終幕 ②

 南の国のしやくを持つ大商人が経営する商会の支店との契約であっても、それはやはり爵位持ち商人と王という身分違いの者同士の契約に過ぎない。力関係は歴然としているのだ。ミローネ商会はその手数料に文句を言える立場にはなかった。


「我々が計算した結果、我々が得る利益は銀貨にして二千四百枚。その五分ということで、ロレンスさんにお渡しする銀貨はその枚数になります」


 必死に頭をめぐらせ、うでを刺されまでして、銀貨百二十枚。

 その上、この件に首を突っ込まなければホロと別れることもなかっただろうということを考えると、ロレンスの頭の中には赤字の二文字しか浮かばない。銀貨百二十枚ではとても割に合わなかった。

 しかし、契約は契約だ。ロレンスはそれに納得するしかない。得をすることもあれば大損することもある。それは商人にとって当たり前の事実だ。命を落とさず、また少ないとは言ってもあの状況から銀貨百二十枚を手に入れることができたのはぎようこうかもしれない。

 ロレンスは書類を前に、ゆっくりとうなずいたのだった。


「これらは我々としても予想できませんでした。残念な結果になったと思います」

「商売に予想外のできごとはつきものですから」

「そう言っていただけるとありがたいです。ですが」


 そう続けたマールハイトのほうを、ロレンスは思わず振り向いていた。

 マールハイトの口調が、どういうわけか明るかったからだ。


「予想外のできごとというのは良いほうにも起こります。こちらを」


 ロレンスはマールハイトの差し出した二枚目の書類を受け取り、そこに書かれている短い文字に目を通す。

 その直後、ロレンスは驚いて再びマールハイトのほうを見た。


「メディオ商会はよほど特権が欲しかったとみえます。それに、価値が下がるとわかっている銀貨を集めてもいたのですから、それは負債を抱え込んだのと同じです。確実にもうけが見込める特権を用いた商売がどうしてもやりたかったのでしょう。向こう側から即決の値段を提示してきましたよ」


 ロレンスの手元にあった書類には、特別利益の分け前としてロレンスに銀貨千枚をぞうていすると書かれていたのだ。


「千枚も……よろしいんですか」

「ええ、安いものです」


 笑顔で言うのだ。よほど儲かったのだろうが、さすがにそれを聞くほどロレンスはすいではない。大体、契約外の分け前としてこれほどの金額をくれるなど、道を歩いていてきんかいを拾うようなものだ。

 契約とはそれほどに重要なものだし、契約をかいさない金のやり取りなど存在しないに等しいのだ。


「それと、ロレンスさんのその傷がえるまでの滞在費用と、ロレンスさんの荷馬車の管理も我々がけ負わせていただきます」

うまは無事だったのですか」

「ええ。さすがに馬はひとじちにとってもしょうがないとメディオ商会も判断したのでしょう」


 マールハイトが笑いながら言うのでロレンスもついられて笑う。

 しかし、それにしても破格のたいぐうだ。


「細かい実際の支払いなどに関してのご相談はまた後日に致しましょうか」

「そうですね。いやしかし、本当に、ありがとうございます」

「いえ、こちらとしましても、ロレンスさんほどの商人と今後とも良い関係が築けるならと思えば、安いものですからね」


 損得かんじように抜け目のない目でマールハイトはロレンスを見て、おそらくはわざとだろうが、商談用とわかる笑みを浮かべた。

 ただ、それはロレンスがミローネ商会という大商会の支店を預かる人間から銀貨千枚を渡してでもこんにしたいと思うくらいには価値のある商人として評価されたということだ。

 それはいつかいの行商人であるロレンスとしては喜ぶべきことだ。

 ロレンスは目礼して、ベッドの上から礼を言ったのだった。


「あ、一応お聞きしておきますが、支払いは銀貨がよろしいですか? 何か商品に変えたほうが宜しければ、手配いたしますが」


 銀貨も千枚となるとかさばるだけでなんの得にもならない。マールハイトの好意の申し出にロレンスは少し黙考し、マールハイトから受け取れる銀貨の枚数と自分の荷馬車の大きさを考慮して、良い商品が一つ思い浮かんだ。


