第二幕 ⑨

 そんなやり取りの合間に、ぞうつかまえて用件を伝えておく。本当ならば順番を待つべきなのかもしれないが、どう見てもろうは先着順に並んでいない。異国の文化丸出しに、頭に布をぐるぐる巻きにして首から金のそうしよく品をげた浅黒く日焼けした一団は、後からやってきて、さっさとしつ室に呼ばれていた。

 金か、けんか、重要度か。

 ハイランドのこうと、ロレンスとホロのを利用してもばちは当たるまい。

 ぞうは他の人のすきってしつ室に入ると、ほどなくもどってきた。


みなさまがこちらにいらっしゃったのは急なことでしたので、これからもろもろの手配をするとのことでした」


 責められはしない。このさわぎだ。


「それでは、我々のほうで人や道具を集めに回ってきます」


 そう言ってから、付け加える。


はらいはこちらにつけておいても?」

「コル様たちのあらゆるおはらいは、当商会がかんじようを持つようにとのことです」

「感謝いたします」


 そう答え、ミューリに目配せして、ごった返す商会から外に出た。

 外も似たようなさわぎだが、てんじようがない分、いくらか空気がたくさんある気がした。


「すごいね、兄様、聞いた?」


 外に出ると、ミューリが真っ先にそんなことを言った。


かんじようは持つって。なら、兄様の節制も関係ないよね」

「買い食いはしません」

「え~?」

かんじようは持つというのは、あちらからの敬意の現れです。こちらはその敬意にふさわしいふるまいをすべきです。そもそも、ずらずらとてんの食べ物のはらいをせいきゆうしたら、相手にどう思われると思いますか?」

「え……おなかが空いてたのかな……とか?」

「……」


 頭痛に似たものをこらえてから、とにかく歩き出した。


「節制というのは、単に量を少なくすればいい、ということではありません。食べたい物、飲みたい物、あるいはしい物などを、欲望のおもむくままに手に入れようとせず、自らを律しようという精神のことです」


 そう言ってから、りんしよくと節制のちがいにもふと気がついた。


「そして、りんしよくとは自らを律するのとはちがい、なにかを、この場合はへいを得るためにきゆうきゆうとすることです。わかりましたか?」


 説教は人々のけいもうのためでありながら、自らのためでもある、と聞いたことがあるが、なるほどそのとおりだった。


「なんとなく、わかったけど……」


 となりについてきているミューリは、なお不満げだ。


「それじゃあ、節制してもなにも得られないってことだよね? それってなんのためにするの?」

「えっ」


 それはいつものこちらが困るとわかっていてする質問とはちがっていた。ミューリがじゆんすいに疑問に思っていることくらいすぐにわかる。それに、ミューリのなおすぎる質問は、あまりにもしんえんであった。

 なぜ? なんのために?

 それらしい答えがすぐに口から出そうになって、どれもちがう気がした。

 かんがみながら歩いていたら、すんでのところで荷馬車にかれそうになっていた。こちらのそでつかんで、全体重をかけて引っ張り寄せてくれたのは、ほかならぬミューリだった。


「もう、兄様の鹿!」

「すみません」


 しかし、あやまったのは荷馬車のことについてではない。ミューリのぼくな問いに答えられないことについてだった。

 節制が大事なのは、もちろん聖典にて節制がしようれいされ、徳目のひとつに数えられているからだが、聖典に書かれていなくとも善いとされることはたくさんある。ましてや、なぜそれが正しいのかなどと考え出すと、なんの理由もない気がした。

 あるとすれば、ただひとつ。


「なんとなく、それが正しいことのように思えるのです」


 はあ? とばかりにミューリがこちらをげんな顔で見ていた。


「節制をいやがる人はいるでしょうが、その人でさえ、節制そのものの良さは理解できるのではないでしょうか」

「……」


 げんとおして、なにか心配そうな顔をしているミューリをよそに、もう一度自問する。

 それが自然、と思うことをなおに追い求めるのはちがっているのだろうか。

 善とはすなわち、自然なことである、とかつした古代の思想家もいた気がする。


「しかし、そうなると禁欲のちかいはどうなるのでしょう……」


 けつこんは祝福されるべきことなのに、聖職者は自然なその欲をころすことをしようれいされる。

 無欲は自然?

