第四幕 ②

「ただ、もう本当にいやなんじゃ。そりゃあ、年た狼の中には、わっちと親しくしてくれる者もおったが、やはり一線があった。それにへきえきしてわっちは森を出たんじゃ。言うならば……」


 少し視線を遠くしてから、ホロは自分の手元を見る。


「友人を探しに、かの」


 言ってから、ホロはちようするように笑った。


「友人、か」

「うん」


 あまりれるのはまずい話題かとも思ったが、ホロの返事がみように明るかったので、ロレンスは興味のおもむくままに聞いていた。


「で、見つかったのか?」


 ホロはすぐに答えずに、照れたように笑った。

 その様子を見れば答えはいちもくりようぜんだ。きっと友人のことを思い出してホロは笑っているのだろう。


「……うん」


 しかし、ホロがそんなふうにうれしそうにうなずいたのが、ロレンスにはあまり面白くなかった。


「それが、パスロエの村のやつじゃった」

「ああ、村の麦畑のことを頼んだってやつか」

「そう。少し間抜けじゃが、底抜けに明るくての。わっちのオオカミの姿を見ても少しも驚かん。少し変といえば変じゃったが、いいやつじゃった」


 のろけ話を聞いているようでついつい鼻の頭にしわのよってしまうロレンスだったが、当然それをさとられたくなくて酒を飲んで隠す。


「本当に間抜けでな。わっちもようあきれたわ」


 楽しそうに、思い出すのが少し恥ずかしいようにしやべるホロは、ロレンスのほうなどもう見ておらず、自分の尻尾しつぽを抱き寄せて毛をひねったりなんかしている。

 それからふと、子供同士が秘密を共有して笑い合うように思い出し笑いをすると、そのままもそもそとベッドの上で丸くなってしまった。

 おそらくはねむくなったのだろうが、ロレンスから見るとまるで思い出の中にひたろうとしているかのようで、独り取り残された感じがしてしまう。

 もちろん、だからといってホロに声をかけられるわけでもなく、ロレンスは小さくため息をつくと手の中のコップの酒をすべて飲み干したのだった。


「友人……か」


 ロレンスは小さくつぶやき、コップをテーブルに置くとから立ち上がり、ホロの眠るベッドまで歩み寄ってホロに毛布をかけてやった。

 少しほおを赤くして無防備に眠るその寝顔につい見入りそうになってしまったものの、あまり見ていると頭の中のもやもやが余計黒くなりそうで、ロレンスは振り切るように自分のベッドに歩いていった。

 しかし、じゆうろうそくを吹き消してベッドの上に体を横たえると、わずかな後悔が首をもたげてきたのだった。

 すなわち、金がないと言って一つのベッドの部屋にするべきだったかなと。

 そう胸中で呟いてから、ロレンスはホロと反対側をむいて今度は大きくため息をついた。

 うまがいれば、ため息のようにいななかれただろうなと、思ったのだった。



「この取引、受けさせていただきます」


 ミローネ商会パッツィオ支店店長、リヒテン・マールハイトはそう静かに言い放った。ロレンスがミローネ商会に話を持ちかけてからわずか二日後のことだ。さすがに仕事が速い。


「それはありがたい。ただ、そうおつしやるということはゼーレンの背後関係がつかめたということですね?」

「彼の後ろにはメディオ商会がついています。言わずと知れた、この町で二番目の規模の商会です」

「メディオ商会ですか」


 パッツィオに本店を置く商会だが、いくつか支店も出している。麦をメインにした農産物の取引ではパッツィオ随一で、うんぱん用のせんぱくの所有もかなりのものだ。

 ただ、とロレンスは胸中で引っかかる。メディオ商会は確かに大きな商会だが、ロレンスはもっと大きなところを考えていたのだ。それこそ、最大の取引相手は王侯貴族であるような。


「我々も、メディオ商会の後ろにさらに何者かがいると思っております。彼らだけでは、ロレンスさんが描いている仮説の実行はおそらく不可能です。ですから、我々はメディオ商会の後ろに貴族が控えているものと思っておりますが、メディオ商会ともなれば貴族との付き合いも多く今のところまだそれが誰かはわかりません。ただ、相手が誰であろうとロレンスさんの指摘どおり、先手を打てばどうにでもなりそうです」


 にやり、と笑いながら言うマールハイトのそれは、ロレンスなどから見れば想像もつかない資金力を持つミローネ商会全体を後ろだてにした自信の表れだろう。なにせ彼らの本店に足を運ぶのは王侯貴族や大さいばかりだ。それらを知っている者達としては、この取引など恐るるに足りないのだろう。


 ただ、ロレンスもだからといっておくするはずもない。交渉を行う時、くつになったり弱みを見せたら負けだ。どこまでも対等に胸を張っていかなければならない。

 だから、堂々とロレンスのほうから言ったのだった。


「それでは、分け前の話に入りたいのですが」


 ちなみに、夢のふくらむ交渉であったことは、言うまでもない。



 ミローネ商会から店長以下役職を持つ者達に見送られて店を出て、ロレンスは鼻歌を歌いたくなる気持ちをおさえられなかった。

 ロレンスがミローネ商会に提示した分け前は、ミローネ商会の得るへい売買による利益の五分だ。ミローネ商会のもうけの二十分の一だが、それでもロレンスの笑いは止まらない。

 なにせ、ロレンスの提案でミローネ商会が動けばそこでやり取りされるトレニー銀貨の量は千や二千の数ではない。二十万や三十万といった数の貨幣が動くとみて間違いない。概算でもその一割の儲けを見込むことができるとなれば、ロレンスが受け取る分け前はトレニー銀貨千枚以上ということもあり得る。しかも、純利益として、それなのだ。二千枚を超えることになれば、ぜいたくを言わなければ十分にどこかの町に商店を構えることができる金額だった。

 ただ、ミローネ商会が本当にねらっている利益と比べたら、実はそんな貨幣の取引によるものなどはおまけに過ぎない。ミローネ商会が商会として動くのだから、そんな儲けは微々たるものなのだ。

 しかし、その儲けをロレンスが手に入れることはできない。あまりにも巨大すぎて、ロレンスのさいには入りきらないからだ。それでも、もしミローネ商会がその利益を得ることができれば、ロレンスはばくだいな貸しをミローネ商会に作ることができる。今後店を開くことになれば、その貸しから大きな利益を得られるだろう。

 鼻歌が止まらなくとも、当然と言えた。


「ごげんじゃのう」


 そしてついに、横を歩くホロがあきれたようにそう言ったのだった。


「これで機嫌が悪くなるやつなどいるものか。今日は人生最高の日だ」


 ロレンスは大に両うでを広げるが、気分的にはまさしくそれだ。広げた両手と両腕でどんなものでもつかめそうな気がした。

 実際、夢であった自前の店はもうすぐそこだ。


「まあ、くいっているようでよかったの……」


 対して、ホロはのない口調でそんなことを言ってから、口元を押さえたりしている。

 なんのことはない、二日酔いなのだ。


「つらいなら宿で寝てろと言ったろう」

「ぬし一人で行かせたらいいように丸め込まれたりしないか心配での」

「どういう意味だ」

「うふ。そのまんまの意味……うぷ」

「まったく……。ほら、もう少しがんれ。ちょっと行ったところに店がある。そこで休もう」

「……うん」


 がいとうの下でわざとかと思うような弱々しい声でうなずいて、ホロはロレンスの差し出したうでつかまってきた。けんろうだからといって自己管理ができているとはおにもいえないようだ。ロレンスが「まったく」、と再度あきれたようにつぶやいても反論はこなかった。

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