第一幕 ⑦

 それとも、本当の妹のように可愛かわいがってきたゆえの贔屓ひいきだろうか。

 しようしたところで、とびらがノックされた。


「どうぞ」


 みをめ、木窓を閉じる。

 とびらが開くと、そこにはつい先ほど、広場からこちらを見上げていた旅人がいたのだった。



 がらと言えるかもしれないが、さほど背が低いわけではない。体格はがっしりしているわけではないが、細いわけでもない。なんとも印象がつかみにくいのは、もしかしたらたまにはみつていじみた仕事をするからなのかもしれない。

 フードをかぶると若い青年なのかと思うが、実際はしわの出始めた物静かな男だ。


おどろきました。こんなところでお会いするとは」


 すすめると、男はかぶりをふる。


「長居はしません。わざわざ人払いもしてもらってすみませんね」

「ああ……あの子は、ニョッヒラから無理やりついてきたんですよ。積み荷にもぐんでいたんです。それも木のヤニがまっていたような、よもやここにはというくらいくさたるの中に」

「ええ?」


 男はおどろき、かたらして笑った。


「あのたるは本当にくさい。私も何度かもぐんだことがありますが」


 やはりこう見えて、あらっぽい仕事も多いようだ。男はデバウ商会と呼ばれる、この北の地方一帯に勢力を広げている強力な大商会のれんらく員だった。デバウ商会は教皇とめているウィンフィール王国側にくみしている。苦境におちいった王国を助け、商売上の特権を引き出すのがねらいなのだろう。

 そういうわけで、ウィンフィール王国と、自分のような王国への協力者のれんらく役をっているのだ。


「笑い事ではありませんよ……。ところで、どうしてここに? スヴェルネルでお会いするはずでは?」

「それなのですが、レノス行きはなくなりまして、そのことをお伝えするためにここで待っていたのです。代わりに、アティフに向かっていただきたい」

「アティフに?」


 それは、昼間乗っていた船の船頭が語った、かいぞくから守るためにきよだいくさりわたされている関所がある町の名だった。


「レノスからはまたずいぶんはなれますね……なにかあったのですか」


 ニョッヒラから流れ出る川は、少し南に下った後に、進路を変えて真西に向かう。川は山脈のすききゆうくつそうにこうしたあと、ドラン平原と呼ばれる平地に出て、海にそそぐ。レノスはもっと南西に向かって、いくつも山をえた地方の町だ。


「レノスにある司教座の大司教とは、こうしようが早々にけつれつしましてね」

「え……」

「ハイランド様がご自身でどうにかしたいとおつしやっておりましたが、北の地方と南の地方をつなぐ重要な地域なので、ラフォークはくしやくが代わってこうしようのぞむと」


 レノスという町は、自分が子供のころはまだ教会がなかったが、今や北の地でのしんこうの一大中心地とも呼べる規模になっている。他の教会の司教を任命する権限を持つ司教座が置かれ、大司教がしやくじようるってかれこれ十年になる。

 ただ、気落ちしたのは重要なレノスの町でのこうしようがうまくいかなかったからではない。


「ハイランド様はさぞご無念でしょう」


 その人物のことが気がかりだった。


「なあに、あのかたの良いところはあきらめないところです」


 ハイランドは高位の身分で、ウィンフィール王国の王族の血を引いているが、れんらく員の男は友人のことを語るようにそう言った。本来なら不敬なのだろうが、男の気持ちもわかる。ハイランドは変に気取らないまっすぐな心根の持ち主で、つい友人のような気になってしまう。

 自分がウィンフィール王国の一助になろうと決心したのは、くつの面もあるが、ニョッヒラの湯にかりに来たこのハイランドに、直接口説かれたからということも大きかった。


「では、アティフで次のこうしようを? しかし、レノスの次がアティフとは……」

「レノスのこうしように失敗し、萎縮してるみたいだと?」


 男にてきされ、おとなしくうなずく。


「アティフの教会は司教座が置かれていると言っても、確かに新参も新参。弱小司教座ですが、ここ数年は町全体が交易でおおもうけしていて、ますますびるといった感じです。あそこを説得できれば、北の海の三分の一は確保できます」


