第四幕 ③

 そんなロレンスとホロが入った店は、小さな宿に併設の酒場だ。酒場と名がついてはいてもメインは軽食で、こういうところは朝から晩までひっきりなしに出入りする商人や旅人達のきゆうけい所になっている。扉を開けて中に入れば、せまい店内に客の入りは三割といった感じだった。


「なんでもいい、薄めたじゆう一人分とパン二人分頼む」

「あいよ」


 ロレンスのそんな適当な注文にも威勢よくうなずいて、カウンターの中にいた店主がちゆうぼうに注文を繰り返した。

 ロレンスはそんな声を聞きながら、奥のほうの空いている席にホロを連れていって座らせた。

 オオカミというよりもどちらかといえばネコのようにぐんにゃりとした様子で、ホロはにつくなりテーブルに突っ伏した。商会から歩いてきて、再び酒が回ってしまったようだった。


「弱いわけじゃなさそうだが、昨日きのうはだいぶ飲んでたからな」


 そんな言葉にホロの耳ががいとうの下でピクリと動いたが、視線を向ける気力はないようだ。

 机に横を向いて突っ伏したまま、「ぅぇー……」などとため息なのかうめき声なのかわからない声をらしている。


「はいよ、林檎りんごの果汁とパン二人分」

「料金は?」

「今もらえるかね。あわせて三十二リュートだ」

「ああ、ちょっと待ってくれ」


 ロレンスはこしにくくりつけてある小銭入れを解いて中身をあさる。銅貨と見まがうばかりに黒いリュート銀貨を用意している最中に、ホロの様子を見た店主があきれたように笑った。


「二日酔いかい?」

「ぶどう酒の飲みすぎだ」

「ま、若いうちはそういう失敗もあるわな。二日酔いでも何でも決済日はやってくる。しょっちゅうさおな顔した若い行商人がこの店からふらふら出て行くよ」


 行商人なら誰しもが経験することだろう。ロレンスも、実際のところは何度かそんな失敗を犯したことがある。


「はいよ、三十二リュート」

「うん……確かに。ま、少し休んでいくといい。自分のところの宿にたどり着かなかった口だろう?」


 ロレンスがうなずくと、わっはっは、と店主は笑いながらカウンターに戻っていったのだった。


「飲んだらどうだ? いい具合に薄めてあってうまいぞ」


 ロレンスがそう言うとホロはのろのろと顔を上げた。顔の作りがよいのでつらそうな顔もそれなりに魅力的だ。きっとワイズが見たら仕事を休んででもかんびようするだろう。お礼はほんの少しの微笑で結構。ぼんやりとした顔でじゆうをなめるように飲んでいたホロは、そんなことを考えてつい笑ってしまったロレンスのほうを不思議そうに見ていたのだった。


「ふう……二日酔いなんてもう何百年ぶりかやあ」


 木のコップの中身を半分ほど飲み終えてから、ようやく人心地ついたようでホロはためいきをついた。


「二日酔いのオオカミなんてちょっと情けないな。クマが酔っ払うとかならなんとなくわかる気がするが」


 熊がのきさきるしてあるぶどうの詰まった皮袋を持っていくというのはよくある話だ。ぶどう酒を造るためにはつこうさせる過程で皮袋に入れて吊るしておくのだが、それがまた実にいいにおいがするのだ。

