第一幕 ③

 船は川を下る間に、たくさんの領主の土地を通過する。そのたびごとに関所をとおり、税をちようしゆうされる。大きい川だと五十をえ、中には百を数える川もあるという。

 そして、領主は自分の領地でしか税を課せられないが、教会はその教えが広まっている場所であれば、あらゆる場所で税を課すことができる。つまり、事実上の世界中であり、それが『十分の一税』と呼ばれるものだった。


「教会の十分の一税がなくなれば、おれたちも助かる。しかも、元々は異教徒と戦うために集められていた税だって言うじゃないか。その戦争が終わったら、確かにはらう道理はない。ウィンフィールの王様はよくぞ声を上げてくれたって話だ」


 税金はいつだって、どんな理由であれ不人気なもの。それをなくそうと声を上げる王様を、悪く言う理由はない。


「その上、筋の通った話をしている王様に対する、教皇様の仕打ちだ。いや、まったくウィンフィールの王様にはがんってもらわないと……」


 と、そこまで言って、船頭は不意に口を閉じた。

 船に乗せているのが、聖職を希望する者だと思い出したらしい。


「こりゃすまない。あんたの志願先を悪く言うつもりはないんだが」

「いえ」


 短く言って、小さく笑った。


「私も同感ですから」

「へえ?」


 きょとんとする船頭をよそに、川下からがってくる、冷たくもんだ風に目を細めて言った。


「教皇様が税のはらいを強要するために、話し合いではなく王国の聖務停止をわたしたことは、私も信じられません」


 いた息がことさら白くなったのは、いかりのためだろう。聖務停止とは、その土地一帯にある教会の聖職者全員に、あらゆる仕事をほうさせるという、教皇からの命令だった。


「王国では、もう三年間にわたって、赤子の洗礼も、愛し合う二人のけつこんも、大切な家族のそうしきも行われていません。すべて聖職者がおこなうべき、人生の大切なしきなのに、教皇様はそれを停止してしまった。神のおんちようしければ税をはらえとせまるなんて、私にはそれが神のこころかなう行動とはとても思えません。私は、無学で無力な身ではありますが……」


 首からげ、むなもとにいつもある教会のもんしようをかたどった木細工を、力強くにぎりしめる。


「私は、ゆがめられてしまった神の教えを正す、一助になりたく思っています」


 税のために三年間もたましいの救済をおこたっているごうまんな教皇から、ウィンフィール王国を救うべく、また、神の教えを正すべく戦わなければならない。自分はそのために、旅に出たのだ。

 困難はあるだろう。苦難もあるだろう。それでも、自分にはこれまで学んできたたくさんのことがあるし、ロレンスや、その妻のホロといった、いわばおとぎばなしのようなせきにもじかれてきた。ならばやれるはず。自分にもきっとできるはず。

 じんなこの世界に、少しでも多くのがおと幸福をもたらすため。

 川の流れの行く先を見つめ、改めてそうちかう。

 神よ、我に勇気をあたえ、我を導きたまえ。

 目を閉じると、天使がほおでるかのように、ひときわ強く風がいた。


「ははあ……」


 と、後ろから船頭のため息が聞こえてきて、我に返った。

 かあっと顔が熱くなったのは、まだ自分が聖職者見習いですらないからだ。


「えっと、志としては、そう思っている、というところです……」

「いやあ、おれはてっきり、ニョッヒラで働いているうちに、温泉で飲み食いする聖職者がうらやましくなったのかと思ったんだが」


 船頭のえんりよのない一言だったが、それも事実。こんなやまおくにまでやってくるには、相当の旅費と、何か月も仕事を放り出しても困らないだけの地位が必要になる。その両方をそろえられるのは、いんきよした大商会のあるじか、統治がうまくいっている貴族か、高位の聖職者くらいのものだ。


「確かに、そういう理由で聖職者になりたがる人も多いでしょう。なげかわしいことですが……」

「『おい』や『めい』がたくさんいる聖職者もめずらしくないしなあ」


 ふくみのある言い方だが、船頭になにか思うところがあるわけではなく、それは公然の秘密というやつだからだ。聖職者は独身をつらぬかなければならないので、もちろん妻もいなければ子供もいないことになっている。よって、かれらには『おい』や『めい』がいる。教皇ですら例外ではないし、その『めい』の一人がウィンフィール国王にとついでいるのだから、いかにあくへいが常態化しているかという話だ。


「世界がもっと正直に、まっすぐであればと願うばかりです。そんなことだから、教皇様まで金目当てに権力をるってしまうことになるのでしょう」


 ため息と共に言うと、船頭はさぐるような口調でこう言った。


「ということは、なんだ。あんたはニョッヒラにいておどには指一本れなかったのかい?」


 まさかそんなことはないだろう? という聞き方だったが、胸を張って言える。


「もちろんです」

「おお、それは……」


 船頭は言葉にまっていた。

 ただ、そういう反応には慣れている。本職の聖職者でさえ、禁欲のちかいを守っているのはごく少数だ。きちんと禁欲を守っているのは、人里はなれた修道院で、どうあがいても女性とふれあえない修道士くらいのものだろう。


「もっとも、禁欲のちかいを破ろうと思っても、破れなかったとは思いますが」


 しようして言うと、船頭はようやくぎこちなくはあったが笑っていた。

 おどや楽師のむすめから、確かに声をかけられることはあった。けれど、どれもからかいの延長にすぎなかった。そういう意味では、努力して守ったとは言えないかもしれない。


「とはいえ、定められたことは守るべきだと思います」


 背筋を正して、そう言った。


「ううむ。そうだなあ」


 船頭はしみじみとつぶやいてから、じくの向きをまたくるりと変える。


「とはいえ、世の中は川のようなものだ。なかなかまっすぐばかりというわけにもいくまいよ」


 くと、船頭はしたり顔でも、理想を語る若者をあざわらう顔でもなかった。

 それは多くのことをかんじゆして、受け流そうとする、いんじやの顔にも見えた。


「時には曲がるからこそ、そこに魚が住めるということもある」


 船頭という職にいていれば、さくにふける時間もたっぷりあるのか、実にがんちくのある言葉だった。事実、かいにまみれてから真理に至った、という高名な神学者もいる。


おつしやる言葉もわかる気がします」

「もちろん、人の理想をくさすつもりはない。ましてや聖職者を目指そうという人だ。ただね、まっすぐいつぺんとうじゃわからないことってのもあるだろう? 寄り道してこそ得られる経験ってやつだ」


 それもそのとおりだ、となおに思う。

 ただ、船頭の話の向かう先が見えなかった。


「えっと……つまり?」


 船頭は、なぜかばつが悪そうに鼻先をいていた。


「うむ。その、なんだ。あんたの旅の目的と、その精神がらしいものだってことはわかったんだが……いやあ、まさかそこまで固いとは思わなかったから、おれな世話焼きというかね……」

「え?」


 聞き返した直後だった。


「なんにせよ、もう引き返せない。おい、出てきていいぞ」


 船頭は、積み荷を見ながらそう言った。視線は毛皮の山ではなく、その手前にある木だるに向けられていた。直後、ばこん! と音がして木だるふたが空にう。


「おっと」


 と、船頭がうまくふたを手に取った。木だるの中からは、武骨な旅用のくついた、細長い足がすっくとびている。困ったように笑う船頭をよそに、開いた口がふさがらなかった。


「うー! ううー!」


 そんなうめき声と共に、木だるふちに手がかかり、がたがたとれる。

 それがたおれる、というまさにそのしゆんかん、中から一人の少女が飛び出してきた。


「くっさああああい!」

「ミューリ!?」

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