第五幕 ①

 マールハイトはさすが異国の地に店を構える商人といった感じだった。

 ロレンスの告白にしばらく声もないほど驚いたものの、すぐに我に返ると冷静に頭をめぐらせ始めたようだ。メディオ商会につかまったホロのことや、そんなホロをつれて歩いていたロレンスのことを責める言葉など一切ない。そんなことよりもに今の状況からミローネ商会を守り、また利益を出そうとするか、そちらのほうに意識の一切を向けているようだった。


「この手紙はまぎれもないきようはくの手紙です。ロレンスさんのお連れの方を教会に連れていかれたくなければ、とびらを閉じてじっとしていろと」

「トレニー銀貨の取引が終了するまでじっとしていろということでしょうが、しかし、それが終わった後に教会に行かないとも限りません」

「まったくそのとおりです。その上、我々はすでにトレニー銀貨にかなり投資しています。今さら後に引くことは大損害につながります。なぜなら、トレニー銀貨は必ず値下がるからです」


 だとすると、こちらが取れる選択などほとんどない。

 座して死を待つか、こちらから打って出るか。

 前者を選択することは、あり得ない。


「こちらから打って出るしかないのではないでしょうか」


 ロレンスの言葉に、マールハイトは大きく息を吸って、うなずいた。


「しかし、単純にお連れの方を取り戻せばいいというわけではありません。なぜなら、こちらでかくまうにしても、告発され、教会が教会法を振りかざして探索すれば、我々は従順な子羊にならざるを得ない。この町にいる限り隠しようがありません」

「町の外に連れて逃げるのは?」

「見渡す限りの大平原ですからね。よほど運が良くないと……。それに、町の外ではつかまるともう二度と取り返しがつきませんし、別の町に連れていかれて告発されるかもしれない。そうなれば止めようもありません」


 八方ふさがりだ。このままメディオ商会の言うようにおとなしくしていても、きっと彼らが大もうけをした後にホロを教会に連れて行くだろう。異国の地から来た商店をかいめつに追い込んで損はない。商売がたきは少ないほうがよいからだ。

 しかし、こちらから打って出るにしても様々な困難が付きまとう。いや、困難などというなまやさしいものではない。今考え付く選択はどれも圧倒的にぼうなものばかりなのだ。


「何かよい手はないでしょうか」


 マールハイトが独り言のようにつぶやく。


「このままでは、わが商会の利益確保どころか、告発すら防げません」


 ロレンスは針のむしろに座らされているような心持ちでその言葉を聞くほかないが、黙って頭を垂れているだけで事態がよくなるのならいくらでも垂れる。商人達にや貴族が持つプライドなどはない。儲かるためならいくらでも他人の靴の裏をなめるかくはできている。

 だから、ロレンスもその言葉をいやや皮肉として聞くのではなく、単純な現状分析として受け止める。実際、マールハイトのその言葉は現状をこの上なく示すものなのだ。


「要は、こちらにも向こうに対抗できるカードがないと、ということですね」

「そう言えます。しかし、例えばどれほど金を積んだとしても、向こうがトレニー銀貨を使って得る利益に比べたら微々たる物です。まず金では解決できない。選択肢としては、こちらが先にロレンスさんのお連れの方を、メディオ商会が手元に置いていると教会に告発することですが……そうすれば、ロレンスさんはお困りでしょうし、最悪ロレンスさんはこちらに不利な証言をするかもしれない」

「おそらく……するでしょう」


 うそをついてもしょうがないので、ロレンスはそう言った。ホロを切り捨てることだけはできない。ただ、切り捨てればこの現状を打開できるのだけは確かだ。

 マールハイトもそれがわかっているはずだ。いよいよとなれば、その線でロレンスを説得してくるのは目に見えている。そうなればロレンスはきっと首をたてに振りはしない。ホロと共に死を選ぶような気が自分でもした。

 しかし、当然だがそれはかいしたかった。

 ロレンスは頭をめぐらせてこの八方塞がりの状況を打開するみようあんを見つけるしかなかった。


「思いつく限りでは」


 ロレンスは口火を切った。


「向こうが告発する前に、こちらの商会がトレニー銀貨の交渉を終わらせ、その最大の利益を交渉のカードにする、というのがありますが」


 ロレンスのその言葉に、マールハイトが目を見開く。ロレンスがホロを失いたくないように、マールハイト達ミローネ商会も、その最大の利益を失いたくはないのだ。

 価値が下がるとわかっている銀貨を集めることで発生する魔法の利益。

 その利益はせんざいいちぐうのチャンスにしか生まれない、一世一代ともいえる巨大なものだ。

 しかし、だからこそカードとしては最強だ。メディオ商会も、それとならば迷わずホロを引き渡すだろう。

 それでも、だからこそマールハイトは目をおおった。それを失うことは、我が子を失うに等しいのだ。

 この魔法の取引の相手は、それほどに巨大な利益をもたらすことができる。

 トレニー国国王。一国の王がその取引の相手なのだから。


「……このトレニー銀貨の最大の利益は国王から特権を引き出せることです。我々の調べで、王家の財産が実はかなりひつぱくしているらしいということがわかっています。つまり、この取引が成功すれば、王家からかなりの特権を引き出せるはずなのです。それをほうするのはさすがに……」

「さすがに特権丸ごとと引き換えではり合わないでしょう」

「買い取らせるということですか?」


 ロレンスはうなずく。ただ、これほど大きな取引は話に聞いたことはあっても実際にしたことなどない。だから実際にできるかどうかの自信はなかったのだが、自分の商売の延長で考えればできるはずなのだ。


「ミローネ商会をつぶすことと、王から引き出した特権を買い取ること、この二つをてんびんにかけて、王から引き出した特権を買い取ることのほうが良いと判断できる程度までなら、メディオ商会から対価を引き出せるのではないでしょうか」


 ほとんど思いつきのままに言っているようなものだが、これはこれで筋が通っているはずなのだ。

 そもそも価値が下がるとわかっているトレニー銀貨を集めれば集めるほどもうかるというその構図は、ほかならぬトレニー銀貨を発行するトレニー国がその銀貨を買い取ってくれるから成り立つ構図なのだ。

 そして、なぜトレニー国が銀貨を買い取ってくれるかといえば、トレニー国は現状出回っているへいいつたんつぶして、銀貨の純度を下げて枚数を増やして発行するためだ。当然、純度を下げれば下げるほど、同じ量の銀からより多くの銀貨を発行できるし、鋳潰す銀貨の数を増やせば増やすほど、たくさんの水増し銀貨を発行することができる。そうすれば、例えば元々十枚しかなかったへいが十三枚になるのだ。三枚分とくすることができる。

 こういった芸当は当座の資金を生み出すものとしては最適だが、国の威信を下げることになるため長期的には不利益のほうがはるかに大きい。それでもあえてそれを行うということは、トレニー国の王家がのっぴきならぬほど金に困っているということだ。しかしそこでかんじんの銀貨がなければその息ぎのための金作りをすることができない。

 メディオ商会は、そこを突いて大量のトレニー銀貨を持って交渉に臨もうとしたのだ。場合によっては市場に流通するすべての銀貨を回収して望むつもりだろう。

 そして、王の面前でこうべを垂れて、こう言うのだ。

 この銀貨を適当な値段で買い取り、また、我々の望む特権を我々に下さるのならば、この銀貨をお売りいたしましょう、と。

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