第一幕 ⑧

 自分は数多あまたいる協力者の一人にすぎないとはわかっているし、これはしんこうめぐしんけんな問題だともわかっている。けれども、どうしたってむねおくに熱いものを感じてしまう。本来の勤めを忘れた教皇と、それに立ち向かうウィンフィール王国。

 大きな物に立ち向かう興奮と、ぼうけんに対するどうけいが自分の中にもあっただなんて思いもよらなかった。

 まずはアティフであのハイランドの支えとなる、というのはおこがましくも、一助になれればと決意を改めた。そんな時だった。


「あ~、兄様~!」


 とびらの向こうから聞こえてきたミューリのけ声に、げんしゆくな想いが破られた。


とびら、開けて~」


 ごん、ごん、というのはとびらる音だろう。

 ため息をついて、とびらを開けた。


とびらるのはやめなさいと何度言ったらわかるんですか」

「わっわっ、ちょっと、どいてどいて!」


 ミューリは小言を聞く耳など持たず、こちらのことをしのけて部屋にころがりみ、両手いっぱいにかかえていた物をなんとか落とさずにベッドの上に置いた。


「手が、手が熱い! 火傷やけどしたかなあ……」


 ふうふうと息をきかけているが、こちらもまたあつにとられていた。


「ミューリ? なんでそんなにたくさん買い物が?」


 わたしたのはディップ銅貨と呼ばれる、この辺では最小単位の通貨だ。二枚や三枚では一食分を買うのがせいぜいで、ぶたの肉が数切れと、かわいた古いパンを買えれば良いほうのはず。

 それが、ミューリがかかえていたのは大きな葉っぱで包まれたあれやこれやと、ミューリの太ももくらいありそうな立派な三本のパン。どう考えたって、買える量ではない。きわめつけは、小ぶりなさかだるだった。


「酒は買ってはだめだと言ったでしょう」


 無視し続けるのもめんどうになったのか、ミューリはつんとした様子で言った。


「買ってないもの」

「買ってない?」

「もらったの」

「そういうことでは──まさか、これ全てを?」


 すると、ミューリはたちまち得意げながおになった。


ぶたが焼けるのを待ってたら、おどりにさそわれてね? 楽器に合わせておどったら、みんなすごい喜んでくれたんだよ!」


 自分のりようほおに手を当てて、うれしそうに身をよじりながらくるりと回転すると、耳と尻尾しつぽが現れた。にぎやかなことが好きなむすめだし、ニョッヒラの湯屋ではおどいつしよによくおどっていた。

 その様子に、ため息をついて額に手を当てる。それから、鼻歌と共にふさふさの尻尾しつぽってうミューリの頭を、手でぐいと押さえつけた。


「ミューリ、以降、そういうことはつつしむように」

「ほえ?」


 手のひらの下から、きょとんとこちらを見上げてくる。

 そして、なにかに気がついたように口を開けた。


「あ……えっと、くつのままテーブルの上に乗るのは、その、私もいけないかな、と思ったんだけど……」


 耳がしょげ、尻尾しつぽが力なく垂れる。

 そんなことをしていたのか、と眩暈めまいを覚える。


「でもでも、ほかにおどさんがいないかはきちんとかくにんしたよ? お仕事のじやをしちゃいけないってのはわかってるもの」


 それくらいわきまえている、とばかりに胸を張ってミューリは主張する。

 ニョッヒラではおどりの輪に加わればその明るさとてんしんらんまんさで、ミューリが一番かがやいていた。

 しかし、そうするとお客はすれきった本職のおどにおひねりを投げてちょっとほほんでもらうより、肉やらパンやらをあたえたらおいしそうにかぶりつくじやなミューリばかり相手にすることになる。それは立派ななわりのしんがいということで、何度かおどめることになった。ミューリはそのことを言っているのだろう。ミューリの頭から手をはなすと、にぎこぶしを作ってく。


