第五幕 ③

「う……む……」

「今回つかまったのは私をここに来させるため、わざと人目に付くように逃げたからです。目的地もなくただ逃げればいいとなれば絶対に捕まりはしなかった。お尋ねします。どれくらい時間があれば、王と交渉できるくらいの銀貨が集まりそうですか」

「……ど、どれくらい、ですか」


 ロレンスの迫力に押され気味になりつつも、頭の中はよくめぐっているようだった。マールハイトの視線がすぐに宙を泳ぎ、思考に没頭したのがわかった。

 ロレンスは、ホロをだつかいでき、またミローネ商会が協力してくれるならば、丸二日は逃げ切れるものと踏んでいる。

 パッツィオの町は古い。建物の数は多く、路地は入り組んでいる。隠れようと思えば隠れるところは山ほどある。

 メディオ商会だけが相手であれば逃げ切れる。ロレンスはそう確信している。

 そして、マールハイトが目を開いた。


「今すぐトレニー城に馬を走らせれば、上手くいって日没頃に着きます。交渉を即決で行ったとして、帰って来るのは夜明け頃。交渉が長引けばそれだけ遅くなります」

「今すぐ交渉の馬を走らせるなんてことができるのですか? まだ手元の金額もわかっていないのに」

「銀貨のある場所というのは限られています。ですから我々が手に入れられる銀貨の量というのはおおよそ想像がつきます。その限度いっぱいに交渉を持ち込んで、実際に銀貨のやり取りを行うその日までに用意できれば問題ありません」


 かわざんようで交渉しても、決済の日にへいがそろっていれば問題ない。

 確かにそれはそうだが王を相手取っての交渉で、そんな乱暴な発想ができるのはやはり大商会の人間だからだろうか。それに、王との交渉の時は、少なくとも王が自らの力でもっと安価に銀貨を回収できはしないだろうかと考えるのをあきらめさせるくらいの銀貨の枚数を言わなければならない。それを考えるとあまりにもだいたんすぎる皮算用だが、そんな乱暴な発想が出てくるということは、マールハイトがその気だからだとロレンスは思った。


「しかし、本当ならメディオ商会の後ろにいる人間が誰かをあくしてから商談に臨みたかった。後ろにいる者が誰かわかれば、いつせいに資金繰りの経路も見えてきます。そこを横取りもできますし、概算もできる。ただ、今はそれを考える時間も推測する時間もその手がかりを得る時間もない」


 ロレンスはだとわかりつつも頭を働かせたが、一瞬で思いつくはずもない。無力感をするようにため息をつく。

 ただ、今は前だけを見なければならない。ロレンスはぐっと背筋を伸ばしてマールハイトを見た。


「しかし、国王相手に即決の交渉ができますか?」


 交渉が即決だろうが長引こうがロレンスは逃げなければならない。その事実に変わりはないが、やはり心の持ちようが違う。

 マールハイトは、小さくせきばらいをすると鋭く言い放ったのだった。


「ミローネ商会がその気になれば、どのような商談も即決以外にあり得ません」


 思わず苦笑いのロレンスだが、今はそんなマールハイトの言葉が頼もしい。

 ロレンスは右手を差し出しながら、今日の天気を尋ねるようにマールハイトに質問した。


「それで、ホロの居場所はつかめているんですよね?」

「我々はミローネ商会です」


 この商会を選んでよかった、とロレンスはマールハイトと握手をしながら胸中でつぶやいたのだった。



「商会の者がやみちされたり店に火をつけられたりといったことは日常はんなんですよ。だから我々はその町の誰よりもその町にくわしくなる。非常用の対策も万全です。例え大団がこの町を包囲したとしても、我々だけは生き残ってみせる。ただ、我々にもライバルがいる」

「教会ですか」

「そうです。彼らも様々な国の様々な町に行く。特に前線で布教活動を行うような人達は我々と同じかそれ以上にそういったことにけています。ご存知でしょう?」

「確かに、彼らはしんしゆつぼつです」

「ですから、教会が本腰を入れてそうさくに乗り出したらその時はに逃げずに閉じこもりましょう。もっとも、そうなる前に決着をつけるつもりですが。それと、合言葉はピレオン、ヌマイ、です」

