第二幕 ⑤

 この時期はどこもぜにが不足しているらしく、てんで大きな額のへいわたすと、こついやそうな顔をされた。客引きのむすめりようがえを持ちかけてきたのは、づかかせぎではなく、本当に困っていたのかもしれない。


「銀貨で買い物すればいいんだよ。山ほど買えば、おりなんてらないじゃない?」

「ミューリ!」


 しかると、耳の穴に指をんでそっぽを向いていた。


「大体、父様からせんべつもらってるはずなのに、なんでそんなけちけちするの? 大食が罪なら、りんしよくは?」

「うっ」


 だんこちらの説教を聞き流しているようで、きちんと覚えているのだから始末に悪い。ふん、大食、色欲、物欲、しつごうまんたい、の大罪には入らないが、りんしよくもかなり罪深い。


「……これはりんしよくではありません。節制です」

ちがいは?」


 本当にわからなくて聞いているのではなく、こちらが困るとわかっていて聞いている。耳と尻尾しつぽを出していたら、うれしそうにわさわささせていただろう。

 聖職者を目指す者としては情けないことだが、おくを使った。


「だめなものはだめです」


 ミューリはぶーっとくちびるを鳴らしてそっぽを向いたが、潮時だと思ったのか、それ以上食い下がりはしなかった。

 その機を見計らって、言った。


「それと、やっぱりその格好はどうにかしないとだめですね」

「え?」


 静かになった代わりに、明日はなにをねだろうかと物色するようにてんながめていたミューリが、ちょっとおどろいていた。


「なんで? 可愛かわいくない?」


 じやつかん、傷ついているようにも見えた。


「……可愛かわいいか可愛かわいくないか、ではありません」

「もう、なんだ。やっぱり可愛かわいいんでしょ? よかったあ」


 えへへ、とうれしそうにしている様子に、あやうく心が折れるところだった。


「似合ってはいるかもしれませんが」


 そう言い直して、なんとか言葉を続けた。


「やはりそういう格好は目立ちます。旅を続けるなら、別の服を用意しますからえてください」


 ああ言えばこう言うミューリだが、こちらがしんけんに言えば、きちんと聞く耳は持つ。

 自分の格好を少し見直してから、小首をかしげていた。


「兄様がそんなに言うならえるけど……なんで? みなめてくれるよ?」

「だからです」


 さっきの客引きのむすめも誤解をしていたように、てんでミューリが買い食いするたびに、金をはらうこちらを見る店主の目が痛かった。若く、むしろ幼いと言ってもいいくらいのかざった少女を連れて歩き、食べ物をあたえているのだ。それが派手な身なりの貴族の若者ならともかく、ロレンスに旅用にあつらえてもらったのは、旅の聖職者にふさわしい格好だった。外聞がいいわけがない。