「そういうことではありません」

「……?」


 ミューリは頭をわざとらしく手でさえ、不服気だ。

 昔はなおに話を聞いてくれたのに、とろう感にさいなまれながら、木窓を開けて外を見た。


「ここはニョッヒラではありません。むすめすいかんの前でおどる、というのはとても危ないことです」


 丸焼きのぶたはすっかり骨だけになり、酒が進んでいる客たちはうで相撲ずもうに興じていた。

 この関所につどうのは毛皮や木材などを売買する商人や荷運びの男たち、それに船をあやつる船頭ばかりなので、ようへいとまではいかないが少々あらっぽい。


「危ない?」


 しかし、ミューリはげんそうに聞き返してくる。


らしいおどりに心うばわれたら、花をたずさえてかたひざをつく男ばかりではない、ということです」


 それでなくてもミューリは無防備に見える。


「ああ、そういうこと。だいじようだよ」


 ミューリはそう言うと、ベッドの上に放り出した食べ物に手を伸ばす。ていねいに巻かれた大きな葉っぱの包みから出てきたのは、あぶらしたたる実においしそうなぶたにくだった。


「ヘレンさんから色々教えてもらったもの。それに、女の価値はった男の数で決まるんだって、母様も言ってたよ?」


 指でつまんでぶたにくを食べると、指についたあぶらめながらそんなことを言う。

 ニョッヒラには貴族の若いていがお供としてやってくることもあり、かれらが山でのりにきれば、他にすることはほとんどない。たわむれか本気か、ミューリに声をかける者は多かった。

 男に声をかけられるのは当たり前。だからそんなことではよめのもらいが、といさめたところで聞く耳を持たないのだ。


「まったく……」


 それでなくても、このくらいのとしごろむすめにはこわいことなんてなにもないのかもしれない。

 自分が十も二十も余計にとしを取った感覚にさいなまれつつ、言った。


「全員が全員、聞き分けの良い人たちばかりではありません」


 二切れ目の肉を食べながら、ミューリはいよいよ説教じみてきたぞ、とばかりにげんなりしている。


「なにかあってからではおそいのです。いいですか、ミューリ。あなたはまだ若く、世間のことを知りません。つつしぶかくしなさいというのは、意地悪ではなく、それがあなたを守る方法になるからなのです」


 とうとうと語る前で、ミューリはベッドの上に肉の包みを置き、パンをいて肉をはさんでいた。

 ちゆうごしになって作業をしているので、こちらに向けた小さなしりの前で、灰色のふさふさの尻尾しつぽれている。だいじようだいじよう、とあしらうかのように。


「聞いているのですか?」

「聞いてますよー。はい、これ、兄様の分」


 ミューリががおで差し出してきたのは、やっぱりミューリの太ももくらいもある大きなパンだった。そこにたっぷりの肉がはさまり、ついでにチーズもぎっしりまっていた。


「……こんなに食べられませんよ」

「えー? そんなだから、兄様はひょろひょろなんだよ」

「ひ、ひょろ……」


 狩人かりゆうどようへいとまではいかなくても、それなりに筋肉があるつもりだったのでじやつかん傷ついた。

 それに、ミューリが改めて手に取ったパンは、自分にわたされた物よりもさらに大きくて、見るだけで腹がいっぱいになる。


「いただきまーす」


 ミューリは口を大きく開けて、ざくり、とパンにかぶりつく。細い体のどこにそんなに入るのか、喜色満面、耳と尻尾しつぽをパタパタさせていた。


「まったく……」


 今日何度目かわからないため息をつく。食べるのに夢中のミューリを見やり、自分もパンをかじった。この世には楽しいことしかなく、美しい景色しかなく、笑いと幸福に満ちていると確信しているかのような様子に、ある種のうらやましさがないわけでもない。

 それに、ミューリがそのてんしんらんまんさを失って、人を疑いの目で見るようになる、ということを望んでいるわけではない。このまままっすぐ、なにものにも傷つけられないままに育ってくれたら言うことはない。

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