「二大金貨ですか」

えんが良いでしょう? それではご無事と成功を祈っていますよ」

「わかりました。必ず期待におこたえします」


 ロレンスとマールハイトはもう一度握手をしてから馬車に乗り込んだ。どこにでもあるような目立たない造りの馬車だ。ただ、屋根付きなので外から中に乗っている者の顔は見えないが、それはここにホロを乗せて逃げるためではない。ロレンスが無事ホロのいる元へたどり着くためだ。しかも、それはロレンスを運ぶためというよりも、ロレンスがどこに行ったかわからなくするためのものだ。

 ミローネ商会の人間が昨夜のり物騒ぎを聞きつけて、それが一体何の騒ぎであるのかも知らずに彼らの後をつけ、ホロの居場所を特定しているように、ミローネ商会の支店もメディオ商会の連中にかんされているはずだ。念には念を入れても入れすぎることはない。

 商人達は面と向かってもかし合うのだ。目に見えない場所では恐ろしいほどに化かし合う。

 ロレンスは一緒に乗り込んだ商会の者とともにゆかいたをはがし、ゆっくりと流れていく石だたみを見つめながら確認した。


「地下に入ったら右側の壁に手をつけたまま前進、ですね」

「行き止まりが目的地です。だつかいが成功すれば上からのとびらが開きます。そこでラッヘと言われたらおともの者が来るのを待ってください。ペローソと言われたら、ただちにお二人で予定の通路を逃げてください」

「好景気に不景気ですか」

「わかりやすいでしょう」


 ロレンスは苦笑して、わかったとうなずく。ミローネ商会はこういう合言葉が好きなようだった。


「それでは、そろそろですね」


 商会の者がそう言った直後、ぎよしやだいに座る御者がこつこつと壁を打ち鳴らした。停止の合図だ。

 その直後、馬がいなないて馬車が急停止し、誰かをりつける御者の声が響く。ロレンスはすぐさま馬車の床に開けた穴から下に降り、石畳の一枚をはがすと横にずらす。その下にあるのは暗い穴だ。間を空けずに飛び込み、ばしゃん、と足元で水しぶきがあがったがなんとか転ばずに着地した。上からもそれを確認していたのか、即座に石畳が元に戻されて地下道に完全なくらやみが訪れる。

 その数瞬後には、馬車が何事もなく走り始める音がした。


「こんな準備までしてるとはな」


 ロレンスは半ばあきれ気味にそう言って、右側の壁に手を当てるとゆっくりと歩き出した。

 昔の地下水道跡地で、市場までの用水路が引かれてからは使われなくなっている。ロレンスが知っているのはそこまでだが、ミローネ商会はここをかんぺきあくし、勝手に拡張していくつかの建物を地下でつなげてしまっているらしい。

 こういったことは教会も得意だ。地下に墓を作ると言っては町の下に独自の通路を構築しているという。用途はたんちようほうだったり脱税だったりと色々だ。教会は権力を持つ分、敵も多い。彼らの逃げ道にもなっている。

 教会の総本山や、ミローネ商会のような大商会の本店が置かれる町というのは悪魔やけ物の住む場所となんら変わらないという。まるでクモの巣の上で生活するようだと、仲間の行商人が言っていた。

 今はそれが恐ろしく実感できる。

 真っ暗でじめじめとしている地下道だが、足元はな路地よりもしっかりしているのをみても手入れが行き届いているのがよくわかる。

 ただ、だからこそ安心感もあった。ミローネ商会は、強い。


「ここか」


 足元の水の反響音から行き止まりに着いたと判断して、少し手を前に伸ばすとすぐに壁に当たった。

 月のない山道で野犬に襲われたりが当たり前の行商人だ。いざとなればここを走ってもすぐにどこが壁かわかる自信がロレンスにはあった。

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