第二幕 ⑩

「ここから五枚は羊皮紙を取らないとならない。並みの職人なら三枚が限度ってところだがね」


 さりげなくうでまんをしてくるが、五枚はすごい。羊皮紙などはそのまま動物の皮なので、ぼろ布などをいてつくる紙とはちがって、うでだいうすく切り分けることができる。


「他のこうぼうも同じように注文がいっぱいでしょうか」


 そうたずねると、くまの職人はきょとんとしてから、がははと笑った。


ずいぶん大きな町から来たようだな。羊皮紙や文具をあつかうのはうちのこうぼうとその系列だけだ。公証人がわんさかいて、ひっきりなしに羊皮紙の注文が入るような町じゃない」

「そうですか……」


 となると、どうしたものか。

 うなっていると、くまの職人はふと、なにかに気がついたようだった。


「あれ、そういや昨日の注文も、納品先はデバウ商会だったな」

「え?」

「ああ、そうだ。思い出した。かなり身なりの良い一行が来て、紙をあるだけくれってな具合だったな……羊皮紙を切れるのがうれしすぎて忘れていた」


 身なりの良い一行が、あるだけの紙をデバウ商会に納品してくれとたのむのなら、心当たりはひとつしかない。

 そう思っていると、こうぼうおくからくまの職人とは対照的な、せたしらの老人が出てきた。


「おや、お客さんかね」

「おお、親爺おやじい、昨日の大口の客はあれ、どこのだれだっけね」

「ああ? お前は相変わらず皮をうすく切るしか能のないやつだな。そんなことじゃ商売はできんぞ。あれはウィンフィール王国の貴族様だ」


 やはり、ハイランドだったらしい。


「へえ? 島国の貴族様がこの町になんの御用なんだ」

「まったく……たまには組合の会合に顔を出せと言っとるだろう。十分の一税をめぐって王国と教会は対立しとるだろう? あの貴族様は、税はじんだという王国の代弁者だ。アティフの司教座を味方にするべく、説得しに来たらしい。そして、その前にまず町の者たちを味方につけようという考えらしくてな、各組合と会合を持っておる。今日も朝からそれで出かけておったんだ」

「ああ、へえ……」


 くまの職人は明らかに興味がなさそうで、道具の剃刀かみそりをちらちら見ていた。二人の関係を見ていると、なんとなくしらの老人のほうに共感してしまう。


「へえ、じゃないわ、鹿者。あの貴族様が説得に成功したら、教会に税を納めなくてよくなるんだぞ」

「おお、そりゃすごい。大司教のばんさんはいつもごうだと言うからな。連中のぜいたくのためについに金をはらわなくてよくなるのか」


 乱暴な言い方ではあったが、くまの職人の言葉は町の人間の気持ちそのままだろう。


「けど、それとうちの注文となんの関係が?」


 剃刀かみそりでるくまの職人の頭を、しらの老人がえんりよなくなぐる。ごんっと良い音がした。

 そして、しらの老人はこちらに向き直ると、まぶしそうに目を細めた。


「デバウ商会のぞうさんを連れておるということは、あなた様はあの貴族様のお手伝いに来なさったんだろう?」

「あ、はい」

「いやあ、王国のことは以前から知っておったがね、今日の会合でくわしく話を聞いておったまげたのなんの。特にあのハイランド様とやらはできたじんだ。しかも、想像もしなかったような発想をなさる」


 老人は話しながらこちらにあくしゆを求めてきて、ついでにミューリの手もにぎって深々と頭を下げていた。


「教会と王国の言い分のどちらが正しいかなど、わしら下々の者が関われるとはとうてい思っていなかった。それが、まさか聖典をぞくほんやくするから、神の教えを直接見てくれなんて、いやあ、こんなことがあるもんかね」


