第三幕 ⑨

 貨幣を鋳潰すのはどこの国でもご法度はつとだ。ワイズは馬鹿馬鹿しい、とばかりに笑い飛ばす。

 ただ、そうなるとロレンスは判断に迷ってしまう。てっきり貨幣には何らかの変化があって、ワイズならそれとなく気がついていると思ったのだ。

 どうしたものか。

 そんなふうに考え込んでいた時だった。


「わっちにも見せてくれんかや」


 ホロがそう言ったので、ワイズはたちまち顔を上げると最上の笑顔で「どうぞどうぞ」とへいを手渡す。手渡す時に、ホロの手を両手で包んでなかなか離さないということも忘れない。


「ぬし様は悪いお人」


 ホロが微笑ほほえみながら少したしなめるように言ったその言葉に、ワイズは完全に粉々になったようだ。顔をでれでれにして頭などいている。


「何かわかるのか?」


 そんなワイズを無視してロレンスは聞いてみる。いくらホロでも貨幣の純度は測れないだろうと思った。


「まあ、見とりゃんせ」


 それからホロが何をするのかと思いきや、両手で貨幣を包んで耳元に持っていくと手を振ってチャリチャリと音を鳴らしているのだ。


「はは、そりゃあちやというものだよ」


 ワイズがさすがに苦笑する。

 何十年と経験を積んだりようがえ商の中には音を聞いただけで貨幣のわずかな純度を言い当てる者がいると言われるが、それはほとんど言い伝えに近い。行商人でいえばその行商人が買った商品は必ず値が上がる、というようなものだ。

 それでも、ロレンスはもしやと思う。なにせ、ホロの耳はオオカミの耳なのだ。


「ふむ」


 ホロはいったん手を止めて手を開くと、貨幣を二枚選んで残りを両替台の上に置く。

 それから、その二枚を何度か打ち鳴らしてみる。そんなことを合計六回、つまりは全部の組み合わせを行ってから、言ったのだった。


「わかりんせん」


 照れたようなホロの様子がまた心をわしづかみにしたのか、ワイズは二度と元に戻らないのではないかと心配になるほど顔をだらしなくゆるませて、「しょうがないしょうがない」、とうなずいたのだった。


「それじゃ、じやしたな。近いうちに酒でも飲もう」

「おう、絶対だぞ。絶対だからな」


 ものすごいけんまくされながら、ロレンスは絶対だと約束すると、その場を後にした。

 それでもワイズはホロにぶんぶん手を振っていたようで、ホロは何度も振り返りながらそれに小さく手を振り返していた。

 人ごみにさえぎられて完全に見えなくなってから、ホロはようやく前を向いた。それから、少し吹き出して笑ったのだった。


「面白い人じゃな」

るいの女好きだからな」


 それは本当だが、少しワイズの評判を落としておかなければ、と思わなくもなかった。


「で、銀の純度は上がっていたのか? 下がっていたのか?」


 ロレンスはまだ笑っているホロを見下ろしてそう尋ねる。とたんに、ホロが笑みを消して驚いたような顔になった。


「かまかけだとしたら、ぬしもくなったの」

「お前の耳の位置を知っているのはおれだけだからな。少し動いただろ」


 ホロは少し笑って、「油断ならぬ」とつぶやいた。


「ただ、驚いたのはお前があの場でそれを言わなかったことだ。うそをついた時は正直驚いた」

「あの者がわっちの言うことを信じるか信じないかは別として、あの周りにいた者までそうかはわかりんせん。秘密を知る者は少ないほうがよいじゃろう。それにな、まあ、お礼みたいなものじゃ」

「お礼?」


 ロレンスは鸚鵡オウム返しに尋ねていた。何か礼をされるようなことをしただろうか。


「ぬし、少しいとったじゃろ。その礼じゃ」


 ニヤニヤ笑うホロの視線に、ロレンスはわかっていつつも顔が少し固くならざるを得ない。どうしてホロはそういうことに気がつくのか。それとも、かまかけが上手すぎるだけなのか?