しようとかありますか。軽いしかさばらないし、これから冬に向けて肉料理が増えれば値段も上がりますからね」

「胡椒、ですか」

「どうかしましたか?」


 マールハイトが小さく笑ったので、ロレンスは聞き返した。


「あ、いえ申し訳ありません。つい最近南から送られてきたきよくを読んだのですが、そこでの話を思い出してしまいました」

「戯曲?」

「ええ。大金持ちの商人の前に悪魔が出てきて、こう言うのです。ここで最もい人間を連れてこい、さもなければお前を食らうと。その商人は自分の命がしいためにうら若く美しいメイドや、下男の中でよく太った男などを差し出すのですが、悪魔は首を横に振るのです」

「ほう」

「そして、結局家中どころか町中に金をいて美味そうな人間を探すわけですが、ついにはちみつとミルクの香りがする見習い修道士の小さい男の子を見つけます。その男の子を修道院ごと金で買った商人は早速悪魔に差し出すのですが、その時に男の子が悪魔に向かって言うのです。神に逆らいし悪魔の者よ、この世で一番美味い人間は私などではないのです、と」


 ロレンスは完全に話にみ込まれて無言でうなずいた。


「この世で最も美味い人間はあなたの目の前にいたのです。即ち、来る日も来る日もこうしんりようかついで金をもうけ、そのえ太ったたましいにたっぷりと香辛料のうまみを効かせた男がね、と」


 実に楽しげに話すマールハイトは身振りまで加え、最後に恐れおののく商人の顔をすると、ふと我に帰ったようで恥ずかしげに笑ったのだった。


「教会が商会向けに商売のせつを説く宗教劇用のものですね。それを思い出してしまったのです。確かに、これから大きくかせごうとしている商人にはこうしんりようがぴったりだな、と」


 その言葉がめ言葉であることくらい、商人同士なら実によくわかる。

 ロレンスは話の面白さとその褒め言葉にまんざらでもない笑みを浮かべて、口を開いていた。


「早く香辛料の効いた体になりたいものです」

「期待しております。今後とも、当商会をよろしくお願いしますよ、ロレンスさん」


 マールハイトは抜け目なくそう言って、再度二人で笑いあったのだった。


「では、しようは手配しておきます。私は仕事がありますのでこれで……」


 と、マールハイトが身をひるがえそうとした時だった。

 部屋のとびらをノックする音が控えめに鳴ったのだ。


「お連れの方でしょうか」


 マールハイトはそう言ったが、それはないとロレンスは確信を持てた。

 マールハイトが扉を開けるためにベッドを離れたので、ロレンスはまくらもとの窓を見上げた。

 そこからは、れいな青空がよく見えたのだった。


「支店長。こんな請求書が」


 扉を開けると共に、そんな控えめの声が聞こえ、かさりという紙を差し出す音が聞こえた。

 きっと急の請求書か何かだろう。ロレンスは、早く自分も店を持ちたいものだなと思いながら、空に浮かぶ小さな白い雲を見つめていた。

 マールハイトの言葉が耳についたのは、それからすぐのことだった。


「あて先は確かにうちの商会だが……」


 それから、ロレンスがマールハイトに視線を向けると、マールハイトもロレンスのほうを見た。


「ロレンスさん。ロレンスさんの名前で請求書が届いているのですが」


 ロレンスの頭の中に、いつせいに取引先の名前とさい関係が展開される。

 そのうちの中で決済日の近いものを色々とあげてみるが、基本的に町と町の移動にかかる日数がとても不安定なのだ。例え決済日が昨日きのうであっても行商人のロレンスに決済日を厳格に守れと言うような人間はいないはずだ。

 第一、どうしてロレンスがここにいるとわかったのだろう。

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狼と香辛料XVII Epilogueの書影
狼と香辛料XVI 太陽の金貨<下>の書影
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狼と香辛料XIVの書影
狼と香辛料XIIISide ColorsIIIの書影
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