 禁欲が自然だなどと、一体だれが同意するのか。


「ううむ……」


 当たり前に受け入れていたことに疑問を持つと、そこにはとてつもないものが横たわっていると気がつくことがある。道にくして考え事をしていたら、だれかにそでを引かれた。

 見れば、泣きそうな顔をしているミューリだった。


「兄様……もうわがまま言わないから、許してよ……」

「え?」


 聞き返すと、ひっしとしがみついてくる。しばらくなにを言われているかわからなかったが、どうやら立ち止まったまま動かなくなったのを、買い食いしたがっていたことへの当てつけだと思ったらしい。子供のようにしがみついてくるミューリを見下ろして、少しだけ思う。

 次からはこの手を使おうと。


「いや、ちょっと考えすぎました」


 そう言ってミューリの頭に手を置き、安心させるようにぐしぐしでた。けれど、不意に向けられた問いは、止まり木を見つけられない鳥みたいに頭の中をめぐったまま。

 もやもやとした不快感に似たもどかしさがありつつも、この鳥がどこに向かうのか、それが少し楽しみでもあった。



 町は広場を中心に区画に分けられているので、迷ったと思ったらこの町のどこにいても見えるしようろうを目指して広場に向かえばよい。実に合理的だと感心する。

 食べ物をねだらなくなったミューリを連れて町を歩き、町の東側に広がる職人街に向かった。港がある町にふさわしく、木工関係のこうぼうがとても多い。また、木をけずったり切ったり加工するこうぼうのきさきでは、真っ黒いどろどろとした木のヤニを木材にったりもしていた。それをめるための木だるかくれていたミューリは、においを思い出していやな顔をするかと思いきや、熱心に作業を見つめていた。


「ああやって使うんだね」

「防水とぼうのためにるそうです。えんかく地貿易船に乗る際や、戦場に向かう際などは、肉をあれにんでくさらなくすることもあるようです」

「ふーん。くんせいみたいなかおりがついて、おいしいかもね」


 なるほど、物は考えようだと思った。

 それからさらにを進めると、毛皮をあつかう区画にたどり着く。開け放たれた風通しの良い一階部分のこうぼうで、皮をなめす各工程が行われていたり、皮ひもが作られていたりする。

 暖かそうな白てんの毛皮が並べられていて、どこの貴族が買うのだろうと思ったりもした。

 そうこうしていると、店の看板のつもりなのだろう、通りに面したかべにずらりときよだいな牛皮がぶらげられたてんにたどり着いた。


「地図に使ってたやつかな」


 ミューリが皮のにおいをいでいると、こうぼうの中で剃刀かみそりをいじっていた男がこちらに気がつく。


「なにか用かい」


 ミューリがこそっと、毛皮が取れそうな人だね、と言ったので、笑うのをこらえなければならなかった。それくらい毛深い職人で、縦にも横にも大きく、丸っきりくまだった。


「若い聖職者さんに、デバウ商会のぞうとはめずらしい取り合わせだ。なにか書き物用の道具をお探しかな」


 悪戯いたずらばかりのミューリの頭をそっといてから、せきばらいをはさんで言った。


「下書き用の紙と、インク、羊皮紙と、かつせきもください」


 かつせきはでこぼこの羊皮紙の表面を平らにするために、けずって粉をむのに使う。


「よっしゃ、任せな! と言いたいところだがね、つい昨日山ほどの注文が来て、今も羊皮紙を増やしているところさ」


 くまの職人はごついかたをすくめ、作業台の上の羊皮紙に手をばしてひらひらさせた。

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