第三幕 ⑧

 こんながいたらその行商人はさぞ複雑な気持ちになるだろう。弟子が優秀なのは誇りだが、それは必ず恐ろしい商売がたきになる。

 ただ、同じことを理解するのに一月近くかかったロレンスにとってはとりあえずくやしさを隠すことが先決だった。


「そ、そんなところだな」

「人の世界はややこしいの」


 苦笑しながらそう言う割には、おそろしいほどホロの理解は早かった。

 そんな会話をしていると、二人はやがて細い川に突き当たった。パッツィオの隣を流れるスラウド川ではなく、人工的に土を掘って川から水を引いて作った用水路で、スラウド川を伝ってこの町に運ばれてきたたくさんの荷物をいちいち陸揚げせずに効率よく市場に運ぶことができる。

 そのためひっきりなしに荷物をまんさいにした小船がせわしなく行き来をしていて、小船を操る船頭同士のり合いなども聞こえていた。

 ロレンスが向かうのはそんな用水路にかる橋の上。昔からの慣習で、りようがえ商と金ざいが店を構えるのは橋の上とされている。そこにむしろを敷いて作業台とてんびんを置いて商売をする。だから当然雨の日は休みだ。


「ほほう、にぎやかじゃの」


 パッツィオ最大の橋の上についてホロがたまらずにそうつぶやいた。水門を閉じればはんらんなどあり得ないので、普通の川には絶対架からないほど大きな橋の両側には、ひじがぶつかり合うほどの密度で両替商と金細工師がのきを連ねている。それらのどこもが盛況で、特に両替商のところでは市場に向かうためにたくさんの国から運ばれてきたたくさんの貨幣が次々とやり取りされていく。そんな横で金細工師が高価な彫り物やれんきんを行っているのだ。さすがに金属をかすようなかまはないが、細かい加工と注文のやり取りはすべてそこで行われる。必然的に都市の納税台帳の上位を占める連中がずらりと顔をそろえることになるだけあって、実にきんにおいにあふれていた。


「これだけいるとどこにするか迷うの」

「行商人ならどこの町にもこんりようがえ商がいるものだ。ついてこい」


 混雑している橋の上を行くと、ホロはあわててロレンスの後ろについてくる。

 最近はどの町でも禁止しているが、活気のある町ではただでさえ人通りが多い橋の上で両替商や金ざいの見習いぞうしようのためにと呼び込みを行うのだ。そうなればもう文字どおりお祭り騒ぎだ。ただ、にぎやかなのは結構なのだが、そのにぎやかさに乗じて両替が後を絶たない。だまされるのは、当然客の側だ。


