第二幕 ⑪

「元々、ここは異教徒の土地とはいえ、南から船に乗ってやってきた者が定住した町だ。へきの外に対して、おそれがある。海にはものひそむと信じ、人がどうこうできるものではないという確信がある。神のありがたみがほかのところより強く感じられるのだろう。とはいえ」


 と、ハイランドはいつくしむように目を細めて、ひじけにほおづえきながらミューリを見た。ミューリは、神の教えがどうこうなどという話にはてんで興味を示さず、干しりんの砂糖けが盛られたぼんを一人でかかえて、むしゃむしゃ食べていた。砂糖けの果物が多いのは、ちようきよ航海をする船の上で、旅のりようなぐさめる金持ちが多いからだろう。


「人々の多くは、実利で動いている。かれらは税を取られるのにまんがならないんだ」


 があると言われたらふらふらついてくるミューリを見たのは、ハイランドの茶目っけだ。


「建設中のへきを見ただろう? それに、港から続くいしだたみそうも見事だ」

「立派な町ですね」

「正確には、立派になろうともがいている最中だ。なにかにつけてちようはつされる税にあえいでいる。この町の人々はにぎやかさの割りに、あまりもうかっていない」


 その点はデバウ商会からの情報もあるのだろう。


「さらに、この町の司教座は歴史が浅く、教会内でけんが低い。しかも、この町の大司教は、景気の良い町の教会に収まった経験がないらしい」


 高貴な者がかべるみは、時にひどくこくはくだ。


がり、教会に入る金はすべて自分の物だと思っている。その分、仕事熱心ではあると町の者たちは口をそろえているがね」


 ごうよくなのに教会の仕事に熱心、というのがうまく頭の中でつながらなかった。

 ハイランドはこちらの様子を見て、くすくすと笑う。


「コル、君ももう少し、書物の外に目を向けたらいい」

「……きようしゆくです」

「長いけんには長いけんの利点があるが、たんけんのようにはえないということだよ」


 ハイランドはうつわどうしゆを足し、言った。


「教会と自分の家の区別がないんだろう。だからのこととして聖務に全力で注力する一方、教会を自分の物だとみなしてわがままさんまいなのだ。おそらくわがままとすら思っていないだろう。だが、はたには明らかだ。この町で最もゆうな女性は、大司教の妻だと言うからね」

「それは……」

「もちろん、正式な妻ではないが、だれもが知っていることさ。とはいえ」


 ハイランドはかたをすくめた。


しよの身である私が責められた義理でもない」


 貴族や王族が正妻以外の女性に手を出すことはめずらしくなく、独身をつらぬかなければならない聖職者もまた同様なのは、公然の秘密になっている。

 そういうものなのだ、と。


「しかし、ここの大司教殿どのはうまくやりおおせているかというと、少しちがう。私の父は教皇のめいとやらと無理やりけつこんさせられたが、真実の愛は私の母との間にあると人々から見なされている。それに、が目から見ても、父はあいきようを備えている」


 言葉にはいくらかふくみがあるが、言いたいことはわかる。


「一方、大司教殿どのは聖務に熱心になる余り、たけだかになることもしばしばだそうだ。権力をあつかうには慣れが必要だが、それがわかっていないのだろう。うわかんつうの罪にも厳しいが、どの口でそれを言うんだ、と人々は思いもする。節制となるともはや半笑いで聞くほかない」


 くまの職人も言っていた。教会のばんさんはいつもそうだと。


「それでも人の死にはなみだし、けつこんの祝福にもなみだし、誕生にもなみだするという聖務の熱心さは認められてもいる。だからこそ、町の人々は教会に対するねじれた感情をどうにかしたいと願っている。重税を課してその金でほうらつざんまいだが、聖務の時にはたよりになるというやつかいな二面性をな」

「敬いたくない、わけではない」

「あるいは、神の言葉を借りれば、なおに愛したいのだな」


 敬愛のほうが良いかな、とハイランドは笑ってもいた。

 しんこうという水の流れを良くした時、世界はより一段とわたるだろう。


「そういうわけで、人々は『我々の神の書』の計画にも好意的でね。ほんやくできている分だけでいいのですぐに見せてくれとせがまれているくらいだ」

「紙やインクの手配にこうぼうに向かったら、親方らしき人からもげきれいされましたよ」


 ハイランドは笑うと、部屋のすみひかえていたじゆうに合図を出す。すると、いかにも文官といったふんの自分と同い年くらいの青年が、羊皮紙の束をこちらにわたしてきた。


「父もこの計画には早くから賛同してくれていて、国でひまを持て余している聖職者をかき集めて作業を進めている。主に神の教えを講義するという名目でね。彼らも働かねば食っていけないし、父には好意的だからうまくいっているようだ。しかし、ぞうとうに住む者たちは、ことぞくとなれば弱いからな。在野の学者たちの意見を切に聞きたがっている」


