第一幕 ⑤

 なにせ、湯屋は人を喜ばせるのが仕事の場所だから、とにかくはなやかでにぎやかだ。やってくる客たちも羽目を外す者ばかりなのに、そこで禁欲やらせいひんやらを説いたってまったく説得力がない。

 父親たるロレンスも一度はしかるが、そこでちょっとしゆしようにしておけばそれ以上強く言わない、とミューリにかれているので、よく力としては心もとない。挙句に最近は、だってお父様が喜ぶかと思って……と悲しげにするわざを覚えたので、いよいよ無力になっていた。

 母親たるホロに対しては、尻尾しつぽんだらそのこわさはロレンスの比ではないとわかっているので、ミューリもホロの顔色はうかがっていた。しかし、何百年と生きるホロは元々布地のひとつや二つを気にかけるような性格ではないし、むしろミューリを通じてはなやかなしようの情報を仕入れているほど。

 結局、自分がしっかりするほかない。


「女の子らしく服装に気を配りなさいって言ったのは、兄様じゃない」


 毛皮の山の中で、ミューリはむくれていた。


きよくたんなのです。こしまきひとつで山に分け入る、ばんぞくみたいな格好をしていたからそう言ったのです。何事もちゆうようが大事です。わかりましたか?」

「……はあい」


 おもしろくなさそうに返事をして、ミューリはそのまま後ろ向きに毛皮の山にぼすっとたおんだ。


「えへへ、なんだっていいや。あのせまい村をようやく出られたんだもの」


 りよううでを広げて、きとおった青空を見上げながらミューリはそんなことを言う。

 冷水をかけることばかり言いたくないが、だれかがその役目を引き受けなければならない。


「スヴェルネルに着いたら、人と馬をつけますから、そこから帰るんですよ」


 スヴェルネルまで行けば、湯屋の仕入れなどの関係で知り合いがたくさんいる。信用できる者たちも多いので、ミューリを任せても安心だ。

 ただ、ミューリは絶対にいかくるうだろうと腹に力をめて構えていたのに、一向にをこねる様子がなかった。


「ミューリ?」


 こちらから重ねて問うと、空を見ていたミューリはゆっくりとまぶたを閉じ、ため息をついた。


「はあい」


 ずいぶん聞き分けが良いので、逆にいやな予感がした。それとも、単に村からちょっと出てみたかっただけだろうか? しかし、その程度の理由で鼻が曲がりそうなほどくさたるの中で息を殺そうと決意するだろうか? しかも、旅立ちの日が近づいてからは、一週間にわたって文字どおりみついてごねていたのだ。

 疑わしげにその様子をうかがっていたが、ミューリは毛皮の山の中であくびをしていた。


「ふぁ~……あふっ。夜が明ける前から準備してたから、ねむくなっちゃった……」


 こちらがどれほど心配しようとも、その欠片かけらも伝わっていない。自由ほんぽうなミューリにとっては、すべてわずらわしいことなのだろう。その図太さもなみたいていのことではなく、ると決めたらすぐにでもられる特技からも明らかだ。毛皮のすきからは、すでにいきが聞こえていた。

 やれやれとため息をついて、ミューリの上にさらに毛皮をかけ、苦しそうなので頭の上のは退けてやる。おとなしくねむっている顔はけな可愛かわいらしいが、可愛かわいゆえに、余計に気苦労が絶えなかった。

 暖かくねむれるようにとひととおり毛皮をかけ終わると、船頭が長いさおの先に器用に木のジョッキの取っ手をけて、こちらにばしてきた。あまっぱいかおりから、スグリの果実酒だとわかった。