「お、いた」


 ロレンスも昔は幾度となくだまされたものの、懇意の両替商を作ってからはそんなこともない。

 パッツィオで懇意にしている両替商は、ロレンスよりも少し年下のまだ若い両替商だった。


「ワイズ、久しぶりだな」


 ちょうど客が立ち去ったところで、てんびんからへいを下ろしていたきんぱつの両替商に声をかける。

 ワイズと呼ばれた両替商は、なんだ?、と言いたげに顔を上げて、ロレンスに気がつくとたちまち破顔したのだった。


「おお、ロレンス! 久しぶりだなあ。いつこっちに来たんだ」


 互いの師匠同士が知り合いなので付き合いも長い。友人みたいなものだ。懇意にしているというよりかは、必然的にそうなったというほうが正しい。


昨日きのう町に入った。ヨーレンツからかいして行商をしてきたところだ」

「へえ、相変わらずだなあ。元気だったか」

「まあな。そっちこそどうなんだ」

「へへ、早速わずらってな。師匠のくちぐせがうつっちまったよ。しりが痛え」


 苦笑いをするワイズだが、独り立ちした両替商にとっては一人前になったあかしだ。客がえず一日中座りっぱなしの両替商なら必ず痔を患うものなのだ。


「で、今日はどうした。こんな時間に来るってことは客としてなんだろう?」

「ああ、実はな、頼みがあって……どうした?」


 ロレンスがそう言うと、ワイズはハッと夢から覚めたように視線をロレンスに戻した。それから、視線を再び別のところに向けた。

 正確には、ロレンスのとなりだ。


「そちらのむすめさんは?」

「ああ、パスロエの村からこっちに来るちゆうで拾った」

「へえ……て、拾った?」

「拾ったに近い。そうだろう?」

「む? うむ……なんとなくへいがあるような気もするが、そんなところじゃな」


 物珍しそうにきょろきょろとしていたホロは、ロレンスの言葉に振り向いて、それからしぶしぶといった感じで同意したのだった。


「で、名前は?」

「わっちのかや? わっちの名はホロじゃ」

「ホロ、か……良い名だ」


 ワイズがだらしのない笑顔でそんなめ言葉を言ったのだが、言われたホロがまんざらでもない笑顔で返事をしたのでロレンスは少しだけ面白くなかった。


「あ、行く当てがないならうちの所で働かないかな。今ちょうど小間使いがいなくてね。なに、ゆくゆくはうちのあといでもいいし、なんならよめにで──」

「ワイズ、頼みがあって来た」


 ロレンスがそうさえぎると、ワイズが露骨にいやそうな表情を浮かべた。


「なんだよ。お前もうめにしたのか?」


 ワイズの遠慮のないものの言い方は昔からだ。

 しかし、ホロのことを手籠めにするどころか逆にロレンスがいいように手玉に取られることが多いような状況なので、それには明確に否と返事をしたのだった。


「だったらいてもいいじゃないか」


 ワイズはきっぱりとそう言いきって、ホロのほうを向くと微笑ほほえんだ。ホロはホロで両手をもじもじさせて「困りんす」などと言っている。おそらくわざとだろうが、やはり面白くない。

 もちろん、そんなことおくびにも出せないが。


「それは後にしてくれ。とりあえずおれの用が先だ」

「ち、わかったよ。で、なんだ?」


 ホロはくつくつと笑っていた。


「最近発行されたトレニー銀貨を持ってないか? できれば過去にさかのぼって三回分くらいのものが欲しい」

「なんだ、切り下げか切り上げの情報でもつかんだのか」


 さすがこの辺はその道の人間だ。あっという間に気がつく。


「そんなところだ」

「まあ、せいぜい気をつけるこったな。そうそう周りを出し抜けるもんじゃない」


 と、いうことはへいに通じたりようがえ商でも変化に気がついていないということだ。


「で、あるのか、ないのか?」

「あるよ。先月の教会のこうりんさいの時に発行されたのが最新だな。昔のは……と。これだ」


 ワイズは後ろの大きな木箱から真ん中をくりぬいた木の間に半分だけはさまれた貨幣を取り出し、四枚をロレンスに手渡した。木には発行年度が書かれている。

 見た目は、まったく変わらない。


「一日中貨幣をさわっているおいらでも気がつかないんだ。同じがた、同じ材料で作られていると思うぜ。ぞうへいじよの技師達の顔ぶれも昔から同じだ。大きな政変もないし、変わる理由がない」


 ワイズがそう言うのだ。重さや色などはとっくのとうにしんちように見比べてあるのだろう。それでもロレンスは太陽にかざしてみたりといろいろ試してみる。やはり、何も変化はないようだ。


「無理無理。そんなんでわかってたら俺らがとっくに気がついてる」


 ワイズは笑って、両替台の上にほうづえをつく。あきらめろ、ということだ。


「ふん……どうしたものかな」


 ため息交じりにロレンスはそう言って、頰杖をつきながらもう片方のてのひらを見せているワイズに貨幣を返した。ワイズの手の中に落ちたそれは、ちゃりちゃりとよい音を立てたのだった。


つぶして調べる気はないか?」

「馬鹿を言え。そんなことできるか」

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