第三幕 ⑦
ホロが指差したのは、パン屋の露店だ。昼前ということもあって焼きたてのパンが並び、露店の前では小間使いなどが主人や兄
「パンか?」
「うん。あれ、あの
露店の軒先からこれ見よがしにつり下げられている細長いパンのことだ。上から蜂蜜を何べんも垂らしてたっぷりと蜂蜜を
確かにそれほど魅力的なパンだが、それにしても
「お前金持ってるだろ。欲しければ買ってくればよい」
「パンと
それでようやく理解した。ホロが持っているのはトレニー銀貨だけだ。確かに、パン一個買うには大きすぎるお金だ。林檎ですら、両手で持つのは困難な量になった。
「わかったわかった。細かいの渡すから……両手出せ。ほれ、この黒いやつ一枚で大体あのパン一個だ」
言われるがままに差し出されたホロの小さい両手からトレニー銀貨を取り上げると、代わりに黒ずんだ銀貨や茶色い銅貨を渡し、そのうちの一枚を指してそう言ってやった。
ホロはしげしげと自分の手の中の
「
「口の減らないやつだ」
ロレンスは
ホロが満面の笑みをたたえてパンにかぶりつきながら戻ってきたのを見れば、やっぱり笑わざるを得なかったのだった。
「道を歩いているやつにぶつけるなよ。
「わっちを子供扱いかや?」
「口の周りをべたべたにしながら
「……」
突然黙り込んだので怒ったのか、と思ってしまったが、
「
小首をかしげて上目
「まったく
「
幸い、内心少しうろたえてしまったことは気づかれなかったようだ。
「で、ぬしは何に気づいたのかや」
「ああそうだ。それだ」
「例の話がこのトレニー銀貨だとすると、あながちゼーレンの話が
「ほう?」
「銀を切り上げる理由というのも一応ある。えーと……これか。この銀貨、フィリング銀貨という。南に下って川を三つ渡った先の国のものだがな、銀の純度がなかなかで市場では人気がある。トレニー銀貨のライバルといったところだ」
「ふむ。
「そうだ。国と国の戦争は何も兵士同士の戦いに限らない。他国の貨幣に自国の市場を
「つまりは、ライバルを倒すために銀の純度を上げるという理由がある、というわけかや」
あっと言う間にパンを食べ終わり、ホロは指をなめながらそう言った。
そこまでいけば、ホロは自然とロレンスの言いたいことに気がつくだろう。
「ま、わっちの耳も万能ではないからの」
そして、やはり気がついたようだった。
「可能性として、ゼーレンが噓をついていない場合も十分にあり得る」
「うん。それはわっちも賛成じゃな」
意外に
「なんじゃ、わっちが怒ると思ったのかや?」
「そのとおりだ」
「そう思われたことに対してなら怒るかもしらん」
いたずらっぽく笑ってそう言ったのだった。
「まあ、どちらにせよあり得るということだ」
「ふうん。で、今からどこに行くのかや」
「どの銀貨の話かわかったからな。それを調べに行く」
「
「
「ふん。わっちにだって知らぬことくらいある」
だんだんと、ホロの性格がつかめてきたような気がした。
「で、両替商のところで最近の銀貨の様子を見るというわけだ」
「ん……見て、どうするのかや」
「
「嵐の前
例えが面白かったので、少し笑う。
「まあ、そんなところだ。大きく純度が下がる時はほんの少しずつ下がり、大きく上がる時はほんの少しずつ上がる」
「ふうん……」
と、よくわからない様子だったので、ロレンスは
「貨幣というのはな、ほとんど信用で成り立っている。そこに入っている銀や金と同じ重さの銀や金の値段と比べたら、銀貨や金貨は明らかに価値が高い。もちろん価値の設定は実に
ロレンスの
よく見れば、ホロの横顔はわからないことをあれこれ考えている顔ではなく、何かを確かめているような顔だった。
信じたくはないが、ホロはもしかするとたった一度の説明で理解してしまったのかもしれなかった。
「うむ。つまりはあれじゃな。貨幣を作る側は大きく純度を変える前にほんの少しだけ純度を変えて皆の期待を測り、その反応を見て純度を上げるか下げるかの機会をうかがうというわけじゃな?」