第五幕 ②

 一部の国を除いては、基本的に国王と名前がついていてもそれはほかの貴族よりも財産や領地が多く、その上で上手じようずに立ち回り王となる正当性を周囲に認めさせただけということに過ぎず、国王だからといって国の全領土を完全に支配しているわけではない。だから、王家が他の諸侯達と共同で管理している国家の財産を勝手に処分することはできない。

 そのため、王家が持っている財産など他の貴族とあまり変わらない。特別なものがあるとすれば、それは国王の名の元に管理されることになる特殊な権力の数々だ。即ち、鉱山の採掘権、ぞうへい権、関税設定権、市場管理権、王国都市の市長任命権など、実体を伴わないけれども使いようによっては金のる木になるもの達だ。

 おそらくメディオ商会は、トレニー国国王の管理するそれらの権力のうちのどれかが欲しかったのだろう。それが何かはわからないが、メディオ商会がたくらんでいた取引がうまくいけば商売にとって決定的ともいえる権利を引き出すことができる。

 ロレンスがミローネ商会に持ち込んだのは、この取引を横取りするものだ。

 すなわち、メディオ商会よりも多くの銀貨を回収し、より早く王に取引を持ちかける。

 王の側としては、二つの商会の取引にこたえるとなればそれぞれの望む特権がかち合ってしまうかもしれない。そうなると王の側としては困ってしまう。そのためこの取引に応じるとすればその取引先は一つだけだ。

 ミローネ商会が先に取引を終わらせてしまえば、メディオ商会はもう特権を引き出せない。

 その特権は、ゆいいつだ。

 メディオ商会としては、金で買えるのならいくらでも出したがるだろう。それはミローネ商会も同じだが、首根っこを押さえられている身としては、相当の対価がもらえればかまわないはずなのだ。


「しかし……こちらはこの支店を取りつぶされるどころか我々が火刑台に送られるようなカードを向こうに握られています。向こうが対価の支払いに応じるでしょうか」


 ここがきもなのだ。ロレンスは身を乗り出してうめくように言葉をつむぐ。


「火刑台に送られるような商会と王が取引したとわかれば、王はさぞ困るでしょう」


 マールハイトはハッと気がついたようだった。教会は国境を越えた権力集団だ。大国の国王や大帝国の皇帝相手ならばまだしも、トレニー国の国王程度ならば教会の権力は絶大な効果を持つ。

 それでなくてもどういう理由かはさておき金策に困っているらしい王なのだ。教会とのめごとは極力避けたがるだろう。


「こちらが王と契約を交わせば、メディオ商会はにこちらを告発できません。下手に告発して我々が教会に目をつけられると、そんな商会と取引をした王も教会に目をつけられる。そうなればメディオ商会は王のうらみをどれほど買うかわからないからです」

「なるほど。しかしかといって向こうも黙って引き下がれない。残るは無理心中くらいのものですか」

「はい」

「そこで、こちらが相当の対価とロレンスさんのお連れの方の身柄を条件に、特権を引き渡す、と」

「はい」


 マールハイトはあごでながら感心したふうにうなずいて、視線をテーブルに落とす。ロレンスは次にマールハイトの言う言葉がわかっている。その言葉に返事をするため、今から深呼吸をし腹に力をこめる。これはゆいいつにしての、この状況を打開しつつこの商会とロレンスに利益をもたらすみようあんなのだ。