 そのことをんでふくめるように言うと、ミューリはつまらなそうな顔をしつつ、なつとくしてくれたらしい。


「私はどう見られても構わないけど……兄様が困るのはいやかな」


 ミューリはため息をついてから、言った。


「で、どんな格好ならいいの?」

「旅の女性の格好は、おおむね二通りです。修道女の格好か、男装ですね」

「修道女って、母様がたまにしてる格好だよね。ひらひらすそが長くて、布地がたっぷりの」

「昔の旅でも、ホロさんは修道女の格好がよく似合っていましたよ」

「なら、私も似合うってことか」


 何百年も生きるオオカミしんのホロは、昔からずっと変わらない少女の姿のまま。そしてミューリは、成長して母親とうりふたつになった。


「どうでしょう。ホロさんはあなたとちがって、落ち着きとげんがありますから」

「なにそれ!」


 ちがうのはまさしくそういうところです、とは胸中だけで言っておいた。


「動きにくいのはいや。それに……母様と張り合いたくない」


 女の子ならではの、や意地があるらしい。


「じゃあ、デバウ商会の人にたのんで、ぞうの格好を用意してもらいましょう」

「兄様より格好いい美男子になったらどうしよう?」


 しようしか出ないが、ミューリは母親ゆずりの整った顔立ちだ。きっと男装も似合うだろう。

 それに、男性が女性にふんするよりも、逆のほうがあつとうてきにばれにくい。


「さ、行きますよ」

「はあい」


 東から西に向かって流れる川の、南側に位置するおかの上にアティフの町はある。おかの最も高いところに広場が作られ、その周りに教会や市庁舎などの、町の重要な建物が並んでいるという典型的な南の地方の作りだ。貿易がさかんなので、町の立役者にも南の人間が多いのだろう。

 てんで聞いたところによれば、デバウ商会の商館も、その規模にふさわしく広場からびるどおり沿いにあるとのことだった。慣れている者たちなら人の少ない裏道を通るのだろうが、初めて来た町なので大きな道に沿っていったん広場に出ることにした。それに、りようがえ商もあるだろう。


「わあ……」


 と、ミューリが顔を上げてほうけたようにつぶやいた先には、立派な教会が建っていた。

 港でも石造りのようさいれていたが、そもそも総石造りの建物自体がめずらしいのだろう。ニョッヒラでは建物は大きくても三階建てで、すべてが木造建築だ。教会は五階建ては優にあり、しようろうはさらに上にびている。まさしくあつとうされる大きさだった。


「ねえ兄様……これ、ひとつずつ石を積み上げて作るの?」

「そうです。大変な手間がかかっていますが、苦労が多ければ多いほど、しんこうの深さを示すことにもなります。重い石を切り出してきて教会の建物に使ってもらうことは、大きなめいでもありますからね。近寄って探してみれば、石には寄付した人たちの名前がられているのが見つかりますよ」

「へ~」

「少し見学していますか? 私はだれかが使ってしまったぜにじゆうしてくるので」


 教会を見上げていたミューリは、ゆっくりと視線を下ろして、満面のみ。


「たっぷりりようがえしておいてね?」


 悪びれるりもなかった。


「なんてね。兄様が迷子になったら困るから、いつしよに行ってあげる」

「……」


 となりに立つミューリを見ると、心底楽しそうだ。自由ほんぽうで、その様子にはもはやため息をとおして、みさえこぼれてしまう。笑うしかない、とも言えるのだが。

 それから、広場の中心にある聖母像の周りでむしろを広げているりようがえ商たちのもとに向かった。旅人だけでなく、買い物のためなのか、町の人々もひっきりなしにおとずれて、りようがえ商は難しい顔でてんびんに地金を乗せたりへいを乗せたりしている。その中で、ちょうど客の列がれていたりようがえ商を見つけ、声をかけた。


りようがえをお願いしたいのですが」

「ああ、なにをいくらだね」


 あいさつもなにもなく、単刀直入だ。あわててさいを取り出して、白い銀貨を一枚出した。


「こちらをディップ銅貨に」

「太陽銀貨か。それだと、ディップ銅貨が三十枚だ」

「えっ!」


 思わずおどろきの声を上げてしまった。ディップ銅貨はこの近辺で流通するぺらぺらの銅貨で、一枚で買えるのはせいぜいパンが一欠片かけらか、むぎしゆが一ぱい程度のもの。一方、太陽のがらまれた銀貨はえんかく地貿易にも通用するような、この地方では最強の銀貨であり、一枚で四人家族の一週間分の食費を優にまかなえ、安息日にはちょっとしたごちそうも買えるくらいの価値がある。

 事前に湯屋の主人であるロレンスから主なへいこうかん比率を聞いていたが、少なくとも四十枚、運が良ければ五十枚にはなると聞かされていた。

 旅人だからと足元を見られているのだろうかと思っていたら、りようがえ商はなにかを言うよりも早く、手元の羊皮紙をばっと広げて見せ、内容をあんしようした。

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