第四幕 ⑧

「しかし、考えたくないがその相棒がつかまっているかもしれない。支店長のマールハイト氏に連絡は取れるか?」

「うちらは異国の商会だぜ。ち入り、焼き討ちは日常はんよ。とっくに連絡はいってるだろうよ」


 そう言って笑う声が、とても心強い。

 しかし、だからこそそんな支店を預かる支店長は恐ろしく手ごわいだろう。

 果たしてこちらの身の安全を保証させることができるだろうか。

 そんな不安が胸のうちでうずいていたが、すぐにロレンスは思い直した。保証させなければならない。そして、さらにその上で利益を確保しなければならない。

 それが、行商人としての意地と、ホロが危険をおかしてくれたことに報いることなのだ。

 ロレンスは深呼吸をしてうなずいた。


「ま、中で待っていたらどうだい。ぶどう酒だってじっと待たなきゃ良いものはできやしない」


 荷揚げ夫がそう言ってくれはしたが、ホロのことを考えるととてもそんな気にはなれない。

 ただ、初老の荷揚げ夫はこんな事態には慣れっこだという感じに、落ち着いてロレンスに言葉を向けていた。


「どのみち無事ならここに来るんだろう? 名前と人相さえ言ってくれりゃ、たとえ教会が追いかけていたってかくまってやるぜ」


 大げさな物言いだが、ロレンスはそれでようやく幾分か冷静になることができた。


「ありがとう。きっと、いや、必ずむすめがここに来る。名前はホロだ。見た目は、小柄な、がいとうをかぶっている娘だ」

「ほう、娘か。べつぴんか」


 ロレンスの気をほぐすためにわざとそんなことを聞いてきたというのがわかったので、ロレンスは笑いながら答えてやった。


「十人が十人とも振り返る」

「はっはっは。それは楽しみだな」


 荷揚げ夫は大声で笑いながら、ロレンスを商会の建物の中へと案内したのだった。



十中じゆつちゆうはつ、メディオ商会の手の者でしょう」


 おそらくは寝入りばなを起こされたのだろうが、まったく昼間と変わらない様子でマールハイトは口火を切った。


「私もそう思います。私が銀貨のからくりに気がつき、そこを突くためにこちらの商会に商談を持ちかけたことがばれたのでしょう。それをするためのものだと思います」


 あわてているところを見られたくはないが、ロレンスはしやべっている最中もホロのことが心配で仕方がない。ホロのことだからく切り抜けていそうな気もするが、予測は常に最悪の一歩手前に合わせるべきだ。それに、とにかく一刻も早くロレンス自身とホロの身の安全を確保しなければならない。

 そのためには、ミローネ商会の協力が必要だった。


「私の連れがつかまっている可能性があるのです。もしそうなれば正当に交渉してもらちが明かないのは目に見えています。こちらの商会の力で取り返せませんか」


 テーブルに身を乗り出さんばかりの勢いでそう言ったのだが、マールハイトはロレンスのほうに視線を向けずに何か考え込んでいる。

 それから、ゆっくりと視線を上げた。


「お連れの方がらえられたかもしれない、と?」

「はい」

「なるほど。うちの商会の者があの騒ぎを聞きつけ、何人か尾行していたようなのですが、無理やりといった様子で連れられていく若いむすめの目撃情報があります」


 マールハイトの言葉は半ば以上予測していたものの、実際に聞くと心臓をわしづかみにされたようなしようげきが体のうちをめぐった。

 しかし、ロレンスはすぐさまそれを息と共に腹の奥に飲み込んで、代わりに言葉をいたのだった。


「多分、私の連れ、ホロでしょう。私がここに来られるようにとおとりになって……」

「なるほど。しかし、彼らはなんのために捕まえたのでしょうか?」


 その瞬間、ロレンスはりそうになったのをなんとかこらえ、のどからしぼり出すように言葉を吐いた。マールハイトほどの人物がそこに頭がめぐらないわけがない。


「私達が、こちらの商会と手を組んで、メディオ商会のじやをすることを防ぎたかったのでしょう」


 マールハイトはそんなロレンスのうなり声に近い言葉を聞いても、表情をほとんど変えずに小さくうなずき、そしてまた視線をテーブルに落として何かを考え始めた。ロレンスはれて足の貧乏ゆすりが止まらない。たまらずから立ち上がって叫ぼうとした時だった。


