほどこんにしておるのかや」

「いや、行商人が連絡きよてんにするのは、出身地が属する商館か、酒場かのどちらかだ。おれも後で商館に行っておかないといけないんだが、やはりマスターはいないな」


 ロレンスはそう言って店内を改めて見回した。そこそこ広い店内には、丸テーブルが十五たくにカウンター席も十五席並んでいた。客はロレンスとホロのほかに暇をもてあましている感じの引退した職人らしい老人二人がいるだけだった。

 まさかその老人二人に声をかけるわけにもいかないので、ロレンスはちょうど追加のぶどう酒と、ニシンの塩漬けに羊肉マトンくんせいを持ってきたむすめに聞いてみることにした。


「マスターですか?」


 細いうでのどこにそんな力があるのか、軽々と酒や料理をテーブルに置くと娘はロレンスのほうを向き直ってにこりと笑って言ったのだった。


「今は仕入れに行っていますが、何か御用事ですか?」

「ゼーレンというやつに連絡を取りたい、と伝えてもらえるかな」


 店がゼーレンを知らないならそれはそれで構わない。酒場を連絡拠点にする行商人はとても多いから、行き違いがあったのだろう程度にしか思われないだろう。

 しかし、それも取り越し苦労のようだった。ゼーレンの名を出すと、元々明るかった娘の顔がさらにぱっと輝いた。


「あ、ゼーレンさんですか。話は聞いています」

「連絡を取りたいんだが」

「昨晩町に帰って来ましたので、しばらくの間は毎晩見えると思いますけど」

「そうか」

「たいてい日が暮れてすぐに来ますので、それまで当店で過ごされることをお勧めします」


 ちゃっかりした娘だ。ただ、それも一理ある。日没まであと一、二時間だから、ゆっくりと飲んでいけばちょうどよい頃合に来るだろう。


「それじゃあそうさせてもらおう」

「はい。ごゆっくりどうぞ」


 娘はそう言って一礼すると、老人二人のつくテーブルのほうへと歩いていった。

 ロレンスはぶどう酒の入ったジョッキを手に取り一口含む。鼻を軽く抜けるさわやかなさんに、舌の両側にしみこむぶどうのあまさ。強烈さが売りのラム酒もいいが、ロレンスはぶどう酒やはちみつしゆといった甘いもののほうがいい。たまになら林檎りんご酒やなし酒といった変わり種もいい。

 麦から造るビールもよかったが、職人によってうまいまずい、それに好みに合う合わないが大きいので考えものだ。値段が高ければそれだけいぶどう酒と違い、ビールは値段によっても良し悪しがわからないから行商人が飲むには向かない物だ。その土地、その町に住む者でないと自分に合ったうまい物を見つけることができない。だから、地元の人間の振りをする時はビールなどを注文したりもする。

 そんなことを思っていると、対面に座っているホロの手が止まっている。何か考えている風だ。ロレンスが声をかけると、ホロはしばしの間を開けてから口を開いた。


「あのむすめうそをついとる」


 間を開けたのは、娘がちゆうぼうのほうに引っ込むのを待っていたようだ。


「どんな?」

「ゼーレンという若者、毎日定刻に来とるわけではなさそうじゃ」

「ふん……」


 ロレンスはうなずいて、ジョッキの中のぶどう酒を見る。


「じゃあ、あの言葉どおりにゼーレンは来るとみていいな」


 そんな噓をつくということは常にゼーレンと連絡が取れるということだろう。もしそうでなければ、ロレンスとゼーレンのそうほうに迷惑がかかるからだ。


「わっちもそう思う」


 しかし、噓をつく理由がわからない。単にいつでもゼーレンを呼べる状況にあるから、適度な時間を開けさせてロレンスとホロにたくさん注文させようと思っているだけなのかもしれない。商売をする者は大なり小なり噓をつくのが日常だ。それ一つ一つを気にかけていたらすぐに道に迷ってしまう。

 なのでロレンスはあまり気にかけず、ホロもそんなものかと思ったようだった。

 その後ははちの子のはちみつがでてきてホロが大喜びした以外、格別何ということもなく日が暮れて、とたんにぞろぞろと客がやってきた。

 そんな中のうちの一人に、予想どおりくだんのゼーレンの姿があったのだった。

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