 しやべりながら老人は声をまらせかけた。


「失礼……。なにせ、わしらは司祭や教会のぜいたくほうらつあきれてはおっても、逆らえる立場ではないのでなあ。ここは港町だ。海で事故にうかどうかは神のみぞ知る。聖務停止などわたされたら、町の息の根が止まってしまう。冷たい風がれる、冬の真っ暗な海に船を出すのはなみたいていの勇気では足りんものだ。しかも事故は絶えず、この町に住んでおれば、必ず身内に海と関わる仕事の者がいる」


 レノスで司教座の説得に失敗した後、アティフにえたのにはそれなりの理由があったようだ。船には聖人の名をつけ、船首には聖母や天使の像をみ、道中の加護とする。それに、港でみずげされる山ほどのたらやニシンを見れば、漁師の数も相当なものだろうとわかる。そして、ここは南の国のような、暖かでおだやかな海沿いの町ではない。町の外に広がるのは、落ちれば命はない、ごつかんの灰色の海だ。


わしらがその直接の手伝いをできるとは、まことに光栄なこと。わしはこのとおり老いたる身だが、あのくまうでだけは確かなのでな」


 やはりだれもがかれを見てくまを連想するらしい。ミューリがとなりでうつむき、笑うのをこらえていた。


「知り合いの筆写職人にも声をかけておるから、複写するのもお任せあれ。ほんやくが進むそばからじゃんじゃん増やして、人々に教会のおかしさを知らしめましょうぞ!」


 この老人も町の人間も、神の御加護を疑っているわけではない。単に、神の地上代理人である教会の内部のあくへいや、そのいに不満を持っているにすぎない。

 やはりウィンフィール王国の行動は、ばんこうではなく、必要な行動なのだと再かくにんする。

 自分の信じる世界は、この先にある。

 正しき神の教えは、ハイランドの目指す先にある。


「共にがんばりましょう」


 老人の手をにぎり返し、そう言ったのだった。



「ミューリ、あなたもハイランド様のすごさが少しは分かったでしょう?」


 こうぼうからの帰り道、ミューリにそう言うと、しぶしぶながらにうなずいていた。

 その日は、それから町を少し見て回り、建設中のへきや、海が見える坂道から灰色の海を見て時間を過ごし、商館にもどった。

 夜はステファンがしゆさいする、ハイランドをしゆひんにした形式的な食事に招かれ、毒にも薬にもならない会話をした。ただ、ばんさんでの様子を見ていると、ステファンのいんぎんさには、ハイランドにおもねるためというよりももう少し別のなにかがあるような気がした。


「それはそうだろう。町の者たちと話すと、私がデバウ商会の商館にとうりゆうしていることにみなおどろく。この商館のあるじであるステファン氏は、大司教と同郷らしくてね、教会への納品などで深い関係にある。まさか教会と敵対する私に便べんはかるとは、というところだ。ステファン氏は、上層部に言われてしぶしぶ私をめているんだよ。かれのような商人は、大義よりも目の前の利益だ。十分の一税がなくなったとしても、それで教会の資金力ががれれば、それだけ当面の取引が減ってしまう、程度にしか考えていない」


 ばんさんの後、ハイランドの部屋に呼ばれた。ばんさんでは顔にしようを張りつけることばかり気にかけて、なにを食べたかもよく覚えていない。図太いミューリはたらふくごちそうをんでいて、もう動きたくないとしぶったが、おがあると言われてのこのこやってきた。


「デバウ商会も一枚岩というわけではないのですね」

「あれだけ大きい商会はもはや国と同じだろう。いつ団結などあり得まい。ましてや、連中は商人だ。屋根の上のかざどりよりもくるくる回る」


 尊敬してやまないロレンスが元行商人なので、ほほむ程度にとどめておいた。


「しかし、紙の手配をしに職人のこうぼうに行き、話を聞いて確信しました。やはり、教皇の聖務停止は明らかなちがいです」

「私も町の各組合の者と話をして、レノスとは全く反応がちがっておどろいている。まるで自分が救世主にでもなったかのようだ」


 ハイランドはかすれた声で笑いながら、どうしゆに口をつけた。

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