「それは、ちょっとおかしくはないでしょうか?」

「どこがですか!」


 がた、と立ち上がるとさすがにマールハイトは目をしばたたかせたが、すぐに冷静な顔に戻ると、そのままみ付きかねない様子のロレンスを手で制した。


「落ち着いてください。なにかがおかしい。おかしいんです」

「どうしてです! そちらの商会がゼーレンの背後関係を簡単に調べ上げられたように、メディオ商会もここの商会が自分達のじやをしようとしていると気がつき、また、一体どこの誰がその原因となったのか、調べ上げるのも簡単でしょう!」

「……確かに、ここは彼らのほんきよですからそうなのですが……」

「どこがおかしいんですか」

「はい、わかりました。これは明らかにおかしいです」


 マールハイトがまっすぐにロレンスの目を見てそう言うので、さすがにロレンスも話を聞くしかなかった。


「そもそも、向こう側がどうしてロレンスさんと、当商会がけつたくしたと気がつくことができるのかと考えます」

「それは私が度々ここを訪れたからでしょう。そして、それと前後してこちらの商会がトレニー銀貨を集め始めたことにも気がついたのでしょう。その二つがそろえば簡単に推測できることです」

「それはおかしいのです。なぜなら、ロレンスさんは行商人なのですから、当商会と度々交渉を持ってもなんらおかしくはありません」

「ですから、それとあわせて、そちらがトレニー銀貨を集めているという事実、さらにゼーレンと取引をした者とあわせて考えてみれば」

「いえ、それでもおかしいのです」

「なぜ?」


 ロレンスはわからない。それがいらちとなってどうしても声に出る。


「なぜなら、我々がトレニー銀貨を集めている時点で、ロレンスさんとの商談がまとまってしまったと考えるのが当然だからです。ロレンスさんも考えてみてください。『どんなもうけ話かは言えないが、とにかくトレニー銀貨を買い集めてみてくれ。もうけは保証する』。こう言われても、我々は絶対に動きませんよね?」

「……た、確かに」

「我々がトレニー銀貨を集めていれば、それは即ちこの取引のしようさいを我々があくしているということです。そして、それくらいのことはメディオ商会の連中もわかっているはずです。ですから、本来ならロレンスさん達をひとじちに取る理由がないのです」

「ま、まさか」


 マールハイトは少し悲しそうな表情を浮かべてから、小さくうなずいて残念そうに言ったのだった。


「はい。我々はもうけ話のために必要な情報をすべて手に入れていますから、ロレンスさん達がどうなろうと関係がないのです」


 ロレンスはぐらりと体が傾くのをおさえられない。そうなのだ、ロレンスは後ろだてのない一人の行商人なのだ。


「私もそのように言うことがつらいことを理解していただきたい。しかし、ロレンスさんが持ち込んできた商談によって、こちらもかなりの金額をすでに投資しています。また、そこから手に入る利益はほうもない。ロレンスさんにうらまれることと、その利益を手放すことをてんびんにかければ……」


 マールハイトはため息をついて、静かに言った。


「申し訳ありませんが、私は商会の利益を取る。ですが……」


 その後のマールハイトの言葉は耳に届かなかった。破産を宣告された時の商人というのはこういう感じなのだろうか、とロレンスは頭のどこかで思っていた。手も、足も、口も、何もかもが固まってしまったようで、自分が呼吸をできているのかすら怪しかった。

 今、この瞬間、ロレンスはミローネ商会に見放されたのだ。

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