第四幕 ⑦

 その角を右に曲がり、まっすぐ進んで突き当たった大通りを左に折れてまっすぐ行けば、四区画先にミローネ商会がある。大きな規模の商会ならば、少なくとも荷物番の荷揚げ夫達がいるはずだ。そこにけ込めばぼうかん達は手出しできない。商業都市で、最高の警備員はそのかんばんから連想されるきんの量だからだ。


「ちっ。あと少しなんだが」

「うふふ。狩りなんて久しぶりじゃが、狩られるのは初めてじゃ」

「のんきなこと言ってる場合か。仕方ない、遠回りをしよう」


 ロレンスは来た道を引き返し、ちゆうを右に折れる。いったん別の区画の路地に入り、遠回りをして改めてミローネ商会のほうへ向かうという算段だった。

 ただ、右に折れ、先に進もうとしてその足が止まった。

 ホロがロレンスの服を引っ張って壁に体を押し付けたのだ。


「いたか! この辺にいるはずなんだ! 探せ!」


 ぞっ、とする恐怖は森でオオカミに襲われて以来だ。すぐ近くの路地を二人の男が怒気もあらわに走り抜けていった。あのまま進んでいればはちわせをしていただろう。


「くそ、相手はかなり人数をいているぞ。地理もあくしている」

「うーん……だいぶ旗色が悪いの」


 がいとうを外して狼の耳をむき出しにして、あっちこっちに向けながらホロがそう言った。


ふたに分かれるか?」

「名案じゃが、わっちにも考えがある」

「例えば?」


 ばたばたばた、という足音が遠くのほうで聞こえている。大通りをくまなく見張っているのだろう。路地から出てきたところを追い詰める算段のようだ。


「わっちが大通りに出て引きつけられるだけ引きつけて逃げるから、ぬしはその間に──」

「ちょっと待て。そんなこと」

「よいか? ふたに分かれてもつかまるのはぬしじゃ。わっちは一人なら捕まりゃせんが、ぬしはやがて捕まる。その時、あの商会と掛け合うのは誰じゃ? わっちがこの耳と尻尾しつぽさらしてぬしを助けてくりゃれ、と頼むのかや? 無理じゃろう?」


 ロレンスはぐっと言葉に詰まる。ミローネ商会にはすでに今回の銀切り下げが行われるへいの種類を教えてしまっている。下手をすればロレンス達のことなど切り捨てる可能性もあるのだ。そうなったらロレンス達は自らの体を切り札にするしかない。すなわち、相手に寝返るぞ、などとおどすほかないのだ。

 そして、そこを交渉できるのはロレンスしかいない。


「しかしどちらにしろだ。お前の耳と尻尾しつぽを見たらミローネ商会だってお前を教会に連れていくかもしれないんだ。メディオ商会は言わずもがなだ」

「捕まらなければよいんじゃろ? それにたとえ捕まっても一日くらいなら耳と尻尾は隠すことができる。その間に助けにきてくりゃれ」


 ホロはよほど自信があるのか、なんとかそれを止めたいロレンスに笑いかけた。


「わっちはけんろうホロじゃ。耳と尻尾がばれても気のれたオオカミのように振る舞えば連中もなかなかに手出しできまいて」


 にやり、とホロが笑うときばが見えた。

 しかし、ロレンスの脳裏には、独りは寂しいといって泣いたホロを抱きしめた感覚がよみがえってくる。あんなにきやしやはかなげな体なのだ。おそらく金で雇われているごろつき連中に引き渡すなどとても考えられない。

 それでも、ホロはにかりと笑うと言ったのだった。


「ぬし、金かせいで店を持つんじゃろ。それに、わっちはぬしに大きな借りがあると先ほど言ったばかりじゃ。ぬしはわっちを不義理な狼にするつもりかや?」

「馬鹿を言うな。捕まれば殺されるのが目に見えてるんだぞ。そんなのがり合うわけないだろ。今度はおれがお前に返しきれない借りを作っちまう」


 ロレンスは声を押し殺してったが、対するホロは薄く微笑ほほえみながら首を横に振り、ロレンスの胸にその細い人差し指を軽く突き立てた。


「孤独は死に至る病じゃ。十分釣り合う」


 ホロの感謝を示すような落ち着いた笑みに、ロレンスは言葉が詰まってしまう。

 ホロの続く言葉がそんなすきねらって放たれる。


「なに、ぬしの頭の回転の速さはわっちが保証する。わっちはそれを信じとる。必ず迎えにきてくりゃれ」


 そう言ってホロは何も言えないロレンスに一回軽く抱きつくと、あわてて抱きとめようとしたロレンスのうでをひょいとすり抜けて走り出していた。


「いたぞ! ロイヌ通りだ!」


 ホロが路地から飛び出すとすぐさまそんな声がして足音が遠のいていく。

 ロレンスはきつく目を閉じるとすぐにかっと見開いて走り出した。この機会をものにしなければもう二度とホロには会えない気がした。暗がりの路地を走り抜け、何度もつまずきながらけ抜けていく。大通りをいったん渡り、別の区画の路地に飛び込んでからさらに西を目指す。けんそうはまだ続いている。向こうとしてもあまり長時間大騒ぎはできないはずだ。町の自警団にぎつけられてはやつかいなはずだからだ。

