第三幕 ⑤

「とにかく、ああいう仕事はいや。港の仕事みたいなのが一番楽しいな」

「港?」


 聞き返すと、ミューリは目をきらきらかがやかせていた。


「大きな船に見上げるくらい荷物が積み上げてあってさ、その上に飛び乗って、陸で待ってる人たちに荷物を放り投げるの。港は船でいへしいしてて波が立ってれまくるから、大変なんだよ! 特に今日なんて、すごい細長いトンボみたいな船が日暮れ近くに無理やり入ってきたりしてさ、港のしきたりがわかっちゃいないから、みなののしってやった!」


 ミューリはふんと鼻を鳴らして胸を張る。すっかりデバウ商会の一員の、いっぱしのぞう気取りだ。なおむすめだし元気もいいので、ああいう場所の空気には染まりやすいのだろう。

 トンボみたいな船、というのは風にたよらずきよだいを何十本と並べてわんりよくすすむ、快速船のことだろうか。なにか急ぎの荷があったのかもしれない。

 それはさておき、けんそうく港で、うずたかく積み上げられた荷物の上に飛び乗り作業する様を、軽く想像してみる。


「それは……結構危ないのでは?」

「ああ、何人か海に落ちてたよ。ずっと落ちなかったのは私だけ」


 ミューリは得意満面、そう言った。ニョッヒラでは氷のように冷たい急流の側で、さわからさわに飛び移るような遊びを平気でしていた。もちろん泳ぎも達者だ。

 ただ、問題はそこではない。


「私はあなたをロレンスさんとホロさんから預かっているんです。万が一でもしたらどうするんですか」

「あ、知ってる。キズモノにしたら、責任をとらないといけないんだよね?」

「……」


 大きくため息をつく。おどのヘレンたちから、意味も分からないままに聞きかじっているのだろう。


「ちょっとちがいますが……おおむねあっています」

「そう?」


 ミューリがそんなことを言った直後、ぐう、と牛の鳴き声みたいな音がした。


「それよりおなかすいた。ねえねえ、作業終わったなら外に出られるんでしょ?」


 ここ数日は、ずっと部屋で食事をしていた。ミューリは外のにぎやかな場所でニョッヒラにはない食事をしたかったらしいが、こちらがでも動かないとわかると、おとなしく商会の者に買ってきてもらったパンやらを部屋で食べていた。


「はいはいわかりました。私も久しぶりに体を動かさないと、このまま石になってしまいそうですしね」

「何度か本当に死んでるんじゃないかと思ったよ」


 と、ミューリはけらけら笑ってから、とつぜんなにかに気がついたように顔を上げた。


「あ、兄様!」

「なんですか?」

「外に出るなら、その格好はやめたほうがいい」


 言われ、自分の格好を見下ろすが、ニョッヒラから出て来た時のままなにも変わっていない。

 それとも、顔になにかついているのだろうかと思ってほおでたら、ミューリはぶんぶんと首を横にる。


「そのいかにも聖職者っぽいがいとういで」

「ええ?」

「いいから!」


 言われるがままにぐと、ミューリは上から下までじろじろ見て、うーんとうなる。


「まだなんかそれっぽいんだけど……」

「ミューリ? 一体なんですか?」

「兄様、ちょっと頭下げて」


 聞き返すのもめんどうで、言われたとおりに頭を下げたたん、わしゃわしゃとかみをかきまぜられた。


「……ミューリ」

「こうして、あ、これいいかも」


 辺りを見回したミューリは、インクつぼふたを開け、細い小指の先にちょんとつけると、こちらのほおにざっと線を引く。そして、反対側にもこすりつけてから、きよを開けてこちらを見る。


