第三幕 ⑥

「再会を祝して」


 ゼーレンが音頭おんどを取ってジョッキがあわされ、ごつ、と良い音がした。


「毛皮のほうはどうでした?」

「かなり良好な値段だったな。この酒を見てもわかるだろ」

「そりゃあうらやましい。やはり何かコツが?」


 その言葉には即答せず、ロレンスは酒を飲んでから答えた。


「秘密だ」


 ホロがバリバリと豆をくだいていたが、口に浮かぶ笑みを消すためだったのかもしれない。


「なんにせよ高く売れてよかったですね。あっしもだんなの資金が増えればもうけも増える、てものです」

「資金が増えたからって投資する金額を増やすかはわからない」

「え、そんなあ。あっしが高値で売れるように祈ってたのは、それを期待してのことなんですよ?」

「それじゃあいのる場所を間違えたな。おれが投資金額を増やすように祈るべきだった」


 ゼーレンはおおに天をあおいで、目をおおったのだった。


「さて、そんなことより、だ」

「あ、はい」


 ゼーレンは姿勢をただし、ロレンスのほうを見る。ただ、その間にちらりとホロのほうを見ていたのは、ホロも油断ならない相手だと思っているからだろう。


「ある銀貨の銀切り上げが行われるという話を売る代わりに、お前は俺がもうけた金の一部を代金として欲しい。そういうことだったな?」

「はい」

「その銀切り上げの話は本当なのか?」


 まっすぐに問い詰めると、ゼーレンの表情がたじろぐ。


「ええと、そもそもこの話は、あっしがいた鉱山の町のちょっとした情報から予想しましてですね、だから信用してもらっていいと思うんですが……あの、商売に絶対はありませんよ……」

「まあ、だろうな」


 ロレンスの問いと視線に縮んでしまったゼーレンを見て、ロレンスは逆に満足げにうなずいてからはちの子のはちみつをつまんで口に放り込んで、あとを続けた。


「絶対だ、と答えたら断ろうと思っていた。そんなあやしい話はないからな」


 ゼーレンはほっとしたようにため息をつく。


「それで、お前の取り分はいくら欲しいんだ?」

「はい、話代としてトレニー銀貨十枚。あとはだんもうけに対し、その一割でお願いします」

「持ってきた話の大きさの割にはずいぶん控えめな要求だな」

「はい。ただしもちろんあっしにも考えがあってのことです」

「損害のことか」

「はい。旦那が万一損しても、あっしにはおそらくほとんど損害分を払えませんし、払うことになればあっしは全財産放り出すことになる。利益を一割でお願いするかわりに、損害分に関しては話代の銀貨十枚を返すだけで不問にして欲しいというわけです」


 ロレンスはもうとっくに酔いなどどこかにいっている頭で考える。

 ゼーレンの提案にはおおざっぱにいって二通りの可能性がある。

 一つは、ロレンスに損害が出るとそれを利用してゼーレンが利益を得ることができる場合。もう一つは、単純にこの話が本当の場合。

 ただ、ホロのおかげでゼーレンの言う銀貨の銀切り上げ、すなわち銀貨の中の銀の量を増やし、銀貨の価値を高めるということがうそとわかっている。だとすると、考えられるのは銀貨の価値が下がるという事態で、ゼーレンがたくらむのはロレンスが損をすることにより利益を出すことなのだが、どうやって利益を出すのかがわからない。

 こうなると、ホロの言うゼーレンの噓が間違っているのかもしれない、と考えてもよい気がする。本人も百発百中ではないと言っていたし、何よりゼーレンは話代を返すとまで言っているのだ。話代だけを目当てにしたちゃちな計画とも考えられない。

 しかし、これらの問題はいつまで考えてもわかるわけではない。何の銀貨に関してゼーレンが話を持ちかけてきているのかがわかれば、新たに見えてくることもある。

 それに、明らかに損をしそうであればどうせ話代は返ってくるのだ。多少の投機だけをしてお茶をにごしてもいいし、何よりゼーレンが何を企んでいるのかいよいよ興味がつのってきた。