 ロレンスはとにかく走り、再び大通りに飛び出しそのまま向かいの区画の路地に飛び込む。もうあとはちゆうどこかを右に曲がり、突き当たった大通りを左に曲がればミローネ商会だ。


「一人? 相手は二人いるはずだ!」


 そんな声が斜め後ろのほうで聞こえた。ホロはつかまったのだろうか。それともく逃げおおせただろうか。逃げてくれていればそれでもいい。いや、それを望むほかなかった。

 ロレンスは月明かりが照らす大通りに飛び出し、左右も見ずに左へと折れた。左に曲がってすぐ、後ろから「いたぞ!」と声が響く。

 しかしロレンスはそれを無視して全力で走り、ミローネ商会の前にたどり着くと荷揚げ場の柵を力の限りにたたいて叫んだ。


「昼間来たロレンスだ! 助けてくれ! 追いかけられている!」


 騒ぎを聞きつけて目を覚ましていた当直の男達があわててけ寄ってきた。鉄製のじようを外し柵を開く。

 ロレンスが体をすべり込ませた直後、手に木のぼうを持った男達が殺到する。


「待て! おい、その男をこちらに渡せ!」


 がちゃん、と鼻先で閉じられた柵を棒で打ちのめし、男達が柵に取り付き力任せに開けようとする。

 それでも柵を押さえるほうも力仕事をする荷揚げ場の男達だ。そう簡単には開きはしない。

 そして、ひげを生やした初老の男が奥から出てくると外に向かっていつかつしたのだった。


「貴様ら! ここをどこだと思っている! ここはラオンディール公国第三十三代ラオンディール大公が公認する大ミローネこうしやく経営のミローネ商会パッツィオ支店だぞ! その柵はミローネ侯爵の持ち物でありその敷地内にいる者は侯爵の客人! そして侯爵の客人はラオンディール大公のの下に保護される! 貴様ら、その棒でここのものを打つということは大公へいの台座を打つものと心得よ!」


 その見事な口上に柵の向こうの男達がひるみ、同時に遠くから自警団のふえの音がした。

 柵の向こうの男達は引き際を察したようだ。すぐさま取って返し走っていった。

 しばらく柵の内側にいる者達は微動だにしなかったが、やがて足音も消え呼子よびこも遠くに遠ざかっていってから、最初に口を開いたのは見事な口上を述べた初老の荷揚げ夫だった。


「夜中にえらい騒ぎだな。一体なんだってんだ」

「非礼はおびする。それに何より、助けてくれた礼を言いたい」

「礼は遠くの大ミローネこうしやくにでも言ってくれ。それよりあいつらはなんなんだ?」

「メディオ商会に雇われた連中だろう。私がこちらの商会に商談を持ち込んだことが気に入らないと見える」

「ほほう。あんたもなかなか綱渡りな商人だ。最近はとんとそういうやつを見ないがな」


 ロレンスはひたいにびっしりと浮かんでいたあせをぬぐい、笑いながら答えた。


あいぼうが輪をかけた向こう見ずでね」

「そりゃあ大変だ」

刊行シリーズ

新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙XIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙Xの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙IXの書影
狼と香辛料XXIV Spring LogVIIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙VIIIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙VIIの書影
狼と香辛料XXIII Spring LogVIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙VIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙Vの書影
狼と香辛料XXII Spring LogVの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙IVの書影
狼と香辛料XXI Spring LogIVの書影
狼と香辛料XX Spring LogIIIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙IIIの書影
狼と香辛料XIX Spring LogIIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙IIの書影
新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙の書影
狼と香辛料XVIII Spring Logの書影
狼と香辛料XVII Epilogueの書影
狼と香辛料XVI 太陽の金貨<下>の書影
狼と香辛料XV 太陽の金貨<上>の書影
狼と香辛料XIVの書影
狼と香辛料XIIISide ColorsIIIの書影
狼と香辛料XIIの書影
狼と香辛料XISide ColorsIIの書影
DVD付き限定版 狼と香辛料と金の麦穂の書影
狼と香辛料Xの書影
狼と香辛料ノ全テの書影
狼と香辛料IX対立の町(下)の書影
狼と香辛料VIII対立の町(上)の書影
狼と香辛料VIISide Colorsの書影
狼と香辛料VIの書影
狼と香辛料Vの書影
狼と香辛料IVの書影
狼と香辛料IIIの書影
狼と香辛料IIの書影
狼と香辛料の書影