「なに、気にすることはない。おすどもは皆の妬きもち焼きじゃからの」


 ぼしなだけに耳が痛い。


「ただな、めすもそんなことがうれしい阿呆じゃからの。どこを見ても阿呆ばかりじゃ」


 ホロが少しロレンスに身を寄せてそんなことを言う。

 商売だけでなく、色恋でもホロはろうれんなようだった。


「うふ。まあわっちにすりゃぬしどもはそろってひよっこの上に人間じゃからの」

「そう言うお前も今は人の形じゃないか。好みのオオカミの前できばを向かれるなよ」

「なに、わっちの可愛かわい尻尾しつぽ一振りで人も狼もいちころよ」


 ホロが片手をこしに当てて、小さく腰を左右に振る。なんとなく、それが事実そうでロレンスは言葉に詰まってしまったのだった。


「さて、じようだんはさておきな」


 そんなホロの言葉でロレンスも息を吹き返す。


「ほんの少しずつじゃが、新しくなるほど音がにぶくなっとったな」

「鈍く?」


 ホロはうなずく。音がにぶくなっているということは、銀の純度が下がっているということだ。わずかな差ではわからなくとも、白い銀貨が黒くなるほど純度が下がれば素人しろうとでも音が鈍くなるのがわかる。もしもホロの言うことが当たっていれば、それはトレニー銀貨の銀が切り下げられるちようかもしれない。


「ふん……しかし、そうするとやはりゼーレンはうそをついていると考えたほうがとうなのか?」

「どうじゃろうのう。ただ、あの若者、ぬしが払った銀貨十枚も、おそらく場合によっては本当に返すつもりじゃ」

「それはなんとなくわかっている。情報を売ってその金だけを目当てにしたなら、酒場にあれほど顔を利かしたりはしないし、教会で話を切り出した時に金を要求したはずだ」

「なんとも不思議な事態じゃの」


 ホロは笑うが、ロレンスは頭をめぐらせるのに必死だ。

 ただ、考えれば考えるほど不思議なのだ。あのゼーレンという若者は、一体何をたくらんでいるのか。何かを企んでいることは間違いない。そして、誰かが何かを企んでいるのならばその裏を突けば大抵こちらにも利益が出る。だからロレンスはこの話に首を突っ込んだのだが、それでもここまで何を企んでいるのかかいもく見当もつかないとなるとちょっと困る。

 そもそも、銀貨の価値が下がる銀の切り下げから、どうやって利益を出すというのか。考えられるのは、長期の投資だ。金や銀の価値が例えば二段階に価値が下がっていくとすれば、その一段階目で金を売り、二段階目に下がった時に買い戻す。そうすれば手元には最初と同じ量の金があるのにさらに一段階目に売った時と二段階目に買った時の差額が残る。金や銀は相場が常に揺れ動く。また元の値段に戻るまで待っていれば、やがてそれは利益となる。

 ただ、今回はそんなゆうちようなことをしている時間はない。半年程度ではまず無理だ。


「ゼーレンが取引を持ちかけてきたということは、あいつが得をしなきゃならない。得をしなきゃならないんだ」

「まあ、変わり者じゃなければの」

「ただ、損害分については不問という話だ。だとすると……」

「うふ」


 突然、ホロがそんなふうに吹き出した。


「どうした?」

「うふっふっふふふ。ぬし、だまされたんじゃないかや」


 ホロの言葉に、ロレンスは一瞬頭の回転が止まる。


「だまされた?」

「いかにも」

「それは……銀貨十枚をだまし取られたということか?」

「うっふふふ。相手から無理やり金を引きがすだけがじゃありんせん」


 行商歴七年あまり、様々な詐欺を見たり聞いたりしてきたが、ホロの言うことがちょっとわからない。


「自分は絶対に損をしない構図を描き、相手にだけ損か得かの勝負をさせるのも立派な詐欺じゃろ」


 ロレンスは呼吸をするのも忘れるほど頭の中が真っ白になって、すぐさま顔に血が上ってきた。


「あの若者は絶対に損をしない。あの若者は最悪でもうけがゼロじゃ。なにせ、銀貨が値下がってぬしが損をしたとしても、あの若者は受け取った銀貨を返すだけじゃ。逆に値上がれば、利益の一部をもらうことができる。元手なしで始める商売じゃ。利益が出なくってもとんとんじゃ」

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