 北の地のすみずみまでしようあくしているデバウ商会が言うのだから、うそではないのだろう。

 それに、アティフがいつの間にか大きくなっていたなどという話は知らなかった。ニョッヒラのやまおくにいると、どうしても世事にうとくなるようだ。


「また、どこの王権にも属していない自治都市ですから、取っかかりとしても悪くない。アティフが説得に応じれば、他の自治都市も倣うことでしょう。その上、アティフからでしたら、今時の船で海路を使えばウィンフィール王国まで二日とかかりません。地図上では遠いようで、実は重要な町なのです」


 地理には多少くわしい自信があったが、世の中は大きく動いている。自分のおくは過去のものと思ったほうが良さそうだった。


「なんにせよ、ハイランド様やウィンフィール王国にはがんっていただかないとなりません。しり馬に乗る我々のもうけがありませんからな」


 商人らしい男の物言いには苦笑いだったが、事実でもある。


「コル様も、未来の王家おかかえ司祭の座をねらう身でしょう?」

「それは」


 つのろうとして、口ごもってしまう。出てきたのは、おのれの欲を認める照れ笑いだ。


「立身出世に興味がない、とは申しません。ですが、やはり教皇様の横暴としか言えない政策と、的に神の教えが用いられている現状は許せません。なにより、ハイランド様の確かなしんこう心に心を打たれました。あのような方が治世を行ってくれたらと思います。そして、私の力が正しいしんこうの役に立つのでしたら、とてもうれしいことです。それに……」

「それに?」

「十分の一税が強化されれば、ニョッヒラが仕入れる様々な品物の値も上がるでしょう? 逆にそれがはいできれば、ニョッヒラの湯屋のもうけを守ることができます」


 男はややおどろいた顔をしてから、額をぴしゃんとたたいて笑っていた。


「コル様は修道院に引きこもっていたがくそうとはちがいますな。実に心強い。右手にてんびん、左手に聖典というわけだ」

「どっちつかずかもしれません」

「それはおいおい証明していけば良いだけのこと」


 そして、その結果、おのおのが望む利益を手に入れる。自分もその列に加わる一人とはいえ、ハイランドへのじゆんすいな協力の気持ちがないわけではない。たとえ見返りがなくとも、とおおに言えばそうだった。

 上等の客だけが使えるどうくつ内の静かな湯にかり、教理問答を望むハイランドの相手をした時のことを今でもはっきりと思い出せる。ハイランドのしんこうと情熱は本物であり、自分の国が教皇の欲望によってひどい目にわされていることに、本気で心を痛めていた。古来より、高位の人間の側に立つ聖職者は、かれらの友でもあった。自分の学んできたことが、らしい人物の支えになるのなら、それはとてもほこらしいことだ。


「それと、ハイランド様の遠大なる計画も楽しみです」


 男はにやりと笑って、言った。


「『我々の神の書』を作ろうとは、このとしになってもわくわくする大事業です。コル様にも期待されているとのことですよ」

きようしゆくです」


 それはけんそんではなく本気だったのだが、男はからからと笑っていた。


「とりあえず、みなさまたいざいは我々デバウ商会の商館でめんどうを見させていただきます。道具類もすぐにそろえられるでしょう」

「よろしくお願いします」

「さて、私も次の場所に行かなければ。まだ船に飛び乗れば次の町に行ける。ハイランド様も海路ですでにアティフにとうちやくなさっているでしょうし。それでは、神のご加護があらんことを」


 男は小さく笑うと部屋を出ていった。

 ぱたん、と閉じられたとびらを前に、大きくため息をついた。知らずきんちようしていたらしい。

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