 ただ、それには困難が伴う。

 しかし、それを渡りきれなければ、ロレンスはホロを切り捨てるか、共に教会の火にくべられるかを選ぶことになる。

 そして、前者はない。絶対にない。

 マールハイトが、顔を上げて言った。


「方法論としてはいいかもしれません。ですが、お気づきかと思いますが、これにはとても大きな困難が付きまとう」

「どうやってメディオ商会を出し抜くか、ですね」


 マールハイトは顎に手を当ててうなずく。

 ロレンスは頭の中で組み上げた言葉を放った。


「私が推測する限り、メディオ商会はまだあまり銀貨を集めていないと思うのです」

「そのこんきよは?」

「その根拠は、ホロをらえた時点で教会に行かなかったことです。もし向こうがすでに十分な銀貨を持っているのなら、その時点でこちらを取りつぶすために教会に走ってもよかったはずです。しかし、それをせずにこちらの動きを封じるようにしたのは、教会の裁判が始まりこちらの商会の処分が決定するまでのわずかな間に、国王との取引に走られては困ると思ったからではないでしょうか。ですから、こうも言えるかもしれません。メディオ商会は、こちらの商会がすでに取引を開始するのに十分な量の銀貨を集めていると思っている。それは、たんてきに向こうの自信のなさの表れです」


 マールハイトは目を閉じて聞き入っている。ロレンスは息ぎをして、さらに続けた。


「それに、おそらくメディオ商会は表立ってトレニー銀貨を回収しているとさとられたくないのだと思います。この取引は、明らかに王の弱みに付け込む取引です。交渉のおもてに立つ貴族からすれば、偶然手元に銀貨があったので売りにきた、というていさいを整えたほうが、いくらあからさまであっても今後のことを考えればよいはずです。それに、ゼーレンのような者が私達行商人にあのような取引を持ちかけてきたのは、私達行商人に銀貨を回収させ、頃合を見てそれを買い上げるためだと思います。値の下がり始めた銀貨をいつまでも持っていたいと思う商人はいません。多少ゼーレンの挙動に怪しいところがあったとしても、銀貨を買ってくれると言われれば皆喜んで売るでしょう。これらは私の推測に過ぎませんが、間違いないと思います。そして、そんな地道なことをしているくらいですから、派手な買い付けをしているとは思えません。大体、メディオ商会が派手な買い付けをしていれば、ミローネ商会だけではなく、別の商会の方達もトレニー銀貨をめぐる不穏な動きに気がつくのでは」


 マールハイトはゆっくりとうなずく。


「以上のことから、いけると思います」


 それから、苦しげにうなって目を閉じた。

 一見正しそうな推論だが、あくまでも推論だ。単純にメディオ商会がミローネ商会の本店からうらみを買いたくがないためにホロを教会に連れていけないだけかもしれない。

 しかし、なんにせよ何らかのためらいがあるはずなのだ。

 せっかくそのためらいがあるのだ。そこを利用しない手はない。


「それでは仮に向こうがまだあまり準備が整っていない状況だということにしましょう。その場合、ロレンスさんはどのように動こうと思っているのですか?」


 ロレンスはその言葉を正面から受け取った。ここで自信のなさを見せてはならない。

 深呼吸をして、大きく息をく。

 それから、はっきりと言った。


「ホロを探し出して奪い取り、こちらが交渉を終えるまで逃げ続けます」


 一瞬、マールハイトが息をむ。


「そんな、ちやな」

「逃げ切ることは不可能だと思いますが、多少の時間ならかせげると思います。そして、その多少の時間の間に銀貨を集めまくって交渉に臨んでください」

「不可能だ」

「なら、ホロをこちらから告発しますか? 私はミローネ商会が不利になる証言をしますよ」


 まごうことなきおどし文句だ。

 マールハイトはそんな裏切りに似た脅し文句を言うロレンスに、泣きそうな顔を向けて口をパクパクさせた。

 しかし、どの道ミローネ商会から告発をしてもロレンスとホロと売買契約を結んだことは事実なのだ。教会裁判で無罪を勝ち取るのはろくといった感じで分は悪い。仮に無罪を勝ち取ってもかなり大きなペナルティを科されるだろう。その上、ロレンスがミローネ商会に不利な証言をすることは目に見えている。

 マールハイトは悩む。悩み切っている。

 だからロレンスはそこを押した。


「ミローネ商会の協力を得られれば一日二日は逃げられるでしょう。なにせ、一緒に逃げる相手はオオカミしんなのです。逃げるためだけにその能力を使えば人間など足元にも及びません」


 もちろんそんなことロレンスにはわからないが、説得力はあると思った。

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