第四幕 ⑨

 そうすれば、自動的にホロも見放されることになる。ほとんど身代わりになってつかまったホロは、ロレンスがミローネ商会と交渉し、助けにきてくれるものと思って捕まった。

 ホロはロレンスのことを信用してくれていたのだ。それでも、結果はこれだった。

 少し旅をしてから北の故郷に帰りたい、と言ったホロの顔が脳裏に浮かぶ。

 ひとじちとして捕まり、それが交渉の材料に使えなければ、その後の処遇は火を見るより明らかだ。男なられいせんに売られ、女ならしようかんだろう。ホロはオオカミの耳と尻尾しつぽを有してはいるが、世の中には悪魔きのむすめばかりを集めている狂った金持ちもいるのだ。メディオ商会ならそういった客の一人や二人、知っているだろう。

 ロレンスの頭にホロが売られていくさまが浮かび上がる。悪魔を信仰し狂った儀式に没頭する金持ち共に売られる娘がどんな処遇をそこで受けるか。

 ならない。そんなことはさせてはならない。

 ロレンスはの上でくずれかけた体を立て直し、即座に頭を回転させ始めた。絶対に、ホロを助け出すのだ。


「待ってください」


 ロレンスは数瞬後にそう言った。


「こちらの商会がそのように判断すると、向こうも当然わかっているはずですよね?」


 メディオ商会も馬鹿ではないのだ。だとすれば、メディオ商会はその上でロレンス達をさらおうとしたのだ。それも、あれだけの人数をいて、自警団にぎつけられる危険をおかしてまでも。


「はい。ですから、私はさらにおかしいと思うのです。先ほどの話はあくまでもちゆうです。場合によってはロレンスさんにうらまれることをかくでそういった選択を取る、ということです」


 ロレンスはそれでようやくマールハイトが「ですが」と続けようとしていたことを思い出した。ロレンスは顔に血が上るのをおさえられず、きようしゆくして頭を下げた。


「よほどお連れの方が大事とみえます。ですが、そのせいで早とちりをしたり思考をにぶらせてはほんまつてんとうです」

「申し訳ない」

「いえ、私もつまが同じ状況になれば落ち着いてはいられないかもしれないですからね」


 そう言って笑うマールハイトにロレンスは再び頭を下げた。ただ、妻、という言葉にどきりとした。ただの旅の道連れなら、ここまで自分はあわてないだろうとロレンスは気がついたし、ホロだっておとりになってつかまろうとはしなかったかもしれない。


「それでは話を戻しましょう。向こうもこうかつな人間のそろっているひとすじなわではいかない商会です。ですから本当なら交渉の材料になり得ないロレンスさん達をねらったのには何かわけがあるはずなんです。何か、心当たりはありませんか?」


 そう言われてもロレンスには心当たりなどない。

 しかし、順々に考えていくと、自分達をらえることに何か特別な理由があると考えるのが妥当そうなのだ。

 ロレンスは考える。

 思い当たることが、一つだけあった。


「いや、でも、まさか」

「何か思い当たることが?」


 ロレンスは自分の頭に思い浮かんだことをとっさに否定してしまう。そんなことはあり得そうもない。しかし、それ以外には思いつかない。


「我々が目の前にしているもうけはほうもないものです。ぜひとも成就させたい。何か思い当たることがあればさいなことでも教えていただきたい」


 マールハイトの言うことはもっともだ。ただ、それでもおいそれと言えるようなことではない。

 ロレンスの頭に浮かんだのは、ホロのことだ。ホロはどう見てもまともな人間ではない。世間一般では悪魔きと呼ばれるたぐいのものだ。ホロが人間だとはもう思っていないが、仮に悪魔憑きの人間であれば、彼らは一生家の中でい殺されるか、または教会の元に差し出されるのが普通だ。まずまともには生きていくことなどできない。教会の目に留まれば、間違いなく処刑されるからだ。

 そんな悪魔きの人間と見た目が変わらないホロだ。だからメディオ商会の連中はホロを使ってミローネ商会をおどすことができるのだ。

 悪魔憑きと商談をかわした商会として教会に告発されたくなければ、今回の話から手を引け、と。

 教会裁判になれば、メディオ商会は悪魔憑きの人間をらえて彼らとじやあくなる契約を結んだミローネ商会を告発した神の代理人として扱われる。裁判の結果など簡単にわかる。ミローネ商会はロレンス共々火刑に処されるだろう。もちろんホロが焼かれるのは言うまでもない。

 しかし、ロレンスは「まさか」と思う。

 一体、どこの誰がいつホロはオオカミの耳と尻尾しつぽを有する者だと気がついたのだろうか。

 ホロの様子を見る限り、そんな簡単に誰かに正体がばれるほど間がぬけているようには見えない。今のところ自分以外に誰も気がついていないだろう、という確信がロレンスにはあった。


「ロレンスさん」


 そんなマールハイトの声に、ロレンスは黙考からハッと我に返る。


「心当たりが、あるんですね?」


 マールハイトのんで含めるようなものの言い方に、ロレンスはうなずきそうになる首を止めることができない。

 しかし、うなずいてしまったらそれを言わなければならない。そして、もし、万が一その可能性が間違っていたとしたら、ロレンスは余計なことをマールハイトに伝えることになる。

 最悪の可能性として考えることができるのが、ミローネ商会が先手を取ってメディオ商会のことを逆に悪魔憑きのむすめを使いミローネ商会をおとしめようとした悪魔の商会であると告発するということだ。

 そうなると、どの道、ホロは助からない。

 対面のマールハイトの視線が重くのしかかる。

 ロレンスは逃げ道が見つからない。

 そんな折だった。


「失礼します」


 そう言って部屋に入ってきた者がいた。ミローネ商会の人間だ。


「どうした?」

「先ほどふみが投げ込まれました。一連の関係のものだと」


 商会の者が差し出したのは、れいに封のされた手紙だ。マールハイトはそれを受け取り、表と裏を交互に見る。差出人の名はなかったが、あてはあったようだ。


「狼と……狼の住む森へ?」


 ロレンスはその瞬間、自分の予測が当たったと気がついた。


「申し訳ありませんが、先にそれを見せていただけませんか」


 ロレンスのそんな申し出に、マールハイトは少しげんそうに何かを考えていたが、やがてうなずくとその封書を差し出した。

 ロレンスは礼を言って受け取り、一度深呼吸をした後に封を破った。

 中から出てきた一通の手紙と、そして、ホロのものと思われるこげ茶色の動物の毛。

 手紙には、短く書かれていた。


オオカミは預かった。教会のとびらは常に開かれている。家に狼が入らないように家人とともに扉を閉じておけ」


 疑う余地もなかった。

 ロレンスは、手紙を封書ごとマールハイトに手渡すと、絞り出すように声を出した。


「私の連れていたむすめ、ホロは、豊作をつかさどる狼のしんなのです」


 マールハイトの目が、これ以上ないほどに見開かれたのは言うまでもなかった。

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