 それで皮袋を持って逃げた熊を森まで追いかけていったら、森の中で熊が酔っ払っていた、なんて話もあるくらいだ。


「いや、その熊と酒を飲むことが一番多かったかの。人のみつぎものもあったが」


 熊と狼が酒盛りをしている様子など、まるっきりとぎばなしの世界だ。教会の連中が聞いたらどう思うだろうか。


「まあ、何べん二日酔いになってもりんのじゃがな」

「人と同じだな」


 ロレンスが笑うと、ホロもられて苦笑いを浮かべたのだった。


「そういえば……ええとなんじゃったか。何かぬしに伝えることがあったんじゃが……とんと頭から出てこん。何か結構重要なことだった気がするんじゃが……」

「本当に重要なことならそのうち思い出すだろう」

「うーん……そうかや。まあ、そうじゃの。ダメじゃ……ぜんぜん頭が働かん」


 ホロは言うなりまたずるずるとテーブルに突っ伏し、ため息をつくと目を閉じた。

 今日一日はこんな感じだろう。さっきの店主の言葉じゃないが、出発が目前に迫った時ではなくて本当によかった。荷馬車の上は結構揺れるのだ。


「まあ、あとはミローネ商会に任せておけばいいからな。ほうは寝て待てというわけだ。治るまで寝てればいい」

「うう……めんぼくない」


 ことさらに情けなさそうに言ったのはわざとだろうが、実際にまだだいぶつらそうだった。


「そんな様子だと今日は一日か」

「う……む。情けないがそのとおりじゃな」


 突っ伏したままホロはそう答えてから、片目だけ開いてロレンスのほうを見る。


「何か用事でもあったのかや」

「うん? ああ、商館に顔を出しがてら買い物にでも行こうかと思ったんだがな」

「買い物かや。ぬし一人で行ってくればいいじゃろ。わっちはここで休んでから宿に帰る」


 のそのそとホロは顔を上げ、体を起こすと飲みかけの林檎りんごじゆうを再びなめる。


「それともなにかや。わっちと一緒に行きたいのかや?」


 もはやお約束というか、あいさつ代わりにホロはそんなことを言ったのだが、ロレンスはそのつもりで言っていたので素直にうなずいた。


「なんじゃ、面白くない」


 ロレンスがいたって平静なので、ホロはつまらなそうに下くちびるを小さく突き出した。ロレンスが返事に窮するとでも思っていたのだろうが、あまりおいしくもなさそうに果汁を飲みながらおざなりに言われれば、いくらロレンスだって平静を保てるというものだ。

 ロレンスはパンを手にとってかじりながら、再びテーブルに突っ伏したホロに少し苦笑する。


「お前にくしとかぼうとか買ってやろうかと思ったんだがな。また今度でいいか」


 その瞬間、ホロの頭の上のがいとうの下でオオカミの耳がピクリと動く。


「……何をたくらんでおる?」


 まぶたを半分ほど開け、実に油断無くロレンスのほうを見つめながらホロはそう言った。

 ただし、わさわさという尻尾しつぽが落ち着かなく動く音も同時に聞こえてくる。意外に思っていることを隠すのがなのかもしれない。


「ずいぶんな言われようだな」

おすが肉をくわえてやってきた時は、肉を取られそうな時より注意しろと言うからの」


 ホロがにくまれ口をたたくので、ロレンスはそんなホロに顔を近づけて耳打ちするように言ったのだった。


しんちようけんろうを演じるならな、せめて落ち着かない耳と尻尾をどうにかしたらどうかな」


 ホロはあわてて手で頭の上の外套を押さえ、それから「あ」、と小さく声を上げた。


「この前の借りは返せたな」


 ロレンスが得意げにそう言うと、ホロは唇をとがらせながらくやしげにロレンスのほうをにらんだのだった。


「せっかくれいかみをしてるんだ。櫛くらい持っていたほうがいいんじゃないかと思ってな」


 ホロにようやくいつ報いたことはうれしかったものの、あまりいつまでも喜んでいるとまたすぐにやり返されかねない。

 だからロレンスはさっさとそう話を切り出した。

 しかし、ロレンスの言葉を聞くとホロはたんにつまらなそうに鼻から息をき、起こしかけていた体をまたぐんにゃりとテーブルの上に伸ばしたのだった。


「なんじゃ。かみのことかや」


 そして、短くそう言った。


あさひもしばっているだけだろう? まったくいてもいないし」

「髪などどうでもよい。くしは確かに欲しいが、尻尾しつぽのためじゃの」


 言葉の後にわさわさと音がする。


「……まあ、お前がそう言うならそれでいいか」

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