「まあ、いいかな」

「ミューリ」


 声にいかりを混ぜたものの、ミューリはひるみもせず、こしに両手を当てて胸を張る。


「今、聖職者の格好で外を出歩いたら危ないよ」

「……え?」

「力仕事の人たちの気が立ってるからね」


 夕焼けに夜のとばりが下りつつあり、ミューリの目がうすやみの中であやしく光る。


「仕事の合間に町の人から話を色々集めてきたんだよ。がんったんだから」

「色々って……」

「役割分担だよ! 兄様は部屋の中でがんってるけど、世の中のことが全然わかってないからね。代わりに私が目となり耳となってってやつだよ! ぼうけんの基本でしょ?」


 ぽかんとしていると、ミューリははっきりげんそうな顔になった。


「まさか本当にひまつぶしで働いてただけだと思ってるの?」

「いや……」


 てっきり、そうなのだと思っていた。


「もう! 兄様はそんなことだからだって言うの! あのきんぱつだってなにをたくらんでるかわからないじゃない!」


 ハイランドのような高位の人間が、単純な理由で動くとはもちろん思っていない。

 しかし、ミューリはそれ以上に、根本から信じていないようだった。


「やっぱり、兄様は世の中の四分の一しか見てない」

「半分ですらないのですか?」


 世の中にいるのは男と女。それでどうやら女のことは全くわかっていないらしいので、世の半分はわかっていない。あまんじてその評価を受け入れるとしても、さらに半分とはどういうことか。

 すると、ミューリは困ったような、少し悲しいような顔をして、言った。


「兄様は人の良いところしか見ないからね」


 このてんしんらんまんな少女は、時として深い場所に針をす。


「しかし、人は善意のかたまりじゃない。そうでしょ?」


 冷たい真実だった。年のころが半分のミューリに言われてしまうのだから、もしかしたら自分は四分の一のさらに半分しか見えていないのかもしれない。

 ぼうぜんとしているところに、ミューリの温かい手がこちらの手に重ねられる。


「もっとも、兄様がわるだくみしてるところって想像できないんだけど」


 ミューリのことを見下ろすと、わるだくみばかりのミューリはくすぐったそうに笑う。


「だから私が兄様を守ってあげる。兄様が見てない場所を見て、がけから真っ逆さまに落ちないようにしないとね」


 なにを生意気な、と思ったが、思考にぼつとうするあまり、荷馬車にかれそうになったところをミューリに助けられた。

 どうにも言い返せないのだが、だまってばかりではけんに関わる。


「では、私はせまい視界でなにを見ていればいいんですか?」


 ミューリはこちらをななめに見上げると、あきれたように首をる。


「目をはなせないのが一人いるでしょ?」


 明らかに用法をちがえているが、ミューリはあまりにも自信満々だ。

 その落差がおかしくて、つい笑ってしまっていた。


「そうですね」

「そうだよ」


 ミューリはにっと歯を見せる。そして、こちらのうでに額を当てた。


「だからね……」

「え?」


 声がくぐもって聞き取れず、聞き返した時にはもうミューリはうでからはなれていた。


「それより、おなかすいた!」


 なにか大事なことを言われたような気もしたが、鼻がかゆくてこすりつけられただけのような気もする。なんにせよ、目をはなせないのは確かなのだ。


「あまり食べすぎてはだめですよ」

「はあい」


 気のない返事もいつものもの。

 さっさと部屋を出て行くミューリの後を追いかけて、やれやれと笑ったのだった。



 夜の町のにぎわいは、昼とはまたちがうものだった。

 それはどちらかというとニョッヒラに近く、いわば酒と肉のうたげと言える。

 ニョッヒラとちがうのは、通りにまではみ出したながこしかけてさわぐのが、きんこつりゆうりゆうのたくましい男たちということだ。港で働くげ夫や、大きなのこぎりで木材を加工する職人、あるいは大型船をつないでおくような、おそろしく太いつなを編む者かもしれない。潮で焼け、さらに酒で焼けているかれらのひび割れるような笑い声やり声には、独特のはくりよくがある。

 そして、ミューリの忠告は正しかったとすぐに理解した。


「大司教は結局どうするつもりなんだ?」

「今朝のおいのりも助司祭しか顔を見せなかった。我らがウィンフィール様におそれをなしてやがる」

ちがちがう、大司教とウィンフィール様はずっと教会内で会議してるんだよ」


 だれかれもが、話題にしているのは教会とウィンフィール王国、あるいはハイランドのことだった。事のすうせいを見守っているふうの者たちもいれば、税に不満を述べてハイランドを救世主とさけぶ者もいる。

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