この時期はどこも小銭が不足しているらしく、露店で大きな額の貨幣を渡すと、露骨に嫌そうな顔をされた。客引きの娘が両替を持ちかけてきたのは、小遣い稼ぎではなく、本当に困っていたのかもしれない。
「銀貨で買い物すればいいんだよ。山ほど買えば、お釣りなんて要らないじゃない?」
「ミューリ!」
叱ると、耳の穴に指を突っ込んでそっぽを向いていた。
「大体、父様から餞別もらってるはずなのに、なんでそんなけちけちするの? 大食が罪なら、吝嗇は?」
「うっ」
普段こちらの説教を聞き流しているようで、きちんと覚えているのだから始末に悪い。憤怒、大食、色欲、物欲、嫉妬、傲慢、怠惰、の大罪には入らないが、吝嗇もかなり罪深い。
「……これは吝嗇ではありません。節制です」
「違いは?」
本当にわからなくて聞いているのではなく、こちらが困るとわかっていて聞いている。耳と尻尾を出していたら、嬉しそうにわさわささせていただろう。
聖職者を目指す者としては情けないことだが、奥の手を使った。
「だめなものはだめです」
ミューリはぶーっと唇を鳴らしてそっぽを向いたが、潮時だと思ったのか、それ以上食い下がりはしなかった。
その機を見計らって、言った。
「それと、やっぱりその格好はどうにかしないとだめですね」
「え?」
静かになった代わりに、明日はなにをねだろうかと物色するように露店を眺めていたミューリが、ちょっと驚いていた。
「なんで? 可愛くない?」
若干、傷ついているようにも見えた。
「……可愛いか可愛くないか、ではありません」
「もう、なんだ。やっぱり可愛いんでしょ? よかったあ」
えへへ、と嬉しそうにしている様子に、危うく心が折れるところだった。
「似合ってはいるかもしれませんが」
そう言い直して、なんとか言葉を続けた。
「やはりそういう格好は目立ちます。旅を続けるなら、別の服を用意しますから着替えてください」
ああ言えばこう言うミューリだが、こちらが真剣に言えば、きちんと聞く耳は持つ。
自分の格好を少し見直してから、小首を傾げていた。
「兄様がそんなに言うなら着替えるけど……なんで? 皆褒めてくれるよ?」
「だからです」
さっきの客引きの娘も誤解をしていたように、露店でミューリが買い食いするたびに、金を支払うこちらを見る店主の目が痛かった。若く、むしろ幼いと言ってもいいくらいの着飾った少女を連れて歩き、食べ物を買い与えているのだ。それが派手な身なりの貴族の若者ならともかく、ロレンスに旅用に誂えてもらったのは、旅の聖職者にふさわしい格好だった。外聞がいいわけがない。
そのことを嚙んで含めるように言うと、ミューリはつまらなそうな顔をしつつ、納得してくれたらしい。
「私はどう見られても構わないけど……兄様が困るのは嫌かな」
ミューリはため息をついてから、言った。
「で、どんな格好ならいいの?」
「旅の女性の格好は、概ね二通りです。修道女の格好か、男装ですね」
「修道女って、母様がたまにしてる格好だよね。ひらひら裾が長くて、布地がたっぷりの」
「昔の旅でも、ホロさんは修道女の格好がよく似合っていましたよ」
「なら、私も似合うってことか」
何百年も生きる狼の化身のホロは、昔からずっと変わらない少女の姿のまま。そしてミューリは、成長して母親と瓜二つになった。
「どうでしょう。ホロさんはあなたと違って、落ち着きと威厳がありますから」
「なにそれ!」
違うのはまさしくそういうところです、とは胸中だけで言っておいた。
「動きにくいのは嫌。それに……母様と張り合いたくない」
女の子ならではの、見栄や意地があるらしい。
「じゃあ、デバウ商会の人に頼んで、小僧の格好を用意してもらいましょう」
「兄様より格好いい美男子になったらどうしよう?」
苦笑しか出ないが、ミューリは母親譲りの整った顔立ちだ。きっと男装も似合うだろう。
それに、男性が女性に扮するよりも、逆のほうが圧倒的にばれにくい。
「さ、行きますよ」
「はあい」
東から西に向かって流れる川の、南側に位置する丘の上にアティフの町はある。丘の最も高いところに広場が作られ、その周りに教会や市庁舎などの、町の重要な建物が並んでいるという典型的な南の地方の作りだ。貿易が盛んなので、町の立役者にも南の人間が多いのだろう。
露店で聞いたところによれば、デバウ商会の商館も、その規模にふさわしく広場から伸びる目抜き通り沿いにあるとのことだった。慣れている者たちなら人の少ない裏道を通るのだろうが、初めて来た町なので大きな道に沿っていったん広場に出ることにした。それに、両替商もあるだろう。
「わあ……」
と、ミューリが顔を上げて呆けたように呟いた先には、立派な教会が建っていた。
港でも石造りの要塞に見惚れていたが、そもそも総石造りの建物自体が珍しいのだろう。ニョッヒラでは建物は大きくても三階建てで、すべてが木造建築だ。教会は五階建ては優にあり、鐘楼はさらに上に伸びている。まさしく圧倒される大きさだった。
「ねえ兄様……これ、ひとつずつ石を積み上げて作るの?」
「そうです。大変な手間がかかっていますが、苦労が多ければ多いほど、信仰の深さを示すことにもなります。重い石を切り出してきて教会の建物に使ってもらうことは、大きな名誉でもありますからね。近寄って探してみれば、石には寄付した人たちの名前が彫られているのが見つかりますよ」
「へ~」
「少し見学していますか? 私は誰かが使ってしまった小銭を補充してくるので」
教会を見上げていたミューリは、ゆっくりと視線を下ろして、満面の笑み。
「たっぷり両替しておいてね?」
悪びれる素振りもなかった。
「なんてね。兄様が迷子になったら困るから、一緒に行ってあげる」
「……」
隣に立つミューリを見ると、心底楽しそうだ。自由奔放で、その様子にはもはやため息を通り越して、笑みさえこぼれてしまう。笑うしかない、とも言えるのだが。
それから、広場の中心にある聖母像の周りで筵を広げている両替商たちの許に向かった。旅人だけでなく、買い物のためなのか、町の人々もひっきりなしに訪れて、両替商は難しい顔で天秤に地金を乗せたり貨幣を乗せたりしている。その中で、ちょうど客の列が途切れていた両替商を見つけ、声をかけた。
「両替をお願いしたいのですが」
「ああ、なにをいくらだね」
挨拶もなにもなく、単刀直入だ。慌てて財布を取り出して、白い銀貨を一枚出した。
「こちらをディップ銅貨に」
「太陽銀貨か。それだと、ディップ銅貨が三十枚だ」
「えっ!」
思わず驚きの声を上げてしまった。ディップ銅貨はこの近辺で流通するぺらぺらの銅貨で、一枚で買えるのはせいぜいパンが一欠片か、麦酒が一杯程度のもの。一方、太陽の図柄が彫り込まれた銀貨は遠隔地貿易にも通用するような、この地方では最強の銀貨であり、一枚で四人家族の一週間分の食費を優に賄え、安息日にはちょっとしたごちそうも買えるくらいの価値がある。
事前に湯屋の主人であるロレンスから主な貨幣の交換比率を聞いていたが、少なくとも四十枚、運が良ければ五十枚にはなると聞かされていた。
旅人だからと足元を見られているのだろうかと思っていたら、両替商はなにかを言うよりも早く、手元の羊皮紙をばっと広げて見せ、内容を暗誦した。