 博士と言われなかっただけましだが、学者でもまだこそばゆい。

 そんな気持ちを見て取ったのか、ハイランドはくすくすと笑う。


「コル。けんそんは美徳だと私も認めるがね、周りからどう見られるかは、意外に言った者勝ちなのだよ」


 胸を張れ、ということだろう。


しようじんします」


 やれやれ、とハイランドは笑っていた。


「その羊皮紙に書かれている先の分もほんやくは進められているはずだが、君も進めてくれ。国に送れば、かれらがそれを大いに参考するだろう」


 おそおおいことだが、大きなものに立ち向かうとは、こういうことだ。腹に力をめて、羊皮紙を受け取った。聖典のぞくほんやくは、人々をけいもうし、教会のおかしさを明らかにするひとつの戦いと言える。これが武器となり、たてとなると思うと、羊皮紙の束がずしりと重く感じられた。


かしこまりました」


 力強く返事をし、ハイランドも満足げだった。


「それと、おじようさんにも食べたの分の働きを期待しているよ」


 ハイランドの親しみたっぷりの視線の先では、ミューリが食べ終わったぼんについた砂糖を指でめ取っているところだった。指をくわえているところに視線が集まり、さしものミューリも少し気まずそうにしている。


「私の前でそんないをするのは、特権状に守られたどうか、そこのむすめくらいしかいない」

「まったく申し訳もなく……ミューリ!」


 しかりつけると、ミューリは首をすくめつつも、はんこう的な目つきだ。


「いや、それでいいんだ。私たちが首をんでいるのは、けんとの戦いだからな。けんは人をもうもくにし、考える力をもうばう。ましてや、おかしなことをおかしいと言う勇気となればなおさらだ。期待しているというのはうそではない。だから……文字は読めるのか?」


 その問いに、ミューリはきょとんとしていた。


「文字だよ。教会文字とは言わないが」

「ああ、それは、多少でしたら」


 代わりに答えると、ハイランドは喜んだ。


「そうか。なら、君のようなむすめには退たいくつだろうが、聖典に目をとおしてしい。きっと、我々ではおよびもつかない真実を射抜いてくれるだろう」


 ミューリはまんざらでもなさそうに得意げな顔をしているが、ハイランドのかぶりだろう。


「ハイランド様、お言葉ですが」


 と、苦言をていそうとしたところだ。


「世辞ではないよ。その者にはみように感じるところがあってね。宿しゆくはくした湯屋の女主人もそうだったが……いずれか知られた名家の出なのでは?」


 ハイランドの見立てに、ぎくりとする。ホロやミューリの血筋を名家と呼ぶのなら、それは文字どおりじんえたものになる。家系の創始伝にちようじようの者をえるのは、それこそ世界に数多あまたある王家の中でも、なお格式ある家だけだ。


「ほら兄様、わかる人にはわかるんだよ」


 しかし、こちらの心配もに、ミューリは胸を張っている。けんそん欠片かけらうかがえない。


「ははは。そちらのおじようさんのほうが世の仕組みをわかっているようだ」


 尻尾しつぽを出していたら、きっとわっさわっさとっていたことだろう。


「額面どおりに受け取らないように」


 とくぎしたが、なにか手応えがあるようには見えなかった。


「まあ、せんさくはしない。聖典にもあるくらいだ」


 かくされたことはいずれ暴かれる。

 それがいい意味なのかどうかは、この場合は難しい。


「それに、私は君たちを信用している」


 臣下を手なずけ、人の上に立つ者の言葉だと思って聞いておく。ハイランドの人物をおとしめるわけではなく、ハイランドは貴族であり、自分たちとはちがうのだと言い聞かせておかないと、ついまれてしまうせいだ。りよく的な人物であり、こんなハイランドの領地の聖堂付き司祭になれたら、らしいことだろう。

 しかし、できればそんな私欲は持たないままに協力したい。ここには、一人一人の利益をちようえつした、大義があるのだから。


「世界を正す、第一歩に」


 ハイランドはそう言って、どうしゆを高々とかかげたのだった。

刊行シリーズ

新説 狼と香辛料 狼と羊皮紙XIの書影
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