「市政参事会よりお達し。昨今の小銭不足に鑑み、参事会は太陽銀貨とディップ銅貨の交換比率を三十枚と規定する」
旅人の不平には慣れているようだった。
「景気が良いのは助かるんだがね、おかげで貨幣の供給が間に合ってないんだよ。この町に限ったことじゃないが」
両替商は羊皮紙をくるくると巻いて、天秤を乗せた台の下にしまう。
「ほれ、この町にはでかい教会があるだろ。みーんな小銭がそこの寄付箱に吸い込まれちまうんだ」
振り向きもせずに親指で教会を示していた。
「税もたんまりとってる上に、貯め込んだ小銭をどうしてるんだかな……っと、兄さんは旅の聖職者か」
両替商は言葉ほど悪びれてもおらず、にやりと笑っていた。
「で、どうするね」
「あー……わかりました。お願いします」
「毎度」
銀貨を渡すと、表、裏と調べ、銀地金と天秤で重さを比べてから、ようやく銅貨の束を渡してくれた。きっちり三十枚。客引きの娘は本当に困っていたのだろうし、露店の主人は釣銭を渡すのを嫌がるはずだった。
そして、ミューリの買い食いは随分高くついた。
「兄さんからも言ってくれよ。せめて寄付箱の小銭を貯め込むなって。今の教会は、金、金、金だ。ウィンフィール王国には頑張ってもらいたいよ」
苦笑いしかできず、銅貨を財布にしまい、両替商をあとにした。
ただ、その口から出てきた教会批判や、なによりもウィンフィール王国の名前に鼓動が速くなった。町の人々の不満をじかに聞いて、自分の使命を再確認する。
人々の生活を圧迫して、なにが魂の救済者か。
「兄様、次は?」
その問いに、力強く答えた。
「デバウ商会です」
ハイランドと早く合流しなければ。
使命感に突き動かされ、やや戸惑うミューリの手を引きながら、目抜き通りを歩いて行ったのだった。
広場から伸びている大きな通りを南に下ると、似たような建物がずらりと並ぶ区画が現れた。一階が荷揚げ場で、二階から三階にかけての壁には、旗が堂々と掲げられている。この町の経済を牛耳る大商会の建物だった。その中に、ほどなく見慣れたデバウ商会の旗と看板が見つかった。
「あれ……この模様、どこかで見たことある」
ミューリが小首を傾げていた。
「さっき両替した銀貨です」
「あ」
デバウ商会は商会でありながら、独自にデバウ銀貨と呼ばれる高品位の貨幣を発行している。その模様が太陽の図柄なので、太陽銀貨と呼ばれることが多い。
「あなたのご両親の尽力があったために、発行することのできた貨幣です」
行商人と狼の化身の冒険の、最後を飾る大騒ぎだったらしい。やはりあの人たちはすごい、と思うのだが、当の娘のミューリはいまいちぴんときていないようだった。
デバウ商会は通りに面した間口の広い建物で、一階部分は荷揚げ場になっている。自分の体よりも大きな荷物を背負った商人や、山ほどの積み荷を乗せた荷馬車がひっきりなしに出入りしていた。
荷揚げ場の隅でうずくまっている物乞い風の者は、施しをもらう代わりにこの騒ぎに乗じて盗みを働く奴がいないか見張っているのだろう。町には盗人以外にも、野良猫や野良犬や、放し飼いのせいで誰のものかわからなくなった野良豚や野良鶏が獲物を求めてうろついている。自分も放浪学生の頃に似たようなことをやって糊口をしのいでいたので、少し懐かしくなる。
「ほらほら、そんなところに突っ立ってちゃ邪魔だよ! それから寄進の頼みなら他所を当たってくんな!」
もろ肌から湯気を立てている荷揚げ夫が、犬猫を追い払うかのように追い立ててくる。
ミューリは慌ててこちらの後ろに隠れていた。
「いえ、商館の御主人に取り次いでいただきたく」
「ああ?」
「トート・コルと言います。レノスに行く予定がこちらに変わった、と伝えていただければ」
「ふん?」
胡散臭そうにこちらを眺めていたが、ごつい肩をすくめて奥のほうに消えていった。
そして、ほどなく戻ってきた。
「奥に通せだとさ。なんだよ、あのお偉い様の連れなのか」
やはりハイランドはすでにここに来ているらしい。
荷揚げ夫に礼を言い、荷揚げ場の奥に進む。
ありとあらゆる商品が山積みになっていて、一段高いところには毛布を敷いて眠れそうなほどに大きな帳場台があった。今はその広い机も貨幣と羊皮紙の山でいっぱいになり、埋もれそうになりながら書き物をしている者がいた。そんな彼の背後の壁には、大きな画布がかけられている。そこには等身大よりもさらに大きい天使が描かれていて、静かな眼差しで商人たちの働きぶりを見下ろしていた。
堂々たる絵なのでミューリもそちらに視線を奪われていたのだが、感動したり圧倒されたりしているのではなく、不思議そうに首を傾げていた。
「天使もお金を数えるんだね。でも、剣はなんで? 仕事をしろって脅しかな」
天使は右手に剣、左手に天秤を持っている。ミューリの解釈に、笑ってしまう。
「剣は正義、天秤は公平です。ただ……そういう意味に思えなくもないですね」
誰も彼もが、なにかに急き立てられるかのように仕事をしているから尚更だ。まさしくごうごうと燃え盛る暖炉の中のようで、忙しさでは湯屋の仕事で一家言あるつもりだったが、ニョッヒラの湯屋の仕事などまだまだ甘かった。世界の動く速度とは、こういうものなのだ。
山奥の十年の生活でこびりついた湯垢が、少しずつ剝がれていくような気がした。
「あ、コル様ですか」
どこまで行っても人で溢れている商会の奥に向かっていたら、身なりの良い商人に声をかけられた。なにで染めてあるのか、緑色の布地の服がいかにも貴族然としていて、大きな取引にしか携わらない類の商人なのだろうと示している。整えられた長い口髭も、先端が牛の角のように鋭く尖っていた。毎朝卵白で固めているのだろう。
「連絡を受けてこちらに参りました。トート・コルです」
「本店の大番頭からお世話を申しつけられております。当商館を預かるステファンと申します」
握手を交わすと、自分より二回りは上であろうステファンは、当然のことながらミューリに視線を向ける。
「こちらのお嬢様は?」
「こんにちは。訳があって兄様と旅をしています。ミューリと言います」
はきはきと、笑顔でさも当然のことのように自己紹介をする。あまりにも自然なふるまいだったので、ステファンはそういうこともあるのだろう、と勝手に納得しているようだった。
「お部屋はご用意してあります。お二人はご一緒でも?」
「大丈夫です。ご迷惑をおかけしますが……」
「滅相もございません。コル様は丁重にもてなすようにとのことですから」
立派な身なりのステファンが最上級の礼を示すので、隣のミューリは目を丸くして驚いていた。とはいえ、デバウ商会はロレンスとホロに大恩があるのであって、自分はそのおこぼれにあずかっているにすぎない。
「ハイランド様はすでに?」
「はい。先々日に、船で参られました。先ほど商人組合の会議から戻られたばかりなので──」
と、ステファンが言いかけたその時だった。