「よし、それで大体いいだろう」

「あ、はい。ありがとうございます!」

「確認だが、お前は話代としてトレニー銀貨十枚を要求し、また、受け取る利益分は俺のもうけに対して一割。さらに、俺が損害を出した時は、お前は俺に話代を返し、俺の損害分はお前に請求しない」

「はい」

「そして、これらを公証人の前で宣言する」

「はい。あ、その決済日ですが、春のおおいちの三日前でお願いできますか。私の予想だと切り上げは年内に来るはずですが」


 春の大市といえば約半年後だ。銀の切り上げや切り下げによる相場変動が多少落ち着くためには必要な期間だろう。仮に切り上げが本当だった場合、強くなったへいには大きな信頼が伴う。信頼の伴う貨幣は取引で好んで使われる。そうすれば市場価値はうなぎのぼりだ。だからあせって売っては損というものなのだ。


「ああ、構わない。とうな期間じゃないか」

「それでは、早速公証人の所に行きたいのですが、かまわないですかね?」


 断る理由もない。ロレンスはうなずいて、ジョッキを手に取った。


「それでは、我々の儲けに」


 二人がジョッキを手にしたのを見て、ぼんやりと豆をかじっていたホロもあわててジョッキを手に取った。


「乾杯」


 ごつり、とよい音がしたのだった。



 公証人制度は、文字どおり公の機関に契約の証人となってもらう制度のことだ。ただ、契約を公証人の元で交わしたからといって、その契約をにした時都市の治安を守る兵士達がその相手をつかまえてくれるわけではない。りゆうせいを極めた王国都市であってもそんなことはしてくれない。

 その代わり、反故にされたほうはそのむねを公証人の名の下に言いふらすことができる。商人にとってそれは致命的なことだ。特に大きな取引をしようと思えばなおさらで、異国の地から来た行商人であっても少なくともその町でその後の取引はできなくなる。

 なので、商人をめることを前提にしている相手にはあまり効果のないそれだが、相手が商人でいつづけるつもりならとても効果がある。

 そんな公証人の元で契約書を交わし、話代の銀貨十枚と引き換えにゼーレンの持つ情報を得た。契約はとどこおりなく終わり、ロレンスとホロはゼーレンと別れるとそのまま足を市場のほうへと向けた。混んでいる町中で空っぽの荷馬車を引いていても事故やめごとの原因になるだけなので、荷馬車を宿に預けての歩きだった。


「あの若者の言った銀貨というのはこれじゃろ?」


 ホロが手に持っているのは、このあたりで最もよく使われるトレニー銀貨だ。最もよく使われる理由というのはこの銀貨が数百種もある貨幣の中でかなり上位に位置する信用度を持つものであるということもあるし、単純にこの町を含むこの近辺一体がトレニー国の領土であるということが大きい。

 自国の領土で自国のへいが使われない国は、遠からず滅亡するか、大国の属国となる運命だ。


「この辺だとかなり信用度の高い貨幣だな」

「信用度?」


 第十一代目国王の横顔が刻まれた白い銀貨をもてあそびながら、ホロはこちらを見上げてそう言った。


「貨幣は何百種類もあるし、しょっちゅう銀や金の切り下げ切り上げが行われるからな。貨幣には信用がつきものだ」

「ふうん。わっちの知る貨幣なんてのはほんの数種類じゃ。やりとりのほとんどが動物のかわじゃったな」


 いつの時代の話なのか、とロレンスは胸中でつぶやくだけにした。


「で、どうじゃ。どの銀貨の話か知ったことで、何かわかったことはあるのかや?」

「わかったことというか、思いつくことはいくつかある」

「例えば?」


 露店を見ながらホロはそう言って、急に立ち止まった。真後ろを歩いていた職人らしき男がそんなホロにぶつかってろうとしたが、ホロはがいとうを少し顔から外すと上目づかいに謝った。結果、職人らしき男はごつい顔のほおを少しあかくして、「き、気をつけな」とだけ言ってことなきを得た。

 ロレンスは、自分だけはこの手に引っかからないようにしよう、と自分自身に言い聞かせたのだった。


「どうした」

「ん、わっちあれ食べたい」

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