「夜が明ける前に、村の寄合所でみんしていたおれのところにやってきてね」


 ミューリのことだとはすぐにわかる。もちろん、ミューリの計画に加担したこの船頭を責める気はない。


「船に乗せろ、乗せないと死ぬってわめくんだ。月明かりのあんばいか知らないが、くらやみの中で光る金色の目を見て、こりゃ本気だ、と思ったわけさ」


 あまさよりもっぱさのまさる酒をすすりながら、笑いもひきつってしまう。旅に連れていけとせまるミューリがどれくらいのはくりよくかは、ここ一週間ずっと味わってきた。


「まあ、ほうろうの旅やら、わけありのとうこうなんかはこの仕事をやってるとちょくちょく出くわす。手を貸してもいいものかどうか、それなりに判断はできているつもりだ」

「その上で、いいと?」

「そりゃあ、旅の道連れがいかにもかたぶつの青年とくれば。ただ、予想より固すぎて、おこり出さないか不安だったがね」


 笑う船頭の言葉には、ため息が出るばかり。あまっぱい酒を口にふくみ、かたを落とした。

 なんにせよミューリはスヴェルネルに着いたら追い返す。なにをたくらんでいるのか知らないが、断固たる態度でそうしなければならない。ミューリは自由ほんぽうで、勝手気ままで、客におだてられたらおどたちといつしよにこちらがあわてるような格好でおどくるむすめだが、常にどこかは冷静なのだ。成長するに従い、どきりとするほど母親のホロにそっくりになってきたが、真に似ているのはその容姿ではない。そっくりなのは、鹿さわぎの合間に見せる、けんろうと呼ばれあがめられた母親と同じ、運命を見とおすような理知的な目のほうだ。


「しかし、兄妹きようだいだったとは。てっきりこいなかだと思ったんだが、そこは当てが外れたな」

「血のつながった兄妹きようだいではありません。お世話になっていた湯屋の主人の一人ひとりむすめです。うぶごえを聞いて、散々おしめを替えてきましたよ」


 ミューリ自身もつい最近まで、こちらのことを本当の兄だと思っていたらしい。いかにホロやロレンスが、自分のことを単なる使用人としてではなく、家族としてあつかってくれていたかということだ。感謝のしようもない。


「ま、これだけにぎやかなむすめいつしよなら、長旅もきないだろう」


 ミューリはさっさと村に送り返すつもりだったが、少なくともそれまでは静かで単調な旅、とはいかないことが容易に想像できる。


にぎやかなのは構いませんが、何事も適度であってほしいものです」

「それも大事だ。川の流れのようにな」


 船頭が笑ってジョッキを軽くかかげるので、それにあわせてかかげ、道中の無事を神にいのったのだった。



 関所をいくつかえ、船はそのたびに止まり、積み荷を調べられ、税をはらっていた。

 ひるから目覚めたミューリは見る物すべてがめずらしいようで、きようしんしんに辺りを見回し、意外に静かだった。

 太陽があかねいろに変わるころには、辺りの景色もかなり変わってきていた。山がちなのは同じだが、雪が減り、小石の多い河原が増え、時折川沿いに道が見えるようになった。

 流れもだいぶゆるやかになってきた川を大きくかいしておかを回りむと、目の前に現れたのはこれまでとはちがう、大きくてにぎやかな関所だった。


「わあ! すごい!」


 広い河原にはたくさんの荷物が並んでいる。川を下って運ばれてきたのか、それともここからさらに下って次の関所に向かうかするのだろう。さんばしの入り口ではよろいかぶとの兵がやりたずさえ、夜間の見張りのためのかがりを用意していた。そのさんばしでも今日の航行は終わりだと、船をくくりつけている者や、すでに船の上で酒盛りをしている者たちがいた。


「この川で二番目に大きい、ハビリシきようの関所だ」


 船頭が船をさんばしに寄せると、顔なじみらしいほかの船頭たちがあいさつしてくる。


「二番目? これで二番目なの?」


 河原の向こうには宿屋が二軒ほど見え、のきさきと長机が出されて夜のさわぎが一足先に始まっている。きゆうくつへきの中ではないので、ずいぶんおおらかなようだ。

 笑い声やだれかが持ち出した楽器の音色に、ミューリはうずうずそわそわしていた。

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